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苦手な方はご注意ください。

まにまに ~マニアのマニュアル~

作者: 美緒

 ライザット王国の王都ザルグの中心ライザット城へと続く大通りから外れたスラムに程近い場所にある一軒家。

 その家にある二つの煙突のうち一つからは白い煙が上がっており、誰かが何かをやっているんだろうなあと思わせる。だが。

 その煙を見た途端、スラムから大通りに向かって歩いてきていた人々が、慌てた様に走ってスラムへと逆戻り。すると次の瞬間――ぼふんっと、気が抜ける様な音と共にその辺一帯が揺れ、白煙を吐いていた筈の煙突からは大量の黒煙が昇り始めた。

 その様子を遠くの建物の影から覗き込むようにして見ているスラムの人々。その瞳には諦観の念が込められており、これが日常なのだとうかがい知れる。


 人々が見詰める家の中には、風の魔法で結界を張り、黒煙に巻き込まれないようにしながら遠い目をしている青年と、昼間は陽が差す出窓の特等席に鎮座する額に白い星形が浮かび上がる黒猫が一匹いた。

 黒猫は自分の方に流れてくる黒煙を風の魔法で煙突の排出口へとピンポイントで押し流しながら、右手に試験管、左手にフラスコを持っていまだ現実逃避している相棒の青年を睨み付ける。


「さて。これで何度目の失敗だい? レノ」


 人語を介する猫――実は高い知能を有する幻獣である黒猫(擬態)の言葉に、レノと呼ばれた青年はビクッと身体を震わせ、恐る恐る煙が晴れてきた手元を覗き込んだ。そこには、すり鉢の中で黒炭と化した無残な物体しかない。これを『失敗』と言わずして、何を失敗と言うのか。

 現実を認識した途端、レノはガクッと崩れ落ち、すり鉢の乗る机の上に上半身を投げだした。


「いい加減、レノには錬金術の才能が無いって認めたら?」

「……」

「確かに、失敗しても経験値は溜まるから錬金術のレベルは上がるけど、錬金術の初歩中の初歩、誰でも出来て当たり前の中和剤すら調合に成功した事のない錬金術師なんて存在価値ないよ」

「うぐっ」

「まあ、初歩錬金術の失敗は本来ゴミが出来るだけで終わる筈なのに、白煙が立ち上る事から始まり、爆発とそれによる黒煙、地震のトリプルパンチ。ある意味、すっごい才能だよね」

「~~~キールぅ~~~~」


 グサグサ突き刺さる言葉の棘にとうとう情けない声を上げるレノ。口の悪い相棒は本当に容赦ない。


「だから諦めて神託(・・)貰えばって言ってるのに。折角取得したスキルなんだ。ここで使わずしていつ使うって言うんだい?」

「いや、だが……ここで神託を使ったら負けの様な気が――「うん。レノは害虫に決定」――ぐふっ」


 ぼそぼそと言い訳していたレノはキールにあくびと共に有害認定され、胸を押さえ目から汗を流す。毎度の事ながら、キールはレノの弱点を的確に突いてくる。彼は有害生物が生理的にダメなのである。

 大嫌いなアレと同じと言われ、誰が見ても落ち込んでいると分かるレノをチラリと見遣り、キールは再びあくびを漏らしながら特等席で丸くなる。この状態の相棒に何を言っても無駄なのは熟知している為、相手にしない。(原因がキールである事はこの際ムシである)

 全く……便利な力を極めたのだからさっさと使って上に行けばいいものを。妙な『こだわり』を見せて失敗を量産するなど馬鹿げている。効率重視なキールにとってレノの『こだわり』は本当に理解できない。


 そうこの錬金術の初歩中の初歩を失敗しまくっているレノという青年。実は『スキルマニア』である。

 幼少期。剣術や魔術を習い始め、スキルレベルが上がるごとに自分が強くなっていくのを実感し――スキル収拾&レベル上げにハマった。新しいスキルを覚える為に今あるスキルを最短で最高に上げようと只管(ひたすら)鍛錬し、極めたと思ったら嬉々として違う職業に転職&スキル取得し、また鍛錬――の延々繰り返し。

 とにかく、自力で最高レベルまで鍛えるというこだわりぶり。彼ののめり込む姿を見たとある友人が、「あいつは何時休んでいるんだ?」と本気で不思議がったという。そのくらいのマニアっぷりである。


 そんなものだから、新しく極めようとしている『錬金術』のスキルも自力で何とかしようとしているのだが……結果はご覧の通り。過去最低最悪のダメっぷり。

 今までは(つまづ)く事なく、周囲からは「天才っているんだな」と言われていたのに……残念極まりない。

 これを脱する為にキールは教会へ行き、神官職の時に極めた神託スキルを使って神と交信し解決策を与えてもらえとずっと言っていたのだ。それなのにこのマニアは。ここでも要らないこだわりを見せて失敗を量産。遂には有害生物認定となった。

 つまり、キールからすれば自業自得以外の何物でもない。


 本当にバカだよなぁ……等と思いながら微睡もうかとした時。キールの耳がピクリと動く。

 微かな物音に顔を上げ、出所であるドアに目を向けた瞬間、軽いノック音が響く。


「レノ! スラムの子供みたいだよ」

「――ん?」


 大きな声で呼び掛けレノの意識をこちら側に引き戻すと。レノはパチクリと瞬きし、頷きながらドアを開く。目線を下に向ければ、そこには簡素な服を着た男児がいた。


「どうした?」

「あ、あの! ミア達が殴られて、怪我しちゃって……!」

「ああ、なるほど。ちょっと待ってろ」


 怪我をしたと聞いた途端にレノはドアを閉め、いまだ漂う黒煙を魔法で消し去り、黒炭を部屋の隅にあるゴミ箱に投げ捨て、壁に掛けておいたハンガーからフード付きの外套を取り着込む。

 キールは躊躇う事なく特等席からフードの中へとジャンプで移動し、「ぐえっ」と首が締まりうめき声を上げるレノの肩に前足を揃えて置く。


「やれやれ。また(・・)スラムの人間に暴力を振るうバカが湧き出したようだね」

「そのようだな。まあ、それ(・・)が事実なら後でどうにでも始末できる」

「うんうん。クズは掃除しないとね~」

「弱い者いじめでしか自分を誇示できない者など、存在価値ないからな」

「相手が貴族でも、プチッと潰しちゃおうね」

「当然だ」


 物騒な事をサラッと言いながら一人と一匹は外へと出て子供と合流すると、スラムへと歩き出した。


 戸締りはどうしたというツッコミは要らない。

 このレノとキールが住まう家には、レノがこれでもかと防犯に役立ちそうなありとあらゆるものを設置しているからだ。レノとキールが迎え入れない限り、その防犯システムがこれでもかと大活躍する。


