6
外へ出れば遠くの空がうっすらとオレンジ色に変わり始めていた。そろそろ夕食の準備を始めないといけないのに、どうしてだろう体が動かない。
中庭に咲いている色とりどりのチューリップが風に吹かれて揺れている。その中の赤色の花を見つめて、ふとため息がこぼれた。
「愛の告白かぁ」
団長とルルさんがキスをしていた。
見なければよかった…と数分前の自分の行動を後悔する。
街から詰所へ戻ると、そういえばルルさんは団長の部屋の掃除を終えたのかが気になった。確認をしに行くついでに団長にコーヒーを持っていくことにした。しかし、部屋の前でノックをしても返事がなくて、勝手に開けると怒られてしまうけれど気になってそっと扉を開けてしまった。そうしたら二人がちょうどキスをしていた。驚いて、コーヒーの入ったマグカップが手から滑り落ちてしまった。そのあとは逃げるように走り去って、気が付けばこの中庭のチューリップの前にいた。
服屋のおじいさんが言っていたように二人は恋人なのかもしれない。恋人だからキスをしていた…。
でも、だとしたら団長の私へのキスは何だったんだろう。ただの気まぐれだと分かっているけれど、恋人がいるのに私にキスをするなんて、団長は最低だ。
それにテオさんのあの言葉。団長が私のことを好きなんてやっぱり違うじゃないか。団長にはルルさんみたいな美人な恋人がいるのに、私みたいなただのお手伝いを相手にするわけがない。
団長の考えていることがぜんぜん分からない………。
鼻の奥がツーンと痛んだ。
「アリスちゃん?」
声を掛けられて振り返る。
「どうしたの、こんなところで?」
ウェルさんがいた。剣の稽古の後なのだろうか、腰に剣をさしたまま、額にはうっすらと汗がにじんでいる。
団長に食堂でキスをされる前に私はウェルさんから告白をされた。断ったけれど、あれからこうして私を見かけると声をかけてくれるのだ。
「泣いてるの?」
「…………え?」
ウェルさんに言われて、そっと目元に手をあてた。自分では気が付かなかったけれどそこには涙があった。
「あれ?どうしたんだろう…」
手の甲でごしごしと涙をぬぐう。泣いていたつもりはなかったのにいつの間にか涙がたまっていた。
そんな私の顔をウェルさんが心配そうにのぞき込む。
「何かあった?俺でよければ話してよ」
「いえ、何でもないです」
泣いているところを見られたくなくて顔をそらした。そのままここを離れようとしたら「待って」とウェルさんに腕を掴まれてしまう。
「好きな子が泣いているのに放っておけないよ」
私は何も言えないまま、目にたまっていた涙が頬に流れた。
どうして泣いているんだろう。どうしてこんなに悲しいんだろう。自分でも自分の気持ちがよく分からない。
団長がルルさんに服を買ったこと。服屋のおじいさんが団長とルルさんを恋人だと言ったこと。お似合いの恋人だと言ったこと。それを証明するかのように二人がキスをしていたこと。
とてもイヤだと思った。団長をとられてしまったような、そんな寂しさが溢れてきた。
団長なんていつも私を厳しく怒るような人なのに。私がミスをするたびに大きな声を出すし、頭をごつくし、ちょっとしたことでからかうようにいじめてくるし、突然訳も分からずにキスをしてくるし、その後も何も言ってきてくれないし、団長なんて最悪な人なのに…。
それなのに、私じゃない女の人と親しくしている団長の姿を見るのがイヤだ。
「アリスちゃん」
突然、ウェルさんに名前を呼ばれたかと思うと、掴まれていた腕をグイと引っ張られた。そのままウェルさんの方へと引き寄せられ、私の顔はウェルさんの胸にトンと当たった。背中にウェルさんの腕が回り、私はいつの間にかウェルさんに抱きしめられていた。
