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半端者  作者: ロア
外伝 ヒガンバナシ
19/19

子子子子子子子子子子子子

 どうだい? 大概胸糞悪い話ばかりだったけど……へえ、不足かい。

 ならそうだね、実はまだいっとう酷い話があるんだが……まあ、あんたになら大丈夫かね。その代わり、誰にも言わない約束だよ?

 こいつは犬も食わないような酷い話。ほかでもない、あたいの話だ。




 法廷に差す白日は漂う塵の一つをも清かに照らしだしていた。像のように押し黙る人々に囲まれ、一人の男が判決を待つ。彼は証人台に立っているが、裁判が始まってから一度も発言を許されていない。やがて証言台を見下ろす遥かな高みの席より、閻魔の声が与えられた。


「判決を言い渡す。主文、死者を地獄禁固百年の刑に処す」


 ここは是非曲直庁。彼岸は地獄の入り口に建つ、輪廻と魂の管理機関である。




「うー……んんっ! っはぁー、疲れた」


 是非曲直庁の一室。書類に埋もれた机に向かいながら、黒装束を着くずした死神は大げさな伸びをした。右へ左へと首を曲げながら隣の反応を窺うが、眼鏡の死神は黙々と作業を続けている。


「今日だけで二件。そっちは?」


「こっちも二件です」


 眼鏡の死神が答える。


「はぁ。こりゃ確実に組織的犯行だね。ま、大変なのはウチじゃなくて執行だろうけど」


 是非曲直庁は数万の職員を抱える巨大な官僚制組織であり、最高意思決定機関である十王会議のもと、必要な業務のための部署が階層構造式に連なっている。この職場はその末端、幻想郷における輪廻の違反取り締まりを担当していた。システムを脅かすものは多い。死者の蘇生や魂の不正利用など、法と邪法の戦いは日夜続いている。

 そして現在、二人は死者の照合作業中である。昨日死ぬべき者が正しく死んだか、確認する。無論、人間など寿命までに死ぬ生き物だ。例外はおよそ、犯罪である。

 ただしこのケースに関して「お迎え」に向かうのは彼女たちではない。強制執行が基本の捜査である。死神とて無力ではないが、被疑者の抵抗を想定した執行手段として是非曲直庁は鬼神と呼ばれる戦闘に特化した職員を抱えている。


「休憩行ってくる。お前は?」


「これが終わったら、休みます。お先にどうぞ」


「そうかい」


 促された死神は席を立った。


「まあ、なんだ……熱心なのは結構だけどな。少しはサボることも覚えろよ、小野塚」


 蝶番の軋む音のあと、部屋には眼鏡の死神――小野塚小町だけが残った。




 小野塚小町は実に模範的な死神である。登用試験の狭き門をくぐり局員となってから今日に至るまで、無遅刻無欠席の皆勤賞は継続中。素直で物覚えもよく、職場の仲間からも将来を有望視される期待の新人である。

 小町の勤勉さの裏には、それを支えるささやかな夢があった。立身出世、具体的には中央への昇進である。そしてその理由は彼女の祖父にあった。

 小野塚篁。かつてこの職場に勤めた古株は、現在中央に籍を置いている。後任である上司の曰く、引き抜きが遅いと思える程度には有能な人物だったという。原因は性格との評だが、小町にはどこに問題があるのか皆目見当もつかなかった。

 最後に会ったのが半年ほど前のこと。篁はしばしば小町を飲みに誘う。その日も几帳面な篁は五分前には既に待ち合わせ場所にいた。相変わらず白髪の似合う、いい歳の取り方をした老人である。二人は行きつけの屋台へと向かい、酒を飲み明かした。

 二人で飲むときの話題は、決まって小町の職場のことだ。孫の活躍はもちろん、元は自分の職場でもある。篁は部下のその後にも興味を示す。そうしてうんうんと頷きながら聞きに徹するうちに夜が更けると、酒が回ったのか篁はいつも決まって同じことを言う。「お前と酒が飲める日を楽しみにしていた」と。もう何十回も聞いた台詞である。