 こんな話がある。

 レノが溜め込んだ金や宝、作成した貴重品が大量にあると目星を付けた窃盗団が、レノが数日留守にするのを聞きつけ盗みに入り……数日後、帰宅したレノに保護(・・)された後、窃盗の現行犯で騎士団に捕縛された。

 その際、盗賊達はボロボロのヨレヨレ。全身真っ黒や真っ白に汚れている者。様々なバッドステータスに罹っている者など散々たる状況。全員、涙ながらに命乞いをしていたとか。

 これが一回や二回ではなく、両手両足では数え切れないくらいになった頃。(ようや)く盗賊達は悟った。あそこは鬼門(・・)であると。

 それ以来、盗みに入る命知らずはいなくなり、結果として戸締りはしなくとも安全という事になった訳だ。


 そんな物騒だが安全な自宅を後にし、レノとキールはスラムの住人達に声を掛けながら奥へ進む。

 掘っ立て小屋といっても過言ではない家々を通り過ぎると少しだけ開けた場所に出る。スラムの住人達が使用している井戸のある広場には多くの人達が座り込んでいた。その人達の元へ子供が駆け出す。つまり彼等が怪我人なのだろう。

 近付いていけば、そこに座り込んでいるのは子供ばかりだと分かった。周囲には怪我の手当てをしているみすぼらしい格好の大人達。

 スラムの現実にレノは顔色を変える事なく近寄り、怪我している子供達を覗き込んだ。皆、顔が苦痛に歪み、涙ぐんでいる。


「打撲に裂傷か……大人……しかも複数の男達にやられたか。これは酷い。直ぐに手当てするからな。もう少しだけ痛いの我慢しろ」


 レノの言葉に子供達が涙の溜まった瞳を上向けながらゆっくり頷く。それに頷き返し、レノは一番重症の少女――ミアに向かい手をかざす。

 かざされた手が白く輝き、その光がミアの身体を包み込む。

 そして――光が消えた時、怪我のすっかり癒えたミアの姿がそこにはあった。


「痛いところはあるか?」

「――大丈夫」


 レノの言葉に自分の身体を動かしながら確認し、ミアははっきりとした口調で答えた。


「よし。……どうしてこうなったかは後で聞くからな。――逃げるなよ?」


 ニヤリと意地悪く笑うレノにミアは慌てて首を縦に振る。ミアは知っていた。こんな顔をした時のレノに逆らうのは何よりマズイと。

 素直に頷いたミアの頭をわしゃわしゃと撫で、レノは次の怪我人の治療へと移っていった。


 数十分後。

 怪我をしていた子供全員に治癒魔法をかけ問題ないのを確かめた後、レノはミアの正面に座り、どうしてこうなったのかを聞いていた。

 要約すると、役所から子供用の仕事として割り当てられている清掃活動をしていた時、ゴテゴテに着飾った偉そうな男が道路の端に居たミアをわざわざ蹴飛ばし、吃驚して見上げると「みすぼらしい者がこちらを見るな。穢れる」等と因縁を付けてきて護衛らしき男達五人と共にその場に居た子供全員に殴る蹴るの暴行を加え去っていったそうだ。


 話を聞き終えたレノとキールの口元が歪む。

 王都に住む貴族とはお話し合い(物理)をしたお蔭か暴力や差別等の暴挙に出る者はいなくなった。それゆえ、今回の件は地方から遣って来た貴族(アホ)の仕業ではないかと予想が付く。

 裕福な商人の可能性? それは有り得ない。商人ほど情報の重要性を分かっている者はいない。

 最強の冒険者(・・・・・・)と名高い五人うちの一人であるレノを敵に回すようなバカな真似はしないだろう。冒険者達(・・・・)に依頼を受けてもらえなくなれば損失の方が大きくなってしまうのだから。


 さて。どうやって犯人を突き止め、どんな落とし前を付けさせようか。


 スラムから大通りへと抜け、情報収集の為に酒場兼冒険者ギルドへと向かいながらふむと悩む一人と一匹。

 貴族の情報を集めるなら王城に行って友好関係にある貴族達に話を聞けばいいのだが、色々と面倒くさい事になるのは目に見えている。ならばどうする?

 こういう時に役に立ちそうなのは……。


「あれ、レノ? 家に引きこもってないとは珍しいな」


 声を掛けてきたのは数少ない友人の一人であるレイヴ。騎士団に所属している筈のレイヴだが、今日は私服だ。


「何だレイヴ。休暇か?」

「いや」


 一つ否定をするとレイヴはレノに近寄り、素早く周囲を見回した後声を落とした。


「団長の遣いでレノの家に行くところだった。今大丈夫か?」


 わざわざ私服に着替えてからとは。

 これは良いタイミングだと、レノは思わず口角を上げレイヴに対してゆっくり頷いた。




 王城と外門のちょうど中間にある城下町警備を主任務とする騎士団の詰所。その中でもかなり広めに作られている騎士団長室兼執務室兼応接室にレノとキールは通され、一人掛け用のソファに優雅(?)に腰掛けていた。


「……と、言う訳だ」


 出された紅茶を飲みつつ、先程起こったスラムの出来事を語る。

 話を聞いていた騎士団長、副団長、レイヴは痛む頭を押さえながら深々と溜め息を吐いた。


「なるほど。そういう理由ならレノが家に籠っていない訳だ」


 既に騎士服に着替えたレイヴが街中でレノに会った理由に納得する。まあ、そういった事がなければ外に出てくるなど……今は腹は減ったが作るのが面倒な時くらい以外無いだろう。なにせ最近は非番の時に無理矢理連れ出さないとゴミを量産するのに忙しいのだから。