「あの…ウェルさん?」
抱きしめられたまま私はウェルさんを見上げる。するとウェルさんの私を抱きしめる腕の力がギュッと強くなった。
「アリスちゃん。やっぱり俺まだアリスちゃんのこと好きだから」
苦しそうなウェルさんの声がした。一方、私はウェルさんに強く抱きしめられて身動きが取れない。というか、男の人にこんなことをされたのが初めてでどうしていいのか分からず固まっていた。
と、そのときだった。
「…………うおわっ!」
突然、何かに腕を強く引っ張られた。抱きしめられてくっついていたウェルさんと私の体が引き剥がされる。と、目の前には背の高い人がいて……。
「アリス、お前いい度胸だな。俺の部屋にコーヒーこぼして逃げたかと思えば、こんなとこで男とイチャついていやがって」
目の前には団長がいた。
「ちょっと来い」
そう言って、団長が私の腕を掴み強引に引っ張って歩き出す。
「離してください」
私はその腕を思い切り振り払った。団長が私を睨む。いつもならひるんでしまうそんな視線だけれど、今は負けたらダメだ。私だってたまには団長に抵抗する。
「団長の部屋にコーヒーをこぼしてしまったことはすみません。後できちんと片づけます。けど、今はウェルさんとお話しているんで、終わったらすぐに行きます」
「今すぐ来いって俺は言ってんだよ」
「今はダメです」
「あぁ?」
いつもの私ならここはすぐに団長に従う。団長に言われたことは絶対だ。今すぐ来いと言われたら何をしていてもすぐに行く。行かないと怒られてしまうから。けれど、今日は違う。団長に抵抗したくなった。しかし、そんな私の態度に団長の顔つきがみるみる変わっていく。ずっとそばで団長を見てきたからその表情の意味はよく分かる。かなり怒ってイライラしている。
「お前、俺に対してその言葉はなんだ。俺が来いって言ってんだから黙ってついて来い」
「イヤです!」
「あぁ?」
「私、ウェルさんと付き合うことにしたんです」
ついそんな嘘が口から飛び出てしまった。そして近くで団長と私のやりとりを見ていたウェルさんの腕に自分の腕をからませる。
「そうですよね、ウェルさん?」
ウェルさんを見上げると、明らかに彼の顔は強張っていた。
「そうなのか?」
団長に睨まれるとウェルさんの腕は少し震えていた。その顔もどこか青冷めているように見える。巻き込んでしまって申し訳なく思うけど…。
「そうですよね、ウェルさん?」
ウェルさんの腕を引っ張って必死に合図を送る。お願い、ここは頷いて。私と付き合っていると言ってほしい。しかし、ウェルさんは私よりも団長の恐ろしさに負けてしまった。
「いえ、俺とアリスちゃんは【まだ】付き合っていません」
「【まだ】?」
団長はウェルさんの言った【まだ】という言葉にひっかかったらしい。
「そういえばお前、アリスに告白してたよな。食堂で俺がアリスにキスした日」
「…はい」
ウェルさんが小さく頷いた。
「返事はもちろん断られたよな?」
「…はい」
団長の言葉にウェルさんはまた小さく頷いた。
「そう言ってるぞ、アリス」
団長の視線が私に向けられる。
「あ、あのときは断ったけど、やっぱり付き合うことにしたんです。というか、団長には関係のないことなので放っておいて、」
「アリスちゃん」
私の言葉をウェルさんが遮った。
「俺、アリスちゃんのこと諦めるよ。団長にはやっぱり敵わない」
「ウェルさん?」
「…今度、街のお店のシュークリーム食べに行こうって約束してたけど、あれもなしにしよう。二人では会わない方がいいよね」
「大丈夫ですよ。お茶しに行きましょうよ」
しかしウェルさんは静かに首を横に振る。そして団長に軽く頭をさげると「俺はこれで失礼します」とこの場を去ってしまった。