 もちろん祖父の職場について訊いたことはあるが、律儀な篁は公私混同を嫌った。秘密主義的な組織である。中央にはやはり、末端の職員にも明かせない機密事項が山のようにあるようだ。小町が中央へ行きたいというのはつまりこの秘密に対する好奇心、祖父と同じ景色を見てみたいという憧れによるものが大きい。

 だから小町はその報せを俄かには信じることができなかった。




 部屋に残ること数分。勢いよく開いた扉から入ってきたのは、休憩に行った死神ではなかった。細身の女の名は四季映姫。この幻想郷支局の局長であり、死者の裁きを務める閻魔である。

 映姫は入室とほぼ同時に「小野塚小町局員はどちらですか?」と訊いた。


「四季局長? はい。私です。私が小野塚です」


 小町は驚いた。裁判官は十王会議によって直々に任命される重役である。上司も通さず一局員をご指名となれば、良くも悪くも用件は大事に違いない。


「ここは今、あなた一人ですか?」


「もう一人、休憩に出たばかりです」


 映姫は扉の角に足を当てて塞いだ。


「小野塚篁について質問します。彼はあなたの祖父ですね?」


「はい」


「最後に見た場所と時間は?」


「確か……半年ほど前、行きつけの屋台で飲んだのが最後です」


「そのとき何か異常は?」


「いえ、何も。……ああ、ただ半年も沙汰が無いのは初めてかもしれません」


「彼はあなたから見てどういう人物ですか?」


「そうですね……よく分からない人です。立派な人なんだと思いますが、無口なもので」


「では、あなたは彼をどう思っていますか?」


「自慢の祖父です。私の憧れです」


 詰問を終えた映姫は顎に手を当てて頷いた。


「時間が無いので、単刀直入に言います。現在、小野塚篁局員は重要収容品盗難の容疑で是非曲直庁に追われています。そしてあなたにも重要参考人として召喚命令が」


「ええっ?」


 小町を制しながら、映姫は小声で続ける。


「収容品の名称は白楼剣。魂を斬る剣で、断片的な魂の切除や彼岸の裁きを受けずしての解脱など、輪廻の法を脅かす可能性があるとして平安時代に都の近辺から収容されました。白楼剣はその後中央へ移送・保管されていたのですが、先日になって紛失が発覚。そして時を同じくして、小野塚局員が失踪しました」


「それで容疑が? 何かの間違いです。祖父はそんなこと……」


 すると映姫は小町にさらに近くへ寄るよう要求した。


「ええ、実は私もまだあまり信じていません。彼のことは元上司として多少知っているつもりですので。……この事件、きっと何か裏がある。上の動きがあまりに不穏です。情報の機密性が高すぎる。それに中央、地方ともに捜査本部が設置されていません……正規のものは」


 まさか捨て置けるような事態ではない。それは不正規の職員が不正規の処分を下すために動いている可能性を示唆している。


「このままでは彼の命が危ない。小野塚局員、頼れるのはあなただけです。無理を言って済まないと思っています。ですがもし彼を助けたいと思うなら……今すぐ私から逃げて、彼を連れ戻してください。真実を聞き出すのです」


「ですが」


「私を信じてください! どんな真相であれ、全力で公正な裁きを勝ち取ることを約束します」


 小町は少し迷ったあとで頷き、駆け出した。


「おう、どうした小野塚? そんなに慌てて」


 戻ってきた仲間と廊下ですれ違う。


「早退します。室長には、私は風邪ところりと狂犬病を併発して死にそうだったと言ってください」


「あ、おい!」


 目にもとまらぬ速さで消えた小町の背中を眺めながら、死神は呟いた。


「まいったな。本当にサボる奴があるか。馬鹿真面目な奴め」




 篁はその昔、平安京に顔を出した話をしていた。小町が篁に縁のある地として京に目星をつけたのはそのためだ。それに、白楼剣の出どころも京である。もし真犯人が別にがいたとして、持ち帰れば祖父の無実は証明できる。いずれにせよ、最も可能性のある場所だ。