 レイヴが一人納得する横で、団長と副団長はお互いを見遣り頷き合うと、


「「こほん。んーんー」」


 咳払いと共に団長は執務机に移動し席に座り、副団長は団長の机の前へ移動しどこからともなく書類を出した。


「あー、団長。ご報告があります」


 棒読みである。こいつら一体何を始めるつもりだと、レノとキールは揃って呆れる。

 が、この小芝居の意味が分かっているのだろう。レイヴは苦笑すると口の前で人差し指を立て、レノに静かにするよう黙って促す。

 レノは軽く息を吐きソファの背もたれに身を埋め、キールはぴょんとレノの足の上に飛び移り丸くなると見守る態勢に入った。

 団長、副団長共に横目でそれを確認し、再び「こほん」と咳払いする。


「ここ数日、住民達から暴行被害の訴えが相次いでいます」

「犯人は分かっているのか?」

「被害を受けた者達の証言や被害地区の重点警備から容疑者が一人、浮かんでおりますが……」

「どうした?」

「容疑者は、ハーレッシュ侯爵の嫡男。最初の被害報告の前日に王都入りしています。そこまで分かってはいるのですが、ハーレッシュ侯爵及びその嫡男がこちらの事情聴取に一切応じようとしない為、それ以上の捜査が進みません」

「ハーレッシュ侯爵に事件解決の為の協力依頼はしているか?」

「はい。ですが、侯爵自身はこちらの依頼を完全無視。嫡男の方は『高貴な者を疑うとは何様のつもりだ』とこちらを威圧してくる始末です」

「話にならんな」

「全くです」


 全くだ。レノとキールも副団長の同意に合わせ思わず頷く。何様のつもりだとはこちらのセリフだ。

 貴族は国の民を守る事で特権を得ている。そして今回被害にあっているのはその民だ。それなのに貴族の義務を放棄しているかのような態度など権利の搾取としか言いようがない。

 そんなアホなセリフを口にするような奴なら、この事件(?)の大本命の犯人候補だろう。


 さて、どうしようかと考えて、レノの頭の中にポンッとハーレシュ侯爵の顔が浮かぶ。現当主なあの男は権力第一主義だ。レノの立場(・・・・・)を知って、我先にと媚びへつらってきた。まあ、絆を結ぼうと躍起になっていた男の苦労(?)をあっさりぶった切ってやったが。

 あの男が相手なら、乗り込んで証拠を突き付けてやればあっさり口を割るか、犯人を引き渡してくるだろう。

 その為に必要なのは……と考え、レノはついつい意地悪く口元に笑みを刷く。


「なあ、レイヴ」

「ん? どうした?」


 レノが一瞬浮かべた笑みに若干引きながら、レイヴが生真面目に答える。

 レノはそんなレイヴを見遣り。


「実はな、俺の庇護下(・・・・・)にあるスラムの子供が暴行を受けて怪我してな。いや、怪我自体は俺が治したんだが、上にある者としてはどうして暴行なんてしたのかはっきりさせた方が良いと思っていてな」

「あ、ああ……」


 ひくり、と、レイヴの頬が引きつる。レノが上下関係を口にするなど何の悪夢だ、というのがレイヴの偽らざる本音だ。

 普段のレノなら絶対に口にはしない言葉である。それなのに……。

 嫌な予感と共に、訝し気な表情でレノを見る団長と副団長に片手を開いて突き出し発言を押しとどめ、レイヴは諦めた様に続きを促す。

 流石は友人、とレノは満足げに目を細め。


「被害にあった子供を一人連れて、犯人捜しをするつもりだ。犯人が分かったら騎士団に連れていくと約束しよう。ただその過程で何があっても気にするなと、団長や副団長に伝えておいてくれ」

「……分かった」


 伝えるも何も、ここに居るが……居ない者として扱い、この場の事はただの友人同士の会話(・・・・・・・)として全て済ませるつもりなのだろう。

 公にしていない以上、探す方法はレノの自由だ。たとえどんな方法でも。


 然程(さほど)広くない団長室兼執務室兼応接室。

 あっちとこっちに分かれて小芝居をした三人と一匹はニヤリと笑い、一人は深々と溜め息を落とした。




 王城に程近い高級住宅街の中でもさらに上流の者達が住まう一角に、最近、妙な成金趣味全開のごてごてした屋敷が出現した。

 と言っても、元々そこはある貴族の邸宅があった場所なのだが、外観や門構えをリフォームしたため、清閑で趣深い広大な屋敷が多い筈の周囲からはかなり浮いた物になっている。

 その趣味の悪い屋敷こそがレノとキール(&ミア)の目的地だった。


「あー……今からあそこに行かなきゃいけないのかー……」


 遠目に見える屋敷に本気で嫌そうな目を向けレノがぼやく。


「まあ、黒や茶、白なんかの屋敷が多い中、赤と金なんて趣味悪すぎて近付きたくないよねー」


 レノのフードから顔を出し、肩に両足をのせながらキールがうんうんと頷く。あの悪目立ちっぷりは忌避感しか生まない。


「…………本気で潰しても大丈夫だろうか?」

「え、()っちゃう? 没落させる(やる)なら手伝う! 木っ端微塵にしちゃうよ!?」


 本気も本気な呟きに、黒猫は尻尾を振り振り嬉しそうに反応する。

 そんな一人と一匹に手を引かれながら歩いている少女の目には僅かに涙がにじんでいたりするが、一人と一匹は気付かない振り。


「取り敢えず、俺はスラムの住人を守る義務がある。その住人達を傷付けた落とし前をどう取るか。それを見極めてからだな。その後の事(・・・・・)は」

「りょうかーい」


 レノの言葉にミアは「え?」と微かに声を上げ驚いた様に見上げた。自分達が、レノに、守られている?

