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団長視点です。
「団長様のチューリップ可愛いですね」
「ん?」
書類に目を通していたら聞き慣れない女の声がした。顔を上げると、ほうきを持ったルル嬢と目が合った。にこりと微笑まれ、俺は慌てて書類に目を落とす。
「そのチューリップどうされたのですか?」
ルル嬢に聞かれて、机の隅に飾られている花瓶に目を向けた。その中には赤色の花が一輪、どうやらチューリップという名前らしい。
「アリスが置いたんだろう」
たしか中庭にこれと同じような花がたくさん咲いていた。アリスが大事そうに世話をしていたから、それの一本を俺の机にでも飾ったのだろう。
で、あいつはどこにいった?
俺は部屋の中をぐるりと見渡した。けれどここにはルル嬢しかいない。たしかさっきまではアリスと二人で俺の部屋の掃除をしていたはずだ。が、書類に目を通すのに集中している間にアリスだけが消えている。
「アリスどこ行った?」
「アリスちゃんなら他に用事を思い出したみたいで行ってしまいましたよ。あとの掃除は私に任せるって」
他に用事だと。
俺の部屋の掃除を途中で投げ出してあいつはいったいどこへ行ったんだ。そもそも俺の部屋の掃除よりも大事な用事って何だ。
「大丈夫ですよ。団長様のお部屋は私が責任をもってキレイにしましたので」
「そうか」
もしかしてあの言葉を真に受けたのか。
たしかに俺は、部屋の掃除をアリスに任せるよりもルル嬢の方が安心できると言った。しかしそれはただの冗談だ。ついそう言ってしまいたくなっただけだ。が、アリスはあの言葉を真に受けて本当にルル嬢に掃除を任せたのか。俺が書類に目を通しているすきにこっそりと部屋を後にして…。って、あのバカ。何で冗談通じないんだよ。
とても居心地が悪い。アリスと二人きりのときはこうはならないのに、ルル嬢と二人はきつい。昨日の街の案内のときはまわりにたくさん人がいたからまだ何とか乗り切ることができたが、こうして部屋の中で女性と二人きりというのはどうも耐えられない。
見たところ掃除も終わったようだし早く部屋を出て行ってくれないだろうか。が、俺のそんな心の中などまったく知らないルル嬢からは部屋を出て行こうとする気配が感じられない。
「団長様、昨日はワンピースを買ってくださりありがとうございました」
「別に構わない」
「あれは私の不注意がいけなかったのに、本当にすみませんでした」
「気にしなくていい」
ルル嬢に街の案内をした昨日、俺は彼女にワンピースを買った。前日に振った大雨によりできた水溜りの上を馬車がかけていき、そのときに飛び散った雨水がルル嬢の服にかかったのだ。総騎士団長の娘をまさかあんな泥だらけの格好で歩かせるわけにはいかないので、近くにあった店で適当に服を買った。すぐにそれに着替えたルル嬢はとても嬉しそうで、服一枚で何をそんなに喜ぶことがあるのかとても謎だった。
「団長様に買っていただいた花柄のワンピース大切にしますね。王都へ戻ったら父にも自慢します」
「それはどうも」
そんなに大層なことじゃない。まぁたしかに良い値のする服ではあったがあれくらいの金なら常に持ち歩いているし、別に構わない。
適当に入った店で見つけた服だったが、それを最初に見たときに思ったのはアリスが着たら可愛いだろうなということだった。そんなことを思い浮かべてしまう自分をすぐに押し込めたけれど、いつも詰所で支給しているお手伝い用の服を着ているアリスにプレゼントしたら喜ぶのではないかと笑顔のあいつをつい想像してしまった。あいつはどうやら花が好きなようだから、花柄のワンピースはきっと気に入るだろう。
しかし、俺がアリスに服を買ってやる理由はどこにもない。恋人でもない女に、特に理由もなく服を贈るのはおかしいだろう。
そう思ったとき、ふと3か月前の自分の行動を思い出してしまった。