 徳川の世となっても、京は大都市である。悠久の古都はだが、恐怖に震撼していた。阿羅漢殺し。連日寺が襲われては僧が皆殺しにされる事件の犯人は、そう呼ばれている。恐れをなして還俗した坊主頭が市民に混じる様は、噂の広まりを嫌でも感じさせた。

 小町は何か引っかかれば、と昨晩襲われた寺の探索を始めた。昨日まで手入れされていた清潔な家具が倒れている様は、荒れ寺というよりは仕事で見慣れた事件現場である。


「仏具が無い。犯人は強盗……いや、現場が解放されているなら誰でも盗れるか」


 呟きながら歩を進めるうち、小町は口を覆った。お堂から裏手にかけて、至るところに死体が転がっている。全てに傷。斬首と心臓突きの致命傷以外に、袈裟懸けや腹への突きの跡もある。更には服で血を拭った痕跡も見られた。


「斬撃と刺突。狭所での殺害。頻繁な手入れ。凶器はおそらく、短めの刀」


 小町はほとんど祈るようにこれを白楼剣と仮定した。可能性の細い糸はまだ繋がっている。支給品の鎌を縋るように握りながら、小町は塔を上った。

 京の夜景を収める絶好の眺望である。こんなときでなければ酒の一献でも傾けたことだろう。だが小町が見たのは遠くで燃える塔だった。そして死神の目は確かに捉えた。炎に紛れて昇天する輝かしい魂を。

 迷わず手すりに足をかけ、死神は夜へと飛びこんだ。




 火に照らされた境内を駆ける。存外早く着いたようだ。まだ僧たちが逃げている。

 小町が向こうからやってくる三人目を視認したときだった。屋根上からの影が月に踊る。僧は頭上からの死に見舞われた。

 刃を抜き、血を落とす凶手。阿羅漢殺し。小町は大逆非道の罪人の顔を捉えた。そして見てしまった真実を否定するようにかぶりを振った。


「お爺さん……」


 目に前にいたのは、小野塚篁その人だった。手には鎌ではなく、短い刀。死体から不自然に剥離する魂。阿羅漢殺しは、白楼剣盗難の犯人は彼だったのだ。

 篁はすぐに笠の下に顔を伏せ、背を向けた。


「お爺さん、お爺さんなのですか?」


 しばらく沈黙があったあと、篁は答えた。


「引き返せ。お前は何も見ていない。小野塚篁は狂ったのだ。すまない。達者でやれ」

「お爺さん! あっ……」


 篁は一瞬にして消え去った。その姿を求めると、奥の廊下の屋根を走る影。

 しまった、と小町は篁の能力を思い返した。位置を操る程度の能力。平たく言えば空間転移だ。時間を与えたのが間違いだった。

 小町は再び祖父を追って走った。そのうち、他の黒服たちの姿が目に留まる。やはりというべきか、暗部の鬼神隊が殺しに来たのだろう。一刻を争う状況に焦りながらも、小町は身を隠して進んだ。

 再び篁を見つけたとき、彼には片腕が無かった。目の前には侍。擦り切れた旅の服はどう見ても外部の人間だ。祖父はこれに斬られたのだろう。痛ましい姿だが、生かして捕らえることができたのは彼のおかげである。小町は深々と頭を下げた。