 訊ねたそうな瞳も気付かない振りでやり過ごし、悪趣味な屋敷に向かい歩いていく。


 近付けば近付く程見えてくる異常にレノもキールもミアも辟易し。そして気付く。門番として立っている男に。

 レノとキールは見た事ない奴が二人居るな、で済んだがミアは違った。その顔を視界に認めた瞬間身体を強張らせ、思わず後退ったのだ。

 そんなミアの反応でレノとキールは全てを理解した。ビンゴだ、と。


「ミア。二人いるが、どちらがそうだ?」


 レノの言葉にミアはビクッと身体を震わせた後、恐る恐るレノを見上げ首を傾げる。どうも、主語を抜いた質問の意味が分からなかったようだ。

 仕方ないなと身を屈め、


「門番、二人居るだろう? どちらがミア達を傷付けた奴だ?」

「ど、どっちも!」


 自分の口を両手で囲みレノの耳に近付けるとミアが上擦った声で答える。

 ビンゴだとは思ったが、まさか二人共そうだったとは。


「犯人六人の内、二人が判明したな」

「幸先良いね~」

俺の事(・・・)を知らないだろうからなぁ……面白い反応を期待している」

「うんうん。期待以上の反応返してくれると良いね~」

「……レノ兄ちゃん、キール君……何、やるの?」

「ん? 最初は(・・・)何もやらないぞ?」

「うんうん。先には(・・・)何もやらないよ~」

「そうなんだ」


 レノとキールの言葉にミアは納得すると頷く。


 ――す、素直過ぎる。


 すこーしだけ罪悪感を感じながらも、落とし前の為だと目をつむる。


「取り敢えず、ミアは絶対、俺の後ろに居るように」

「はい」


「(――キール。いざって時は頼むぞ。本体に戻って(・・・・・・)暴れてももみ消すから)」

「(あはは、了解!)」


 ミアには聴こえない様、小さく小さく交わされた遣り取り。物騒だが、これが彼等にとっては普通なので全く問題ない。むしろ、問題があってももみ消すのがこの一人と一匹だ。

 そして、彼等のお蔭で治安が良くなった事を知っている城下町警備の騎士達、住人、商人等々は、積極的にもみ消し行為に協力する。だから、何も問題は存在しないのだ。――貴族以外は。

 その貴族も、大臣や副大臣等の要職に就く者達はレノの存在を歓迎していた。治安維持。その問題は常に彼等の頭痛の種であったのだから当然だろう。

 絶対的強者。不可侵の存在。国王命令がある為、本来ならそれがこの国におけるレノとキールの立ち位置なのだが……。


「止まれ! 何者だ!」


 門へ近付く二人と一匹に対し、見覚えのない犯罪者確定の門番二人が偉そうに、威圧感を込めて怒鳴りつけてくる。

 ああ、こいつら、門番としては下の下だな。

 相手が何者か分からない以上、最初はきちんと礼節を持って接するのが当然である。何せ徒歩で訪問するのが普通なんていう一風変わった貴族もこの国には居るのだから。

 だからこそ、その礼節(・・)を持たないこの二人は門番としても貴族に仕える者としても下の下という訳だ。

 レノは呆れながら口を開く。


冒険者(・・・)のレノだ。当主に用がある。取り次ぎ願いたい」


 わざと自分を『冒険者』だと言うと、門番二人はあからさまに侮蔑の目をレノに向け高圧的な態度に変わる。

 ああ、本当にこいつら知らないや。

 レノとキールは弛みそうになる口元を必死に堪え、門番の次の言葉と行動を待つ。


「お前の様な卑しい者になどご当主が会う訳ないだろう。失せろ」


 卑しいときたか……。

 レノはますます呆れ、ついつい冷ややかに門番達を見てしまう。

 それに気付かない門番達は、動こうとしないレノの胸倉を掴み上げて威圧してきた。


「金でも無心に来たか、コソ泥風情が。残念だったなぁ。俺様達が居る限り、下賎な者は通しやしねぇよ」


 ガハハと下卑た笑いを上げ、良いサンドバックがのこのこ遣って来たと言わんばかりに門番達が揃って拳を握る。


「――――っ!!」


 ミアの声にならない悲鳴が上がり、その顔を両手で覆うと同時に、レノの口角がニヤリと上がる。


 ――パシッ


 振り下ろしてきた拳を簡単に受け止め、冷ややかに言い放った。


「……先に仕掛けてきた(・・・・・・・・)のは『お前ら』だからな」


「「うぎゃああああああぁぁぁぁあぁあああ!!」」


 レノは掴んだ拳を手の力だけで潰し、巻き上がる魔力をぶつけて男二人の体を吹き飛ばす。

 門番達は痛みに絶叫していた為、受け身など取れる筈もなく。

 その大きながたいで門をひしゃげさせ、それでも飽き足らず玄関を破壊してロビーに存在する階段に激突し――落ちた。


「さっすがレノ! かぁっこいぃー!」


 場違いな程に明るいキールの賛辞が響く中、屋敷の至る所から足音がこちらに向かってくる。


「何事だっ!?」


 真っ先に顔を出したのは、レノが見知った私兵の男。彼は確か……この屋敷の警備隊長だった筈。

 そんな事を考えていたレノに隊長が気付き、玄関ポーチの奥で伸びている男二人をチラリと見遣りながらレノに近付いてきた。


「レノ殿……何があったか説明願えませんか?」

「当主に取り次いでくれと言ったのに胸倉掴んで殴ってこようとしたから吹き飛ばしただけだ」

「……」


 しれっと言い切るレノに隊長は頬を引き攣らせ、伸びている二人を思わずきつく睨む。


 ――何というバカな事をやらかしやがった、あのアホどもは!! レノ殿に手を出すなど、好きにしてくれと言っているようなものだろうがっ!!!


 声にならない罵倒を存分に頭の中で吐き出し。

 隊長はひとつ咳払いをするとレノに向き直った。


「部下の怠慢、誠に申し訳ありません。当主へと取り次ぎするよう声を掛けてきますので、暫くこちらでお待ち頂けますか」

「ああ」

「では、失礼します」


 颯爽と身を翻し歩き出す隊長。その姿だけ見れば、流石に上に立つ者は違うなという感じなのだが。

 近付いて来た時とは倍ほどに違う速さで遠のく背中にレノとキールは思わず笑う。さっさとこの場から逃げたいというのがありありと分かる。

 分かるのだが……。


 レノは徐に魔法を発動させた。無詠唱なのはマニアの面目躍如というものだろう。


 突然、屋敷の周りを七色の光が取り囲んだ事に隊長はギョッとし、レノを振り返る。金魚のように口を開閉しているが空気が漏れるだけで言葉にならないようだ。

 レノはそんな隊長に不自然な程にこやかに笑い掛ける。


「門を壊してしまったからな。不審者が出入り出来ない様に敷地の周りを結界で覆っただけだ」

「そう、ですか……」


 何とか声を絞り出し、頬をヒクヒクと引き攣らせる隊長。全ての所業に何某かの思惑があるのは今の言葉で十分解った。解ってしまった。

 ――やはり、余計な事をしやがって!

