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「もうすぐ剣の稽古が終わって団員さんたちが戻って来るのでタオルの用意をします」
物干し竿に干してあった真っ白なタオルを取ると、それをカゴに入れていく。そしてそのカゴを持って詰所の入口へと向かう。
「畳んでここに置いておきます。そうすると団員さんたちが汗を拭くのに使うので」
タオルを一枚一枚丁寧に畳んでいく。
「わかったわ」
ルルさんもタオルを畳んでいるのだけれど、私より一枚を畳み終えるのが早い。畳み終えたタオルを積み上げれば、ルルさんの方が高くなっていて…。なんだかとても敗北感を感じた。私はこの作業を毎日しているのに、ルルさんの方が早いなんて。それに私が畳んだタオルは端と端が少しずれていて不格好なものが混ざっているけれど、ルルさんのはどれも完璧に綺麗に畳んである。自分の不器用さがとても残念だ。
「じゃあ次は夕食の準備をします」
私とルルさんは食堂へと移動する。その間に何人かの団員さんたちとすれ違ったのだけれど、みんなルルさんに見惚れて振り返っていた。ルルさんもまたそんな団員さんたちに笑顔で挨拶をしていた。
今日はシチューを作ろうと思っている。
野菜はもう畑から採ってきてあるので、私とルルさんは分担して野菜を切ることにした。
「アリスちゃんはどうしてここで働こうと思ったの?」
にんじんの皮を器用に剥きながらルルさんがたずねてきた。私はじゃがいもの皮を剥きながら答える。
「父が病気で入院しているのでその費用を稼ぐためにここで働いています」
「あら、そうなのね。お父様はもう長いこと入院されているの?」
「はい。5年になるでしょうか」
父は何度か手術をして少しは回復してきている。お見舞いへ行っても元気な姿を見せてくれるけれど、それでも退院できるレベルにはまだ回復していなくて常に点滴が必要な状態だ。最近では、はたしてこのまま父が退院できる日は来るのだろうかととても不安になる。
「ここのお給料だけで入院費用を稼げるの?」
ルルさんは、包丁でにんじんを一口の大きさに切っている。
「父の貯金がまだ少しあるし、それに私の給料を使えばギリギリ足りています。ここは住み込みで働けるので生活費はあまりかからないので、給料の全てを父の入院費にあてて」
「まぁ、それは大変なのね」
「ルルさんはどうして私の仕事の手伝いをしてみようと思ったんですか?」
皮を剥き終えたじゃがいもたちを包丁で切りながら私はたずねた。するとルルさんから意外な言葉が返ってくる。
「ここで働きたいと思っているの」
「………え?」
危うく包丁を落としそうになった。ルルさんは言葉を続ける。
「団長さんにそのお願いをしたのだけれど、断られてしまって」
本部の総騎士団長の娘さんがこんな国境付近にあるエリスール領の騎士団詰所で働きたいなんて。父の入院費用を稼がなくていいのなら、私はあえてこんなところで働きたいとは思わないのに。
「団長さんにね、お手伝いはアリスちゃんだけでいい、と言われてしまったわ。でも、せめてお手伝いさんの体験だけしてみたくて」
「……そうですか」
詰所のお手伝いは私がここで働く前からずっと一人体制だった。だから今は私がここでお手伝いをしているので、ルルさんも働くことになったらお手伝いが二人になってしまう。二人も必要ないという意味で団長は断ったのだろう。
……でも、待てよ。
ルルさんは、さっきのタオルを畳むスピードもその綺麗な出来栄えも私より上だった。こうして一緒に料理をしていてもその手際の良さがよく分かる。ルルさんは行動一つ一つに無駄がなくとても丁寧だ。総騎士団長の娘さんだと聞いたから、きっと良いところのお嬢様で身の回りのことは私のようなお手伝いさんに任せているような人だと思っていたけれど、そうじゃない。私よりも家事ができる…。
それに、さっき廊下ですれ違った団員さんたちのあの表情。美人なルルさんに見惚れてデレデレと嬉しそうな表情を浮かべていた。私が初めてここへ来たときの態度とは大違いだ。
負けているかもしれない……。
お手伝いとしてのセンスも、顔の良さも。
もしもルルさんさんと私がお手伝い対決をしたら私はきっと敵わない。勝者のルルさんが新しくこの詰所のお手伝いさんとして働いて、敗者の私はクビになる…。
団長もきっとルルさんのような人になら厳しく怒ったりはしないだろう。それにルルさんなら何をするにも完璧主義な団長の要望に満足に答えることができるのかもしれない。
団長が私ではなくてルルさんを新しいお手伝いとして雇ってしまったらどうしよう。物覚えが悪くて、ミスばかりして団長を困らせてしまうような私よりも、ルルさんの方がここのお手伝いとしてうまくやっていけるのではないだろうか……。
「アリスちゃん?」
ルルさんに声を掛けられて、ハッと顔をあげる。
