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「団長のせいでシュークリームが食べられなくなりました」
あのあと私は団長の部屋に強制連行された。
私がこぼしたはずのコーヒーは綺麗に掃除されていて、聞けばルルさんが片付けてくれたらしい。そのルルさんの姿が見えないので団長にたずねると「さあな」とぶっきらぼうに言われてしまった。
「シュークリーム?なんだそりゃ?」
団長は仕事机のイスにどかりと腰をおろすと背もたれによりかかり足を組んで座っている。私はソファにちょこんと座った。
「ウェルさんとシュークリームを食べる約束をしていたんです。ほら、前に団長が父のお見舞いでくれたじゃないですか。今、街で流行っていて、いつ行っても1時間待ちの行列ができているお店のすごく美味しいと噂のシュークリームですよ」
「ああ、あれか」
「高いから自分で買うのを諦めていたのに。そうしたらウェルさんが奢ってくれるって言ってくれたんですよ」
でも、もう食べられなくなってしまった。突然ウェルさんに行くのをやめようと言われてしまったから。
団長のせいだ。団長の登場に明らかにウェルさんは怯えていた。なぜか知らないけれど、団長がウェルさんに威圧するような視線を送ったり、言葉を向けたりしたから。私はもう慣れっこだけどウェルさんは団長のそんな態度に慣れていなからビビッてしまったんだ。
シュークリーム楽しみにしていたのに。諦めきれなくてつい大声が出てしまう。
「あーあ。シュークリーム食べたかったなぁ」
「じゃあ食えばいいだろ」
「団長、私の話聞いてましたか?あのシュークリーム高いんですよ。食べたいけどシュークリームひとつにあの値段は私にはきついんです。お金持ちの団長には分からないでしょうけどね」
「そんなに食いたきゃ俺に言えばいいだろ。お金持ちの俺がそんなもんいくらでも食わせてやるよ。なんなら毎日食ってろ」
「毎日食べたら太ります!」
「で、いつ行くんだ?」
「………はい?」
「シュークリームいつ食いに行くか聞いてんだよ」
どうしてそんな話になっているんだろう。私は首をかしげる。団長にシュークリームを食べに連れて行ってなんて一言も言っていないのに。
「俺が連れて行ってやるって言ってんだ。今度の俺の休みでいいな。お前もその日は休みにしといてやるから」
「え…ちょっと団長?」
「なんだよ、食いたくねぇのかよシュークリーム」
「食べたいですけど……」
シュークリームは食べたい。相手がいつも厳しくてこわい団長だろうとシュークリームを奢ってくれるなら我慢する。でも…………
「ルルさんに悪いのでお断りします」
「どうしてルル嬢が出てくるんだ」
「だって付き合ってるんですよね?」
「…………………………」
私の言葉にたっぷりと間を置いてから団長が「はぁ?」と声を荒げた。
「どうしてそうなるんだ、お前はバカか」
「だって服屋のおじいさんが言ってましたよ。団長、ルルさんに服を買ってあげたそうじゃないですか。おじいさんがお似合いカップルって言ってました」
「それはルル嬢の服が汚れてしまって適当に買ってやっただけだ」
「適当?適当にあの花柄のワンピースをルルさんに買ったんですか?」
「ああ、なんか問題でもあるか」
「大アリですよっ!」
私は思わず大きな声で叫んでしまった。
「あの花柄のワンピースは私がずっと欲しかったんですよ!欲しいけどあんなに高額な服は買えなくて、いつも買い物へ街に行くついでに眺めていたのに。団長はその服を適当に買ったんですね。……あの花柄のワンピースは私がずっと欲しかったんだから!」
「わかった、わかった。じゃあお前にも今度買ってやるよ」
「いりませんよ!恋人のいる男性から服なんて貰えません!」
「だから俺とルル嬢は恋人じゃないって言ってんだろうが」
団長は少しイライラとした口調でそう言った。けれど私は止まらない。
「恋人じゃない?でもだってキスしてたじゃないですか!さっき!ここで!」
すると団長は大きくため息をついた。
「あれはルル嬢に勝手にキスされただけだ」
「じゃあどうしてルルさんは団長にキスしたんですか」
そうたずねると団長は少しだけ言葉に詰まった。そして私から視線をそらしてボソリと言った。
「俺のことが好きなんだとよ。キスされた後に言われたけど、すぐに断った。だから俺たちは付き合ってねぇ」
「…………」
付き合っていない。ということは団長とルルさんは恋人じゃなかったんだ。なんだか胸の中にずっとあったモヤモヤがすーっと消えるような気がした。安心した。どうしてだろう?と、同時に別の疑問が生まれた。
「団長。ルルさんは団長が好きだからキスをして告白したんですよね」
「ああ。断ったけどな」
「じゃあ団長はどうしてですか?」
「何が」
「団長はどうして……私に…その…キ…キ…キスしたんですか?」
あれからあのときの話を団長とはしていない。団長が何も言ってこないし、私からその話をすることもなかった。二人ともそれに触れないようにしていた。
私は団長のただの気まぐれだと思うことにしていた。だけど、やっぱり気になる。どうして団長はあのとき、食堂にいるみんなの前で私にキスなんてしたのだろう。
団長は私の問いに答えることなく黙って私を見ていた。私も団長から視線をそらさなかった。顔がどんどん熱くなっていくのがわかった。それなのに団長は表情ひとつ変えない。
あのキスに込めた【意味】をほしがっているのは私だけなのかもしれない。やっぱり団長のただの気まぐれだったんだ。
そっと視線をそらそうとしたときだった。
「アリス、お前にこれやるよ」
と、団長が机に飾られていた一輪の花に手を伸ばす。私が飾った赤色のチューリップだ。
「ほら」
差し出されて、私は自然とそれに手が伸びた。
「団長…これは?」
どういう意味ですか?
