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「タモン君でしょ、あの人がジョンさんで、あの人がアルさん、あの人がダンさんで、あの人がリクさん、で、あの人が……えっと…誰だっけ?」
ダメだ。思い出せない。
第3護衛騎士団のお手伝いさんとして働き始めてもうすぐ5年。ずっとその必要性を感じていなかったけれど、そろそろここにいる団員全員の名前と顔を覚えた方がいいのかもしれない。
この詰所には50人ほどの騎士団員さんたちがいる。その人たちの中でさえ顔は知っていても未だに名前を知らない人が多いのに、加えて毎年のように新しい騎士さんが数十名ほど入ってくるのでいちいち名前を覚えられないのだ。なぜなら、私は物覚えが悪いから!…と、言っている場合ではない。
やっぱりここのお手伝いさんとして働いているからには全員のことをきちんと知りたい。テオさんから聞けば、私の前任のお手伝いさんは全ての団員さんたちの顔と名前を完全に覚えていたらしい。それでこそスーパーお手伝いさんだ。私もそんなスーパーお手伝いさんになりたい!
今はちょっとした休憩時間である。夕食の準備を始める時間までにはまだ時間があるので、私は詰所の2階にある自室から中庭の様子を眺めていた。そこではここ1・2年に入団した新人騎士さんたちが剣の稽古をしていて、それを見ながら顔と名前を覚えているのだ。
「あの人がジャガイモ君…じゃなくてハネスさん、あの人がウェルさん……」
そういえば団長に食堂でキスをされた同じ日に私はウェルさんから人生初の告白をされた。その翌日きちんとお断りをしたけれど、あれからウェルさんとはたまに話をするようになった。告白のことは忘れてもらっていいからとりあえず友達になってほしいと言われたのだ。友達ならまぁいいかと思った。
そして今度、休みが重なったので友達として二人で街へ出掛ける約束をしている。ウェルさんがシュークリームをおごってくれるらしいのだ。最近、街で流行っているという、いつ行っても1時間待ちの行列のお店のすごく美味しいと噂のシュークリームだ。
つい最近、団長から父のお見舞い品として貰って私もそれに便乗して一つ食べたけれど、とても美味しかった。あの味が忘れられない。もう一度食べたいと思っていたけれど一つの値段がとても高いので諦めていた。私にはシュークリームひとつにあの値段はとてもきつい。
そんなとき、ウェルさんに誘われたのだ。もちろん断る理由はどこにもない。むしろすごく楽しみだ、シュークリーム!
「アリス入るぞ~」
コンコンとドアがノックされた。入って来たのは騎士団一大柄な体格のエルオさんだった。
エルオさんは、声も体格も態度も大きな人だけれど何かと私のことを気にかけてくれるし、朝食の準備のときは畑から野菜を持ってきてくれたりと、普段から仲良くさせてもらっている騎士さんだ。
けれど、こうして私の部屋に来るのは珍しい。何かあったのだろうか。
「どうしたんですか?」
部屋に入って来たエルオさんは私のベッドにどかりと腰をおろす。と、その重みでベッドが少し沈んだ。
「なぁ、アリス。大事な話なんだけどよ」
いつになく真剣な表情のエルオさんに私は思わず背筋をピンと伸ばした。
「はい、何でしょうか」
「いいか、よーく聞けよ」
「はい」
いったい何を言われるのだろうとドキドキして待っていたのだけれど……。
「アリス。お前の団長が取られちまうぞ」
「…は?」
意味の分からないことを言われた。エルオさんはそのまま真剣な表情で話を続ける。
「俺、見たんだよ。団長が女と歩いているところ。あの女嫌いの団長がだぞ、アリス以外の女と一緒にいたんだ」
「ああ、そうですか」
何事かと思えばそんなことか。
「おい、焦らないのか!」
「はい、別に、特に」
どうして私が焦らないといけないのだろう。それに知ってるし。
「団長と歩いていた人ならたぶん本部の偉い人の娘さんですよ。テオさんが言ってました。偉い人の娘さんんがエリスールにしばらく滞在するから、団長は街を案内するようにたのまれたらしいです」
「そうなのか?」
エルオさんは目をぱちくりとさせている。どうやら知らなかったらしい。