恋人でもない女に俺は2回もキスをした。どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でも分からない。1度目は無意識だった。酔っぱらっている俺を起こしに来たアリスに寝ぼけてキスをしてしまった。テオに言わせれば無意識の中にも【きちんとした理由】があってのことらしいのだが…。
2回目は、俺の意思でした。1回目のキスで頭を悩ませていた俺をよそにアリスは全く気にしていない態度で、それが気に入らなかった。加えて、アリスが下っ端の騎士団員から告白されている姿を見たときに俺の中で何かがプツンと切れてしまった。その結果が2度目のキスだ。我ながら、団員たちの前で本当にバカなことをしてしまったと思っている。
その後、テオに叱られた。しっかりと自分の想いをアリスに告げろと言われたが俺の想いとは何だ?テオは俺がアリスのことを好きだと言っていたが、俺はアリスが好きなのか?よく分からない。ただ、一つだけ分かることは俺の中でアリスの存在が日に日に大きくなっているということだ。
「ねぇ団長様。あの件、もう一度考え直していただけませんか?」
「あの件?」
「私がここのお手伝いとして働きたいと申し出た件です」
「ああ、そのことか」
昨日、ルル嬢に街の中を案内した日に言われたのだ。この第3護衛騎士団の詰所でお手伝いとして働きたいと。エリスールへ来た理由もそれを俺に自ら頼みに来たらしい。総騎士団長の娘がなぜこんな場所のお手伝いをしたいのか分からないが、俺はすぐにそれを断った。なぜなら、俺は若い女が苦手だからだ。
「悪いが、あの件なら昨日言った通りだ。お手伝いはアリス一人でじゅうぶん」
「……わかりました」
ルル嬢はそう言って頷いてくれた。
アリスが来る前のお手伝いのばぁさんが持病の腰痛を悪化させて辞めてしまってから詰所の新しいお手伝いはなかなか決まらなかった。応募はたくさん来たのだけれどどれも若い女ばかりで俺が全て断った。新しいお手伝いがまったく決まらない中、俺の留守中にテオが勝手に雇ってしまったのがアリスだった。
最初こそ接し方に困ったが、どういうわけか今はもうあいつとは普通に接することができる。アリスは女嫌いな俺が緊張せずに普通でいられる初めての女だった。だから、あいつ以外のお手伝いはここにはいらない。それに、アリスのいないこの詰所なんて今はもう考えられない。あいつにはここにいてほしい…って、俺は何を考えているんだ。
「団長様」
ふとルル嬢に呼ばれて顔を上げる。すると彼女の手にはいつの間にか赤い花があった。俺の机の花瓶にささっていた花だ。
「私の気持ちです。受け取ってください」
ルル嬢が花を俺に渡してくる。訳が分からないが、俺はそれを黙って受け取った。
「団長様、知っていますか?赤色のチューリップの花言葉は【愛の告白】なんですよ」
そう告げられると、ルル嬢の顔が俺の顔のすぐ前に迫って来た。俺としたことが油断してしまった。
「…………」
次の瞬間、気が付けば唇に温かなものを感じ、俺はルル嬢にキスをされていた。慌てて顔を離し、手の甲で思い切り唇をふいた。そんな俺をルル嬢はにこやかな笑みでみつめている。
突然、俺にキスなんてしやがって、どういうつもりだこの女。総騎士団長の娘じゃなかったら今頃殴っているのに。
ガシャーン!!!
突然、扉の方から何かが割れる音が聞こえた。そちらに視線を向ければ…
「あっ!見てませんよ!何も見てません!見てませんからね!」
いつの間に入ってきたのか、目を大きく見開いた状態で固まっているアリスがいた。よく見ればその足元には割れたマグカップが落ちている。
「何も見ていないのでええええええ」
そう言って、勢いよく扉を閉めるとアリスは部屋を後にしてしまった。
「あら、アリスちゃん。床にマグカップの破片を落としたまま行ってしまったわ」
今片付けますね、とルル嬢はそばにおいてあったほうきとちりとりを持ち片付けを始めた。
「団長様。私、ずっと団長様が好きでした。団長様が王都の騎士団で父と一緒に仕事をしていたときからずっと」
ルル嬢の思いがけない告白に、俺は思わず頭を抱えた。