「彼岸の死神です。ご協力に感謝します」


 私情は私情。小町は組織の一員として外部の人間に対応する。


「彼の身柄はこちらで預かります。剣もこちらで回収します」


 しかし、侍は小町の手を拒んで剣を隠した。


「断る。この剣は儂のものだ」


「そうはいきません。我々にはそれの管理責任があります」


 交渉は平行線を辿った。その間にも、篁の腕からは血が絶え間なく流れている。


「知ったことか。それならお前を殺してでも奪い取るぞ」


 剣を抜かれそうになった小町は譲ることを余儀なくされた。


「分かりました、それでは上にかけあってみます。その代わり、処遇が決まるまでの間は何があってもその剣を抜かないと約束してください」


「……」


「これが最大の譲歩です。今は貴方と戦いたくありません。お願いします」


 小町は祈った。そしてそれは侍に届いた。小町は再び侍に頭を下げると、篁に肩を貸しながら先を急いだ。




 火から遠い木立に隠れると、小町は篁を木に凭れさせた。時間は無いが、止血は最優先だ。衣服を裂き、即席の包帯を用立てる。


「捨て置け。見られては、お前まで殺されてしまう」


「嫌です。答えてください。どうしてこんなことをしたんです?」


「……」


「四季局長の計らいであなたを連れ戻しに来ました。真実を話していただく必要があります」


 篁は口を噤んだままだ。


「あなたはいつもそうだ。私に何も話してくれない。もう機密も何もないでしょう。それとも私は知るに値しないというのですか? 私はあなたに……憧れていたのに」


 小町の悲痛な表情に、篁は重い口を開いた。


「……秘する方が酷か。後悔するぞ?」


「必要なことです」


 篁は小町の目を見て、頷いた。


「徳ある者は天界へ上り、罪ある者は地獄で償い転生する。彼岸の裁きは公正……そう思っていた私は愚かだった。中央には全ての裁判記録が集積されている。かつて立ち会った解脱と記憶するところの裁判、記録には有罪とあった。調べを進めると、それはあくまで氷山の一角。あるときよりこの組織は何らかの圧力によって解脱の判決を不当に覆すようになっていたのだ」


 傷口に布を当てると、篁は痛みに顔を歪めた。


「輪廻は詭計。私にはそれを正す責がある。だが黒幕を暴き組織を清めるに、私の力は足りん。そこで白楼剣だ。組織が鬼神を編入する前、あれの回収に出向いたのは私だ。あの剣をもってすれば仏道という欺瞞から修行者らを救える。故に私はこの老い先短い命を救済に使おうと決めた。私は能力によって剣を保管庫から抜き出し、顕界でそれを振るった。そして今日、阿羅漢殺しと呼ばれる運びとなった次第」


 何たることか、狂っていたのは祖父ではなく組織であった。小町はどう反応していいかも分からず、ただすべてを覆される感覚に腰を抜かしかけた。


「そういうことだ。戻ったとて助かる道は無い。私はここに命を捨てに来た。それを拾うためにお前が命を落とすことはあるまい。さあ、もう帰るといい」


「四季局長がいます。必ず公正な裁きを勝ち取ると約束してくださりました。私にはあなたを、真実を連れ帰る義務がある」


「なぜ分からん。私にこのうえ孫まで失えと?」


「……」


 小町は祖父の肩を力強く持ち上げ、再び歩きはじめた。

 既に僧たちの姿は無く、境内には火消しと鬼神隊の姿ばかりがある。手負いの篁の力は頼れない。物陰から物陰へと渡るうち、とうとう小町は鬼神に見咎められた。


「いたぞ!」


 逃げる手はない。ならばと小町は先制した。

 首狩りの一撃。あえなく躱されるも、執拗に繰り返す。新手が来る前にとの焦りは明らかだ。

 単調な攻めが反撃を呼ぶ。鬼神が抜刀する。死神の鎌にも引けを取らぬ大太刀が、馬鹿げた膂力で振るわれた。小町はこれを柄の先で受けると、弾かれた力に逆らわず鎌を背負う形に移行し、身を捻って反撃した。切っ先が顔を狙う筋だが、当たるとは踏んでいない。鬼神が下がり、距離が開く。

 奇襲は失敗に終わったが、攻め手は止められない。小町は鎌を順手に持ち直すと、腰を落とし、突進した。低い斬り払いは飛び越えられ、すれ違いにより鬼神が背後に来る。鎌を背に回し、柄を守りにあてる。痺れるような震動。怯まず後ろ手からの振りで追い返す。