「じゃあこの話はこれで終わりということで」
私は再び窓の外に視線を戻すと、剣の稽古を続けている騎士団員さんたちの名前覚えを再開した。
「お前はそれでいいのか?」
しかし、エルオさんの大きな声が聞こえて振り返る。
「お前は団長がお前以外の女と一緒にいるのを許すっていうのか!そんな安い女になっちゃいけねぇよ、アリス!」
「……はぁ」
「何だお前、そのやる気のない返事は!お前の男が他の女とイチャイチャしてるんだぞ、もっと焦ろ!」
「…………」
やっぱりそんなことだろうと思った。
エルオさんが、団長と女の人が街を歩いていたことをわざわざ私に報告してきたとき、何となく気付いてはいたけれど…。
私は思わず大きなため息がこぼれた。
「エルオさん。もう何十回も言っているんですけど、私と団長は付き合っていませんから」
「そうなのか?」
「そうです。もうずーーっとそう言ってます」
そうなのだ。エルオさんはずっと勘違いをしている。
団長と私が食堂でキスをしたことを知って、私たちが実は【恋人】だと思い込んでいるのだ。そうではない、と何度も説明しているのだけれどまったく信じてもらえない。
「じゃあどうしてお前と団長はキスしたんだ?」
「それは団長が勝手にしただけです」
「だからお前たちは付き合ってて朝の挨拶でキスしたんだろ?」
「…………」
たとえ団長と私が付き合っているとして、どうしてみんながいる食堂で朝の挨拶のキスをするんだ。そんなバカップルに私はなりたくない。
なんだかもう訂正するのも疲れるくらいまったく信じてもらえない。あれから3か月が経とうとしているのにいったいいつになったら信じてもらえるのだろ。エルオさんはとても良い人だけれど、いい加減うんざりしてきた。
「だーかーらー、私と団長は、」
付き合っていません!と、今日こそはエルオさんに信じてもらいたくて大声で叫んだ、そのときだった。
ガチャリ、とノックもなしにいきなり部屋の扉が開いた。
「うるせぇなアリス。なに大声で騒いでんだ」
そこには団長の姿があった。
そしてその後ろにはもう一人誰かいるようで…。
「ここがお手伝いさんのお部屋なんですね」
そう言って、にっこりと微笑んだ女性が着ているワンピースにはとても見覚えがあった。
あれは、私がずっと欲しいと思っていた花柄のワンピース!
食料の買い出しで街の市場へ行くときにたまに立ち寄るお店のショーウィンドウに飾られているのだ。可愛くてすごく欲しいけれどお金がなくて買えなくて、いつも眺めるだけだったあの憧れの花柄のワンピースと同じものをこの女性が着ている。
「あ、お前は!」
すると、どうやらエルオさんは彼女に見覚えがあったようで女性を指さして驚いている。
「団長と街を歩いていた女だな」
ということは、この人が本部のお偉いさんの娘さん?
「初めまして。ルル・ハリスと申します」
花柄のワンピースの女性はどうやらルルさんという名前らしい。
背の高い団長と並んでもちょうどいいくらいの背の高さで、足も手も細いし顔も小さい。腰ぐらいの長さまである金髪のサラサラな髪の毛をそっと耳にかけて微笑んでいる。うん、美人さんだ。私の憧れの花柄のワンピースがとてもよくお似合いで…。う、羨ましい。私にはきっとこんなふうに着こなせないだろう。
「ルル・ハリス…?ハリスといえば、あんた本部の総騎士団長の娘か?」
エルオさんの言葉に、ルルさんは「ええ」とにっこり頷いた。
「私の父はエディー・ハリス。国の全騎士を束ねる総騎士団長をしております」
おお、なんかすごい人のようだ。
で、そんなにすごい人の娘さんがこんなに狭いお手伝いの部屋にやって来ていったい何の用だろう…。
「ルル嬢が、お前の仕事の手伝いをしたいんだとよ」
という団長の言葉に私は耳を疑った。
隣にいるルルさんに視線を移せば、にこりと微笑んで頷いている。
「少しの間でいいから、お前の仕事をルル嬢に教えてやれ」
「え…でも」
「返事はハイしか認めない」
「……はい」
さすが、なんて強引なんだ団長。突然そんなこと言われても困るのに。
「アリスちゃん、よろしくお願いね」
「はい、こちらこそ」
なんだかとてもめんどうなことになってしまった……。