 元凶である門番達を再び頭の中で罵倒する。

 レノの魔法をくらったのだ、大怪我をしているだろう。だがそんな事、知った事ではない。

 大怪我をしているだけで死んでいないのは、レノの慈悲――なんて言葉で片付けられる筈がない。これは間違いなく、何某かの報復だろう。つまりは、アレ等が下手を打たなければ、こんな面倒な状況にはならなかったのだ。そんな奴等の心配などする必要ないだろう。


 そんな事を一瞬にして考える隊長の様子をレノとキールは面白そうに眺めていた。こういう時、聡い者は損だな――などと、完全に他人事に思いながら。


 レノの張った結界は、何者をも出入りさせないもの。これでヤツラはどうあがいても逃げられない。

 そう考え、キールは機嫌良さ気に尻尾を振り振り。


 鼻歌でも歌いだしそうなキールの態度に隊長の顔には冷や汗が浮かぶ。

 ヤバい。このままでは絶対ヤバい。

 第六感が叫ぶ警鐘に従い、


「そ、それではっ! 声を掛けて参りますっ!!」


 絶叫と共に全速力で駆け出す。歩いてなどいられない。そんな悠長な事をしていたら、何かとてつもなく良くない事が起こりそうな気がする。


 鬼気迫る勢いで離れていく背中を見送り、レノが呟く。


「ほんっと、カンが良いなぁ」


 レノはチラリとキールを見遣る。

 先程まで機嫌良く尻尾を振っていたキールは「ちっ」を舌打ちをひとつ零し、ふてくされた様にフードの中へ入ってしまった。

 レノは苦笑するしかない。


 ……もう少し対応が遅ければ、それを理由にキールは本体に戻り、暴れようかと画策していた。

 隊長の第六感はそれを未然に防いだのである。


「……残念だったな、キール」

「ふんっ」

「??」


 好戦的な幻獣に笑いを含んだ声を掛け、レノは不思議そうなミアの頭をポンポンと撫でる。

 くすぐったそうに、嬉しそうに笑みを零すミアの顔に畏怖はない。自分達に暴力を振るう相手は警戒するが、どんなに乱暴な事をしようとも、レノやキールを恐れる事はないようだ。案外、肝が据わっている。


「(この分なら大丈夫そうだな)」

「(……レノも大概、お人好しだよねー)」

「(まさか。これからが本番なのに、ここでリタイアされては困るから気に掛けているに決まっているだろ)」

「(自覚なし……末期だね)」

「(おい)」


 呆れたと言わんばかりにフードから顔を出したキールがレノの肩をポンと叩き、レノが眉を寄せて突っ込もうとしている所に、青褪めた執事がすっ飛んできた。

 隊長から何を聞いたのか知らないが、戦々恐々しながらレノ達を屋敷の中に案内する。

 何だかなぁと思いながら、レノは頭を掻きかき執事の後に続いた。




 成金趣味的な妙にごてごてした彫刻やら絵画やら置物やらが統一性もなく置かれている応接室。

 外観と同じ赤と金に溢れたイライラする空間に案内されたレノ達は、当然のように落ち着かない気分を味わっていた。この趣味の悪さに落ち着けという方が無茶である。

 まあ、そんな中でもレノは大概に図太くて。

 うんざりとした溜め息を零したかと思うと三人掛けのソファのど真ん中に座り、足と手を組み、深々と身体を沈めた。

 キールはというと。落ち着きなくうろうろと視線を巡らせながらレノの周りを歩き回るミアに抱かれ、耳だけを警戒の為ピクピク動かしている。一応、レノに頼まれた護衛中である。


 そんな二人と一匹が待つこと暫し。

 扉を開けて入ってきたのは、建物と同じく仕立ては良さそうなのに金と赤の趣味の悪い服を着たでぶっとした体型、脂ぎった顔に汗を浮かべたいかにも成金趣味な五十代の男。レノの知るハーレッシュ侯爵その人であった。


「お待たせして申し訳ない、レノ殿」


 (しき)りに頭を下げつつ向かいのソファに座る侯爵。その後ろに、青い顔をした執事が控える。

 レノはそれに答えず、いまだ立ったままのミアに目を向け、自分の隣をポンポンと叩く。

 それだけで察したのか、ミアはキールを抱いたままレノの隣に座り、不安そうに見上げた後、気持ちレノに擦り寄って影に隠れた。

 キールがミアの腕の中からレノを見上げ頷くと、レノも軽く頷きハーレッシュ侯爵に向き直った。


「単刀直入に言う。この屋敷の中に、最近王都に来たばかりの者が何人か居るだろう。そいつら全員をここに呼んでくれ」

「は?」


 ポカンとする侯爵を見据えたまま、レノはミアの頭に手を置きゆっくりと撫でる。


「実は、最近王都に来たであろう人間に、この子が暴力を振るわれ、怪我をさせられてな。ああ、俺が治療したから怪我は完治している。だが、因縁を付けて暴力を振るう奴を放っておくわけにはいかないだろう。だからこうして、最近王都に来た人間が居る家を訪ねて歩いている」


 実際には真っ直ぐここに来た為、他の家など行っていないが、嘘も方便である。他にも行っているかの様な言い回しをすれば、レノの前に来させる事を拒否は出来ないだろう。

 事実、そう言われた侯爵は、渋面を浮かべながらも執事に何事か囁き。執事はひとつ頷くと、部屋を出て行こうとし――


「ああ。逃がそうなどと思うなよ。この屋敷の周りを俺の結界(・・・・)が覆っている。これを解かない限り、出入り(・・・)不可能(・・・)だ」


 執事が青い顔のまま慌てて振り返る。

 レノは冷めた目で侯爵と執事を見遣り鼻を鳴らす。


「屋敷の中に俺の知らない気配(・・・・・・・・)が『六つ』ある。誤魔化そうなどと考えず、素直に従うんだな」


 渋面を浮かべていた筈の侯爵の顔が青くなり、青かった執事の顔面からは色が完全に消える。

『レノ』という存在がどれだけ規格外か忘れていた。この男の能力の前ではどんな誤魔化しも不可能。それを遣ろうとすれば――。

 レノに不快な思いをさせてしまった。その事実に漸く気付き、侯爵が慌てて叫んだ。


「ぜ、全員を早急に連れて来い!」

「はい!」


 冷静に対処しなければならない筈の執事が形振り構わず返事して駆け出す。高位貴族である筈の侯爵がレノに対し「申し訳ない」と繰り返しながら頭を下げる。

 そんな光景を、ミアはただただポカンと見ていた。


 そんなこんなで。

 執事と警備隊長に引き摺られる様にして連れて来られた六人の男達。うち二人は重傷を負っているが治療された形跡は皆無。隊長の苛立ちが窺い知れる。

 そして。

 応接室に入って来た仏頂面の男達を見た途端、ミアは息を飲みレノに縋り付き、男の中の一人――妙に趣味の悪い高そうな服を着ている事から侯爵の息子だろう――がミアを見て眦を決した。


