表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

君へ

作者: 灯花

ふと、秋の香りがした。


見渡すと、背後に金木犀。


この季節になると、君のことを思い出す。


桜吹雪の春に出会い、咽せ返るような夏を過ごして、肌寒さに、カーディガンの柔らかさを感じる、ちょうど今みたいな季節に、永遠にさよならした、君。



ねぇ、君。



私は、少しずつ、君との日々を忘れ、君の言葉を忘れ、君の温度を忘れていく。

君というものは、だんだん概念へと変わっていき、それは私の青春と溶け合い混ざり合い、記憶に張り付いた全体的で普遍的な何かへと変わる。



春先の、まだ夜明け前はとても寒かった日に、マンションの踊り場で、家から持ち出した毛布に包まったね。

あの時、頼りは毛布と、そこに含まれる君のぬくもりだけだった。


蒸しかえるような、都会の夏、悪天候で海に行けなかった私たちは、突然の豪雨に襲われて、浜辺でさすはずだったパラソルを開いて、そして大笑いした。


やがて秋がきて、そして私は唐突に、君を、突き放し、遠く離れた。



手を繋いだ時に、親指を手の平側に入れる私の癖を、君は随分と嫌がっていたね。


それでも決して繋ぐことはやめなかった君。



そんな手を、私は突然に離した。

君のぬくもりが、君の手が、私の中の私の時間を、場所を、どんどん奪っていくようで怖かった。

なりたかった自分から、どんどんかけ離れているようで、怖かった。

君といると、どんどん自分がなくなるようで、失われるようで怖かった。


私は何もかもをさらけ出し、その分君の秘密は大きくなる一方で。


きっと、好きだという気持ちは同じだったと思う。

だけど、その好きだという気持ちの示し方が、あまりにも違いすぎた。

そんな軋轢の中、失われる自分と見失う君とが怖くて、

とてもとても好きだったけど、それはやがて憎しみに変わった。



そして私は君の誕生日に、さよならを言った。



好きで好きで好きで、だけど憎くて。

誕生日のたびに私を思い出せばいいと、そんな相反する気持ちの中で。


あの時聞いた、君の嫌だという言葉と、そこにあった重さや湿度を、今でも覚えている。



あれからもう何度も何度も春が来て夏が行き、秋と冬が巡った。


今でも私は、季節が巡るたびに君を想う。


そして、今の私なら、あの時の怖さに負けずにいられるだろうかと考える。


もしも君が、もう一度この手を取ったなら、

何もかも投げ出して、今度こそ君とどこまでも行けるだろうかと考える。



だけど、それはきっと、夢。



記憶は、遠くにあるから美しいのだろう。


そして君は、決してそんな風に誰かの人生を無責任に攫ったりはしない。



ねえ、君。



その匂いだけは、驚くほど鮮明に、私の本能が覚えている。


たくさんのキスと、初めての夜。


似たような経験をする度に、私の鼻腔に蘇る匂いがある。


それは、君の匂いだ。



私は君の誕生日プレゼントに傷を贈り、君はその匂いを残した。



今年もまた、君の誕生日がやってくる。


鼻をくすぐる秋の香りと共に、やけにしっかりとした輪郭で蘇る君の匂い。


君もどこかで、あの日のことを思うことがあるだろうか。


あの、誕生日のことを。


そして君も、私の匂いを覚えているのだろうか。





夢だとしても、もう一度、もう一度。





君に逢いたい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