 向き直るが、敵の追撃が早い。斬り下ろしを避け、袈裟懸けで返す。外すも、斬り返されるより早く振り下ろした鎌の峰を突き出す。腹への打撃が体勢を崩し、手番は続く。首討ちかと思われたが、鬼神はなんとか体の脇に刀を滑り込ませた。

そのまま引き倒そうと鎌に力を籠めるが、鬼神の体幹は動かない。競り合う中、小町は鎌の柄を突き出して鬼神の首へ打ちつけた。続いて石突きでの突きを雨と打ちこむ。その一つが顔を捉えたところで、小町は刃を唸らせた。

 鎌が首に食い込む。小町は刃を一気に引き、鬼神の首をもぎ取った。

 大金星の余韻も束の間、息つく間もなく新手が来る。次は二人。いや、遠くからもう二人、計四人だ。もはや勝ち目はない。


「逃げろ小町」


「できません」


 小町は二人を相手に立ちはだかる。

 先鋒は薙刀。出会いがしらの突きが小町を襲う。鎌を回し、弾く。交叉したが最後、挟撃は不可避だ。足を捨て、純然たる打ち合いに持ち込む。押し返すが、有効打は無い。小町が鎌を振う。鬼神が大きく後ろに飛び退くと、次鋒の矛が飛んでくる。

 連撃の一つを、小町は鎌で絡め取った。すかさず矛先を足で踏みつけ、鎌を自由にする。たまらず矛を放して躱す鬼神だったが、そこで文字通りの横槍が入った。攻めあぐねた小町の顎を、鬼神は矛を拾いながら石突きでかちあげる。

 強烈だった。脳がぐらりと揺れる。足のふらつくまま、数歩下がる。

 視界が安定しない。眼鏡が飛んでいる。裸眼視力は十分だが、距離感への順応は大きな隙だ。敵に目を凝らす。懸命に焦点を合わせようとすると、しかし脳へのダメージが大きいのか、距離感はいよいよ狂っていく。

 あそこだ。あの首へ届く距離を。捉えて、踏み込んで、斬る。捉えて……


「えっ?」


 気がつくと、最高の位置に敵がいた。反射的に鎌を振る。ずばり、と確かな感触。ごとり、と転がる鬼神の首。


「なっ……」


 薙刀の鬼神が怯む。だが目を合わせた途端、まだ少しあった距離は一気に詰まっていた。

 迷わず斬る。鬼神の首から血が噴き出す。

 小町は呆然としたまま、だが見開いた目は新たなる追手を捉えた。そしてそれは、到達と殺戮を意味していた。今や鬼神たちは追手でなく、獲物だった。死の版図は風のように境内を満たし、鎌は無慈悲に命を刈り取る。逃げ場などどこにもない。

目に付くままに殺す。潰走する者も殺す。容赦なく殺す。ただ無心に殺す。一方的な蹂躙は彼女の視界から敵が消えるまで続いた。

 夜が明けると、この鬼神隊は名実ともに存在しないものとなていった。




 白楼剣を窃盗・濫用した小野塚篁は犯行の途中で侍によって鎮圧され、居合わせた休暇中の職員に連れられて出頭。白楼剣の所有権を主張する侍は交渉の末、是非曲直庁の管理下に置かれた。出頭段階で窃盗の事実は発覚しておらず、捜査は執り行われていない。これが表向きの事の顛末である。