「何でスラムのガキが此処に居やがるっ!!」


 ビクッと身体を竦ませるミア。瞠目し、男をまじまじと見る侯爵と執事と隊長。男と同じく嫌悪感を露にする他五名。

 レノとキールは――冷めた目のまま口角を吊り上げた。


「薄汚いガキが、出て行け!!」


 怒鳴り付け、此方に来ようとその足が一歩を踏み出すが。

 レノが強張るミアの髪を撫で、その瞳を細めた瞬間。温度のない瞳に射竦められ動きを止めた。


「侯爵」

「は、はい」


 淡々としたレノの呼び掛けにハーレッシュ侯爵は慌てて居住まいを正す。


「この子が、スラムの子に見えるか?」

「え、いいえ。全く見えません」

「では、執事殿はどうだ?」

「は、わたくしにも見えません」

「隊長殿は?」

「はい……何処かの貴族の子女ではないんですか?」


 侯爵、執事、隊長がミアを見る。

 柔らかそうな茶色の髪。澄んだペリドット色の瞳。瞳の色に合わせた黄緑色の落ち着いたワンピースタイプのドレスに靴。どこからどう見ても貴族の子女だ。

 高位貴族にはこのような子は居ないから、下位貴族――子爵家か男爵家の子女なのだろうと侯爵は思っていた。それなのに、此処に来た途端、息子はスラムの子だと罵った。その意味が解らない。


 レノは今回、侯爵の屋敷に来るにあたり、わざとミアに上質なドレスを着せた。ミアの事を『知らなければ』貴族の子女だと勘違いさせる為に。

 つまり、ミアの素性を知るのは……『ミアと面識のある者のみ』という訳だ。

 そんなレノの企みに、男達はまんまと引っ掛かった。これが笑わずにいられようか。


「そこに突っ立っているお前。お前は何故、この子をスラムの子と言ったんだ?」


 挑発するように侯爵の息子に問いを投げ掛ける。


「そんなもの、見れば分かるだろうがっ!」

「侯爵達はスラムの子に見えないと言っているが?」

「っ!?」


 その時になって男は漸く、ミアの装いに気付いたようだ。

 目を見開いた後、狼狽えたように視線を彷徨わせ始める。


「この子がスラムの子に見えた根拠を説明しろ」

「――っ、ぼ、冒険者風情が偉そうに命令するな! 俺は侯爵家の者だぞ!!」

「……お前……真正のバカだろ?」

「なっ――!!」


 怒りの為か息子の顔が一気に赤くなった。

 それを冷ややかに見ながら、侯爵がこの話し方を受け入れている時点で気付け、やっぱり真正のバカかとレノは脳内で断じる。


「面倒だが名乗ってやろう。俺は『特別王爵のレノ』だ」

「「「「「「っ!!?」」」」」」


 レノの名乗った『特別王爵』。本来なら存在しない爵位だが、数年前、レノが単身でこの国を救った事から王により特別に授爵された『国王に匹敵する爵位』だ。


 面倒だから要らないと言ったレノを必死に説得し、半ば強制的に爵位を授け。褒美に金銀財宝を渡そうとしたら、既に国家予算を遥かに凌駕する財産を築いている為これも要らないと言われ、では何が欲しいと聞いたところ、何故か「じゃあ、スラムを俺の庇護下に置かせて」と答えられ、国の上層部が喜んで授けたという話は貴族の間で有名である。

 その後。スラムの住人に剣術を教え、治安維持の為の自警団を設立させたり、冒険者にしたり、役所と取引をして仕事を斡旋したりと結構活発に動き回り。今では地区全体が一つのコミュニティとしてしっかりと形成されている。その事実から、王都一安全な地区とすら言われている。

 流石に、数年で建物等を一般市民と同レベルに出来るほど建て直しは進んでいないが、掘っ立て小屋にしか見えない家々も隙間風は消え、温かい寝床と食事を当たり前のように手に入れる事が出来た。衣服は……何故か彼等自身が全く気にしていない為、後回しになっていたりするが。

 スラムの大人達は、レノが自分達を導いてくれたと知っている為、尊敬と感謝と絶対の信頼をレノに向けている。


 最近では『特別王爵』が何か行ったという話を全く聞いていなかった為、侯爵の息子や護衛達は、本人はこの国を出て行ったとばかり思っていた。

 実際は、しっかり『何か』をやらかしてはいるが、国の上層部、騎士達、王都の住人、各種冒険者達等々が結託して何もかもをもみ消している事から外に話が漏れなかっただけである。


「――それで? お前は何故、この子を見た途端に『スラムの子』と言ったんだ? 俺の納得できる説明をしろ」


 レノの言葉を受け、男達は揃って顔面蒼白になり、その場に崩れ落ちる。

 その様を無感動に見ていたレノは一つ溜め息を零し侯爵を見た。


「侯爵」

「……はい」


 事態を察したのか、応じる侯爵の声が固い。


「もう分かっているだろうが、この子はスラムの住人だ。貴族の屋敷に来る事から、最低限の礼儀として身なりを整えさせた」

「はい」

「先程も言ったが、最近王都に来たであろう人間に、この子――いや、この子を含めた数人の子供達が暴力を振るわれ、怪我をさせられた。俺の庇護下の者が、訳の分からない因縁を付けられて暴力を振るわれたんだ。俺がその犯人捜しをするのは当然だろう?」

「はい」

「身なりが整い、貴族の子女にしか見えないこの子をその男は『スラムの子』と吐き捨てた。それが意味するものは……分かるな?」

「はい」


 騎士団の捜査協力依頼は無視出来ても、自分より遥かに立場が上のレノを欺く事など出来ない。そんな事をすれば、取り返しの付かない事態になってしまう。レノには、それだけの『力』がある。