私がそっと視線を団長へ向けると、団長は私から視線をそらした。そして窓の外へ視線を向けながら呟くように言った。
「その花には【愛の告白】っていう意味があるらしい。俺が今、お前にそれをしてるんだよ」
「……え?」
すぐに理解はできなかった。手元の赤色のチューリップをまじまじと見つめる。そして次に思い出したのはこの前、病室で父から聞いた話だった。父が母にプロポーズをしたときに紫色のチューリップの花束を贈ったこと。その花言葉は【永遠の愛】。そして団長が私に渡した赤色のチューリップ。その花言葉は【愛の告白】。
茫然と立ち尽くす私に団長が言う。
「そもそもお前がその花を先に俺の机に置いたんだろ?だから、お前の【愛の告白】に対して俺は同意してやってるんだよ」
「え?あ、違いますよ!私、知らなかったんです。赤色のチューリップにそんな意味があるの。知らないで団長の机に飾ったんです。だから私は別に団長に告白をしたつもりはありません」
団長が花言葉を知っていた。赤色のチューリップに込められた意味が【愛の告白】だということを。そして私がそういう意味を込めて団長に贈ったと思っている。
恥ずかしい…。違うのに。私はそういうつもりで飾ったわけじゃないのに、ご丁寧に返事をしてくれている。しかも同意してやるって…………ん?…同意?つまり、私と同じ意見ってこと?
「あの…団長。どういうことですか?」
首をかしげる私に、団長は大きくため息をついた。
「お前はホントにバカだな」
そう言って、イスから立ち上がると私のいるソファへと歩いてきた。隣に腰をおろしたかと思うと、団長が私の肩をトンと押した。そのままソファの背もたれに倒れるような形になる。と、団長が私に覆いかぶさり、顔と顔が近くなる。
「えっと……団長?」
状況の理解がまったくできなかった。
団長の大きな手が私の頬にそっとあてられたかと思うと、至近距離で「アリス」と名前を呼ばれた。はい、と返事をしようと思った唇を団長に塞がれてしまった。
「……………」
気が付くと私は団長にキスをされていた。
3回目の団長からのキスは他のときよりも短く一瞬に感じた。団長の唇が離れていき、そのまま顔を近づけた状態でしばらくお互いに見つめ合っていた。視線をそらすことができなかった。やがて団長の唇がゆっくりと動く。
「お前が好きだって言ってんだよ」
瞬間、テオさんの言葉を思い出した。団長はアリスちゃんのことが好きなんだよ。だからキスをしたんだ、と。でも、あの後も何も言われないからあのキスは団長のただの気まぐれだと思っていた。団長が私を好きなわけがない。私も団長のことなんて好きじゃない。……………そう、思っていたのに。
ルルさんと団長が恋人なんてイヤだと思った。二人がキスをしているのを見てイヤだと思った。どうしてイヤだと思ったのか今、分かったような気がする。きっと私も団長のこと……。
私に覆いかぶさっていた団長がゆっくりと離れていく。そしてソファから立ち上がると、また仕事机のイスにどかりと腰をおろした。
「その花、いらなければその辺に捨てとけ」
私は手に持ったままだった赤色のチューリップをぎゅっと握りしめた。
「いります!欲しいです!」
私も団長のことが好きだ。厳しくてこわくていつも私をいじめるような人なのに、いつの間にかすっかり私の心の中は団長でいっぱいになっていた。
「アリス。来週の日曜日、シュークリーム食いに行くからな。ついでにお前の親父さんの病院に見舞いにでも行くか」
そう言うと、団長は机の上にあった書類を手に取った。
開いた窓から入って来る風にのって私の手元のチューリップからほのかな甘い香りが漂った。
お読みいただきありがとうございます!
新しいお話を書きたいと思っているので、このお話はここでいったん終わりにします。ですが完結はしません!まだまだ書きたい内容はあるし、書いていて楽しいので(笑)、定期的に更新していきたいと思っています。