 小町は映姫を信じ、報せを待ち続けた。侍との折衝の最中も、頭の中にはそのことばかりがあった。

 二週間後、小町は「悪無くば善けん」の遺言と共に閻魔の土下座を見ることとなった。

 翌日、小町は辞表を出した。




 胴元がツボを持ちあげると、二つの賽が現れた。ある者は肩を落とし、またある者は歓喜した。


「シソウの半! 本日はこれまで」


 博徒らがめいめいに配当を手にして賭場を去る中、一人の女が胴元に掴みかかる。


「いかさまだ! いかさまだ!」


「またこの女か。難癖つけやがって、つまみ出せ」


 屈強な男たちに掴まれ、女は賭場から追い出された。


「畜生め!」


 女は賭場の入り口を足蹴にすると、江戸の町の路地裏へと折れた。

 酒を煽ろうと徳利を傾けるが、既に空だ。腹いせに放り投げた徳利に目をやると、路地には人影が差していた。

 笠で顔を隠した剣客が一人、いや、路地の反対側にももう一人。剣客らは少しずつ近づいてくるが、女は不穏に気付かず壁に凭れかかっている。距離が詰まり、剣客らが刀に手をかけたところで不意に声がした。


「天知る、地知る、我知る、人知る」


 そこには閻魔、四季映姫の姿があった。剣客らは刀から手を放すと、すごすごとその場を去る。残された映姫は女の下に歩み寄った。


「探しましたよ、小野塚局員」


 女――小町は顔を上げた。


「もう局員でも何でもないよ。今更どの面下げて来やがった?」


「申し訳ありません。いくらでも恨んでいただいて構いません」


 返答が得られず、映姫は言葉を変える。


「あなたに赦していただくためなら、私は何でもします。ですから……」


「ならその舌引っこ抜いて殺してやるよ、この嘘つき閻魔!」


 小町は映姫の胸ぐらを掴み、壁に押しつけた。だが震える手はやがて力を失ってゆく。


「畜生。畜生。なんだってこんな……なんだって、真面目な奴が馬鹿を見るってんだ?」


「もうあんな悲劇は繰り返しません。私は彼の遺志を継ぎ、必ず組織に潜む巨悪を打ち倒すと誓いました」


「知ったこっちゃないね。それでお爺さんが帰ってくるのかい? ……あたいは一抜けだ。もう、どうだっていいんだよ。何もかも、全部馬鹿馬鹿しい。放っといてくれ」


 小町は映姫を解放し、背を向ける。


「彼にあなたのことを任されました。私の目の届くところにいてください。あなたはもう、身分によって守られなければ生きていけない身なのです」


 刺客の去っていった道を苦々しく見つめる。舌打ちをしながら、小町は映姫に向き直った。


「もうあんなことには関わりたくないんだ。とびきりの閑職で頼むよ」


 こうして小町は三途の川の渡し守として彼岸に戻ることとなった。




 ある日の暮れ、小町は人里を歩いていた。日が落ちて人影が無くなってきたころ、一人の少女が橋の上にポツリと蹲っている。


「嬢ちゃん、もう夜だよ」


 小町は屈みこむと、少女の顔を覗きこんだ。


「早く帰らないと、親御さんが心配するよ」


「……ないよ」


 目を伏せたまま、少女は呟く。


「帰る場所なんか、どこにもないよ。お父さんもお母さんも、妖怪に殺されちゃったから」


「そうか……。そいつぁ嫌なことを聞いちまったねえ」


 頭を掻きながら、少しの間を置く。


「ついてきなよ。飯、食ってないんだろ? 嬢ちゃん、名前は何ていうんだい?」


 告げられた名に心当たりのあった小町は、面倒事の予感にどこか遠くを見やる。


「そうか……。そいつぁ嫌なことを聞いちまったねえ」


 小町は少女を縁者に届けると決めて、手を取った。




 まあ、なんだ。要はよくいる頑固な爺さんの思い出話だよ。似たような話はいくらで知ってるさ。心配しなさんな、今はあたいもこうして楽しく船頭やってるよ。

 さあ、そろそろだね。どうだい見えるかい? あれがあたいらの世界だよ。

 それじゃあ、お別れだね。

 思ったより長い船旅になっちまったね。至らない噺家だったかもしれないけど、ここまで付きあってくれてありがとよ。もしまた向こう側で会うことがあったら……そのときは、きっともっと面白い話を用意して待ってるから、まあ、期待しといておくれ。


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