 ハーレッシュ侯爵はゆっくりと息を吐き、深々と頭を垂れた。


「大変、申し訳ございませんでした」


 侯爵が嫡男の不祥事を認めた。

 その事実にミアは息を飲むが、レノとキールは温度のない眼差しを侯爵に向けるのみ。


 侯爵が頭を下げたまま空白の時が過ぎる。

 頭を下げただけの侯爵の態度を見て、レノが呆れを滲ませながら静かに言葉を紡ぐ。


「……それだけか」

「は……?」


 本気で分かっていない侯爵にレノは若干イラつく。


「お前は俺の話を聞いていなかったのか? 俺の『庇護下の者』が『暴力を受けた』。他領の領民に貴族が手を上げた場合、どうなるのか……知らないとは言わせない」

「っ……」


 自分より高位の貴族の領民を(しいた)げ、明らかに貴族側が悪い場合……当事者はその家から籍を抜かれる。

 当事者がその旨を宣言すればそれで終わるのだが、当事者がそれを宣言しない、もしくは当主がそれを進言しない場合、その虐げ行為は『家の総意』となり、最悪、家が取り潰される。レノが言っているのはそういう事だ。


 侯爵は慌てて息子を見るが、いまだ呆然自失の体でその場に座り込んでいるのみ。他の当事者――護衛達も顔面蒼白のまま固まっていた。

 まずい。

 自分は『進言』しなかった。当事者は『宣言』しなかった。この時点で『暴力行為はハーレッシュ侯爵家の総意』とされてしまう。

 焦燥のまま弁解しようと侯爵は口を開きかけるが、レノの行動の方が早かった。

 ミアを促すように立ち上がり、冷ややかな一言を残す。


「今回で会うのは最後のようだな」

「お、お待ち――」


 言葉は最後まで紡がれる事なく途切れる。

 侯爵が目を向けた先にはレノ。その目は明らかに――犯罪者を見る冷徹なモノだった。




 騒動から十日が経ったある昼間。休暇を貰ったレイヴがレノの家を訪れていた。


「――まあ、そんな訳で。ハーレッシュ侯爵家は財産没収の上、取り潰し。侯爵領は王家に戻り、春の除目で功績のあった騎士爵の者に褒賞として割り振られる」

「へー」

「侯爵は市井落ち。使用人達は相応しい家(・・・・・)に再就職」

「まともな所に再就職できたの執事と警備隊長くらいだろうねー」

「……(そこまで……)。事件を起こしたバカ息子と護衛達は奴隷落ち。元貴族という事で誰も買いたがらなかったらしく、鉱山等の危険地帯で終身強制労働が決定した」

「自業自得だね」

「そうだな。余罪がかなりあった為、情状酌量の余地もない」

「爵位に胡坐をかいて踏ん反り返っている様なバカはゴミだよ、ゴミ。要らないんだからポイッとするのが正解」


 レイヴの話にキールが愉快そうに相槌を打つ。

 だが、キールの返事を聞いた常識人の頬が引き攣る。何故だろう。一応『被害の当事者』である側の方が悪に思えるのは。

 精神衛生上、これ以上の会話は止めた方が良い。そう判断したレイヴは視線を部屋の隅に向けた。


「ところで……レノは何故、部屋の隅に座り込んで暗くなっているんだ?」

「ぷくくくくっ」


 レイヴの問い掛けにキールはあっさり乗り、両手の肉球で口元を覆いながら堪えきれない笑い声を上げた。その音は「よくぞ聞いてくれました!」と言わんばかりに喜色が浮かんでいる。


「レイヴもさ、レノが錬金術の調合に失敗しまくってゴミを量産しているのは知ってるよね?」

「まあ、それは……」


 ここに来るたび、真っ黒い何かが増えているのを確認している。


「侯爵家から戻ってきて、ちょっと教会に用があったから行ったついでに、どうすれば調合に成功するか神託貰ったんだよ」


 黒猫の耳と尻尾が小刻みに震える。

 何故そこまで笑いたいのを堪えるのだろうとレイヴは首を傾げるが、次の瞬間ハッとした。

 これまで『天才』の名を欲しいままにしていたレノが初めて躓いた錬金術。もしや神託で『才能なし』とでも言われてしまったのではないか。


 レノをどう言って慰めれば良いだろう。

 そんな事を考えると、自然と表情が引き締まる。

 レイヴが真剣になったのを見てキールは愉快そうに両手でテーブルを叩く。


「それがさぁ、材料揃えて『調合』と唱えれば、材料に見合った物が一瞬で出来るんだってさ!」

「…………は?」

「バッカだよねぇ。無駄な拘り見せた所為で、ゴミの量産に勤しむ事になってだんだから!!」


 人間臭くテーブルをドンドン――実際には軽いのでトントンだが――叩きながら笑い転げる黒猫。それを見ながらレイヴの目は点になっていた。

 ちょっと待て。才能がなかったのではなく、逆にあり過ぎた為に普通の方法では成功せず、遠回りしていたという事か?

 何だそれ、と、レイヴは頭を抱え――あれ? と首を傾げる。


「……それで、何でレノは暗くなっているんだ?」


 時短でスキル上げが出来るようになるのだ。喜びこそすれ、暗くなる必要はないだろう。

 だがその疑問に対し、レノが拳を握って立ち上がり、魂の叫びを上げる。


「自力習得する楽しみがないだろうがーーっ!!」

「…………」

「ぎゃははははははっ!!」


 そうだった。こいつは正真正銘のマニア。普通の感覚を期待した自分がバカだった。

 シリアスに考えてしまったからこそ脱力感が半端ない。

 レイヴは呆れた様に嘆息し、すっかり冷めてしまったお茶――勿論、レイヴが来た時にレノが淹れたものだ。その後、隅に移動して暗くなっていたのである――を呑みつつレノを見遣る。