「じゃがいも、小さ過ぎない?」
「え?……あ!」
しまった。考え事をしながら切っていたらじゃがいもをみじん切りにしてしまった。一方、ルルさんの切ったにんじんはどれも同じ大きさの一口大に並んでいる。
「おっちょこちょいなのね、アリスちゃんは」
そんな私を見てルルさんが口元に手をあてて、うふふ、と上品に笑った。
やっぱりお手伝い対決は私の負けだ……。
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その後、シチューの味付けはルルさんがしたいと言ったので任せることにして、私は黙ってサラダを作ることにした。
そうして夕食に出したルルさんの手作りシチューは団員さんたちの間でとても好評だった。大きな鍋があっという間に空になるほど、みんな何杯もお代わりをしていた。団長もルルさんのシチューの味には満足しているようで、2杯お代わりしていた。それを見たルルさんがすごく嬉しそうだった。たった一食の料理で団長の胃袋を掴めてしまうルルさんが私はすごく羨ましかった。私が初めて作った料理の感想は『マズい』の一言だったから……。
食事の時間が終わると団員さんたちが食堂を後にしていく。部屋で休む人もいれば、これから街の見回りに行く人もいる。
私はテーブルの上の空のお皿を集めるとおぼんに乗せた。
「団長様のお口に合って良かったです」
ルルさんが、団長のお皿を下げている。団長は食後のコーヒーを飲みながらルルさんを見た。けれど、すぐに視線をそらしてしまう。女の人が苦手な団長は目を見て話すことができないのだ。それでよく今日一日ルルさんに街の中を案内できたな…と不思議に思う。
「ルルさんは家でも料理をしているの?」
不愛想な団長の代わりに、隣に座っていた副団長のテオさんがルルさんに話しかけている。
「はい、たまに。いつもは家政婦さんがしてくれていますがたまには私が父と母に手料理を振舞っています。料理教室に通っているので」
「へぇ、料理教室かぁ」
「はい。花嫁修業のようなものです。私ももう23なのでいつでもお嫁に行けるように」
「ルルさんなら素敵な奥さんになるだろうね」
「いえ、そんな」
テオさんの言葉にルルさんは照れながら笑った。そして団長へ視線を変える。
「団長様は、ご結婚は考えていないのですか?」
突然、話を振られた団長は一回チラリとルルさんを見たけれどまたすぐに視線をそらす。
団長の結婚…。
ルルさんの質問に私も少しだけ興味が合って団長の返事に耳を傾ける。
「考えていないな」
団長はきっぱりとそう告げた。
「ディックはまずその女嫌いを直さないとね」
テオさんのそんな突っ込みを無視して、団長は黙ってコーヒーを口にふくんだ。
「あら、団長様は女性がお嫌いなのですか?どうりで、今日一日なんだかそっけない態度をされていたので私が何か気に障るようなことをしてしまったのかと心配していたのですが、女性が苦手だったのですね」
「そうなんだよ、団長は女性と話すと緊張しちゃって目も合わせられないんだ。困っちゃうよね」
「うふふ、そうなのですね」
テオさんとルルさんの会話がまるで耳に入っていないかのように団長はひたすらコーヒーを飲んでいる。やがて全部飲み終えたのかマグカップをテーブルに置いた。そして…
「さっきのシチューにじゃがいもは入っていなかったのか?」
と、突然そんなことを呟いた。
その言葉にまず最初に反応したのが私だった。
やばい、とすぐに思った。
私はさっさとテーブルを拭き、お皿を乗せたおぼんを持って台所へ消えようとしたのだけれど…。
「アリスちゃんがじゃがいもをみじん切りにしてしまって」
ルルさんが、ちらりと私に視線を移してから正直にそう言った。
ルルさーん!と思わず心の中で叫ぶ。
そこは言わないでほしかった。そんなことを団長に話してしまったらこの後、私が団長からどんな目に遭うのか分かっているのだろうか。って、今日初めて団長に会ったルルさんは分からないよね…。
恐る恐る団長の様子を伺うと、やっぱり私に突き刺すような視線を向けている。
「おい、アリス」
「へ?」
私の名前を呼ぶ団長の声がこわくて、その場でピタリと動きを止めた。
「なんでじゃがいもみじん切りにしてんだ、お前」
「えっと…うっかり切り過ぎちゃいました」
「切り過ぎてじゃがいもみじん切りにするバカどこにいる」
「ここに…いますね」
アハハ~と笑ってみたのだけれど、団長の顔は一つも笑っていない。どうしよう、すごくこわい。
「お前なんでじゃがいもみじん切りにしてんだ。バカか。煮込めばとけてなくなっちまうだろ。せっかく美味しい味付けのシチューなのに台無しにしてんじゃねぇ。じゃがいもが入っていないシチューほど寂しいものはないんだよ」
「はい、ごめんなさい……」
やっぱり私、クビになりそう。




