過去世と現世の照らし合わせ
整えられた建物の中。
其れは、社。其れとも御所。
美しく磨き上げられた白木の梁に美しい板目の床。
最奥の上座は一段上がり、畳が敷かれている。
「其方等が」
其の上座にゆうたりと座す美女は、幾重にも重ねられた綾衣を纏い、表情に乏しい白皙の美貌を真っ直ぐにに闖入者達へ向けた。
闖入者達は、呆然と立ち尽くしている。
手に手に武器を持ち、其の身は鎧で覆われ、戦う心算で来たのであろう彼彼女達は眼前の美貌に只々呆然と立ち尽くしていた。
「其方等が用いる字で、悪、とはこう書くのであろう?」
表情は無い。
声音に感情も無い。
己を弑しに来た複数の者達と、誰もいない状態で対峙しているとは思えない静謐さで、彼女は玲瓏な声音を紡いだ。
一団と美女の間に、不可思議な色味の炎で書かれた、悪、の一字。
「……そうだ」
年若いながらも一団を率いているとみられる青年が、誰よりも美女に近い位置で頷く。……尤も、其の間は四・五十m程は離れているが。
「此の字は」
美女が呟くと、揺らめく悪の字は二つに分かれた。
亜
心
二つの字となった其れを、訝しげに見つめる複数の目。だが、美女は其の気配を全く解せずに言葉を綴る。
「此の字の重なりに因り成される」
淡々と。
淡々と。
「亜とは異なりを意味し、心とは其方等の身の内から生じる無形の存在を指し示すのであろう?」
云わんとする処を悟った者がざわりと気配を変える。だが、大半は何を云おうとしているのか探っている様だった。
「つまり、其方等の悪とは亜なる心……異なる思考を持つ者、と云う事なのであろう?」
云わんとしている処を察し憤る面々を見てなお、彼女の美しい顔に表情は浮かばず……。
「では、此方にとっての悪とは、其方等であろうのう?」
其の揶揄さえ、感情無きが故に全く討伐に訪れた者達の心に響く事は無かった。
「単なる屁理屈じゃないの!」
悶絶した後。
何とか己を再起動させ、眠りと云う心理的外傷に対し高い治癒力を誇る行動を選択したあの夜が明けて、次の日の朝。
目にした人気アニメが明らかに己の過去世とシンクロしている事を寝床での反芻に因り確認し、彼女は痛みは無いながらも確実に痛むこめかみに白魚の指をそっと当てた。
昨日見たアニメの回は、悪役と云うかラスボスである美女と主人公の初の邂逅場面。居城から偶々離宮に出てきた美女を主人公一行が襲うと云う話だ。其処で、主人公一行は、敵との間にあるあまりにも大きな差異を実感する事になる。そんな、回。
ごそごそと枕元に在るタブレットでネットの感想を探ってみれば、彼女の意に反してファンの反応は中々に良く――――――彼女はほっと小さく息を吐いた。
正直。
彼女は思う。
あの時は、単に煩い生き物が来たぐらいの印象しかなかったのよね。
ネットの考察ページでは悪役の深層心理迄読み解こうとするむきもあったが、実際の処、彼女にとってあの邂逅はさして重要なものではなかった。あの時投げた言葉すら、不意に思いついただけの事。だが、あれ以降、主人公達は強硬な姿を彼女に向け始めたのだが……正直、彼女は当時、なんであんなにムキになって突っかかって来るのか、全く理解していなかったのだ。
「まあ、あれよね。相互理解なんて思いつきもしなかったし」
彼女の前世……今世の人気アニメの筋は、簡潔明瞭だ。
人間が住んでいる世界。
魔法が息づく世界。
そして――――――異種族が、居住可能区域の大半を支配する、世界。
異種族は、人間を喰らう。
肉であったり
精神であったり
血であったり
心であったり
夢であったり
骨であったり
思考であったり
喰らう対象はまちまちだが、支配者達は、人を捕食対象として見ている。
だが、しかし。
異種族は、人を愛でる。
友の様に
観察する様に
伴侶の様に
家畜の様に
身内の様に
離れがたき存在として――――――愛玩、する。
そんな、異種族の長が、彼女の前世/アニメの悪役だ。
主人公は、異種族の支配を受けない稀有な国の王子だ。ある日、異種族に阿る人間に因って侵略された彼の国は、自らを凍結させる事に因って国を守った。侵略者達は水晶の様な分厚い氷の壁の向こうへ弾き出され、己達の行動が失敗に終わった事を悟る。そして、其の後……侵略に赴いた者は全て、異種族の長である彼女の手で処断され、処刑された。凍結した国の行く末は諸国を巡り遊学していた唯一の生き残りである王子の手に託される。彼は己が祖国の復活を目指し、仲間を集め、異種族の世界に乗り込んでいく。
まあ、そんな内容だ。
攻めてきた人間が他でも無い異種族の王に殺された事を知り、主人公達は分かり合えるのかと思ったり残虐な事をと憤ったり……まあ、こんな感じの葛藤を繰り返し、物語は紡がれていく――――――だが。
あの時の自分は、と、彼女は思う。
彼等の事なんか本当に何一つ解からなかった。綺麗に整えられた庭園を造り、管理している様なものだ。必要業務として、雑草を摘むように、木々に現れる害虫を駆除する様に、狂った様に襲い掛かる獣を打ち殺す様に……人間を、相手にしていた。其れに対して人を何だと思っているのかと憤る主人公達の心が、本当に解らなかった。なんで怒るのか、見当もつかなかった。
乾いた笑いが、彼女の美麗な顔立ちに浮かんで消える。
今なら、今の彼女であれば理解できる。そうだろうなと納得もできる。
「根底的な認識の差異って怖いわ……」
取りあえず、彼女は其の呟きに全てを集約させると起き上がり、登校の為の準備を始めるのだった。