 涙声で叫んだレノは、再び部屋の隅で膝を抱え切なげな溜め息を零している。うん。その感覚が解らん。

 取り敢えず、慰める必要もないだろう。

 レノの存在をまるっと無視し、飲み干したカップに新たに茶を足そうとポットを持ち上げた時、ドアが叩かれる音が室内に響いた。

 家主を見るが立ち上がる気配がない。同居人は黒猫。話せるとはいえ、客人の対応は無理だろう。

 本来客である筈のレイヴが立ち上がり、ドアへ向かい誰何する。


「教会から参りました。レノ様に頼まれた件につきまして、お返事をお持ちしました」

「おい、レノ! 教会から返事持ってきただと!」


 蹲るレノに大股で近付き、容赦なく揺さぶるレイヴ。

 焦点のあったレノが「ああ」と頷きのろのろと立ち上がると、ドアに向かいとっとと開ける。そこには、言った通りに教会の神官が立っていた。


「神官長様よりお預かりして参りました」


 恭しく差し出された書簡をレノが受け取り中を確認する。そこには、『お願い』に対して『了承する旨の返事』が婉曲的に書かれていた。そして、使いの神官を立会人とするようにとも。

 レノはふむ、と考え、後ろを振り返る。


「キール。ちょっとスラムに行ってくる」

「あ、オッケー貰えたんだ」

「ああ」

「じゃ、一緒に行く。ボクもちゃんと立ち会いたい」

「そうか。あーレイヴは……留守番?」

「は!? 客に留守番を任せるアホが居るか!」

「ここに居る」

「お前なぁ……」


 数年来の付き合いだが、いまだにレノの思考回路が掴めない。

 レイヴは再び呆れた様に嘆息し、自分とレノの外套を手に取りドアに近付く。


「何しにスラムへ行くのか分からんが、立会人は多い方が良いだろ」

「ん、サンキュ」


 外套を受け取りつつ、レノが少し照れた様に笑う。

 それだけでレイヴは察する。本当に、立会人が多い方が良い案件なのだろうと。

 そうして。レノとキール、レイヴに神官は、揃ってレノの家を後にし、スラムへ向かった。




 スラムの中心部。井戸のある広場には、老若男女問わずスラムに住む人々がレノの呼びかけの下、集まっていた。


「集まってもらってすまない。実は教会側で、神官の募集をしていてな。スラムからも何人か、神官見習いを受け付けて貰える事になった。希望する者は居るか?」


 レノの言葉にスラムの住人達が騒めいた。


 スラムの人間にも、教会の神官になる道を。閉ざされていた門戸を開いて欲しい。それが、レノが教会に対してした『お願い』だった。教会側はスラムの現状を知り『承諾』した。その為、今こうして話す事が出来ている。

 本当に、揺るぎないスラムの庇護者だな。レイヴは苦笑を浮かべながら感心する。

 そんなレイヴをチラリと見遣るも何も言わず、レノは視線を正面に向けた。

 すると。ざわついていた人々の中から小さい影が飛び出す。ミアだ。


「レノ兄ちゃん! あたし……あたし、神官になれるならなりたい!」


 ペリドットの瞳がレノを真っ直ぐに見詰める。


「レノ兄ちゃんみたいに、怪我した人を治してあげたい! あたしが治癒魔法使えるようになれば、スラムで泣く人、居なくなるよね!?」


 そんな簡単な問題ではないが。

 レノを始めとした大人達は、そんな言葉を飲み込む。

 神官になるのは容易い事ではない。スラム並みに清貧な暮らし。厳しい修行。『レノ並み』になるつもりなら、それこそ血の滲むような努力が必要となる。だが――。


 レノは自分を見詰める真っ直ぐな瞳を見返す。


「……修業は大変だぞ」

「うん」

「見習いから一人前の神官になるまで、教会から外に出る事は――帰ってくる(・・・・・)事は出来なくなる」

「……」

「治癒魔法を使えるようになるまで、何年かかるか分からない」

「……うん」

「それでも遣るのか?」

「――うん! 絶対頑張るっ!!」


 外に出る事が、スラムに帰ってくる事が出来なくなると聞いて一瞬だけ躊躇したミアだったが、拳をギュッと握り締め高らかに宣言する。その目は決意に輝き、未来だけを見ていた。

 レノは頷き、神官に向き直る。


「と、言っているが?」


 神官はレノにしっかりと頷き、ミアの前に進むと視線を合わせるように屈み、手を差し出した。


「覚悟があるのなら、共に往きましょう。小さな未来の神官を歓迎しますよ」

「はい! 宜しくお願いします!」


 差し出された手を、ミアがしっかりと掴む。神官は穏やかに微笑み、立ち上がるとレノを見る。


「レノ様。『宝物』をお預かり致します」

「ああ。皆の『宝』だ。……宜しく頼む」

「はい」


 躊躇う事なく前に進み出てきたミア。きっと、スラムの宝から教会の宝へ、さらには国の宝へと成長する事だろう。

 苦難の道である事は、既に通ってきたレノには十分解っている。だがそれでも。レノは笑ってミアを送り出した。


 神官に手を引かれ、遠くなっていく小さな背中。スラムの住人達が、頑張れよと声を掛けて見送る。

 ミアは時々振り返り、こちらに向かって大きく手を振る。


「行ってきます!」


 その言葉を最後に、小さな背中は消えた。

 そんな様子を黙って見ていたレイヴは。


「なるほど。この為の『立会人』か」


 ポツリ呟く。


 教会はこれまで、スラムの人間には神官になる道を閉ざしてきた。学もなく、素行も悪い彼等を明らかに下に見ていたからだ。

 だがレノが来て、人々は学び、秩序を持つようになった。だからこそ受け入れ、導く事を決めた。

 第三者である『騎士のレイヴ』が受け入れの現場に立ち会っていたのだ。もう二度と、門戸を閉ざす事は出来なくなる。


「悪いな。立ち会わせて」

「いや。こういう良い事に関する立ち合いなら喜んで」

「……お人好しめ」

「レノほどじゃないと思うが?」

「……」


 そういえば、キールにもそんな事を言われたっけ。レノの眉間に皺が寄る。

 そんな不機嫌そうな表情も何のその。レイヴは笑うとレノの肩をポンと叩く。


「さて戻るか。今度こそ、ちゃんと茶に付き合えよ」


 口角を上げ、歩き出しながら「それとも、メシでも食いに行くか?」とレイヴ。

 レノは苦笑するとレイヴの後を追う。


「キールはどうする?」

「うーん……ご飯にはまだ早いから、家に帰ってまずはのんびり!」

「……寝過ごすなよ」

「勿論、レノが起こすに決まってるでしょ!」

「決まってるのか……」


 賑やかに。だけど穏やかに。

 二人と一匹は肩を並べ歩いていく。

2万字近くもお付き合い頂き、ありがとうございました。

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