ワンピース
盗みを働く夢を見る未幸。駅ビルは昔のJR荻窪駅をイメージしました。まったく伝わってきませんね(笑)
刺すような真夏の太陽光線が地面を焼く。雲でもあれば、少しは日陰ができるのだろうが、あるのは、東の空でムクムクと巨大化していく入道雲だ。あの雲が空を覆い尽くす頃には、確かに太陽は隠れるかもしれないが、あたり一面水浸しになるのは間違いない。
三人のうち、一足早く昇降口から校庭に出た洋子は、悲鳴を上げる。
「ぎゃー、暑いー! 融けちゃうー!」
げた箱で下履きに履き替えていた未幸と朋子は、それを聞き、思わず顔を見合わせ、鼻に皺を寄せ合う。
暑いのはわかっている。それをわざわざ言わなくてもいいではないか。こんな暑い日に、自分たちだけ学校に呼び出されているのも嫌なのに、それにわざわざ追い討ちをかけなくとも。
試験準備期間中に負った重傷のため、未幸は試験日に試験を受けることができなかった。そのため、追試という形で期末試験を受けることになった。洋子と朋子は、それぞれ二教科ずつ赤点があり、追試を受けさせられていた。
しかし、今日で全過程は終了。晴れて今日から夏休みだ。
三人は、校舎の外に出て空を見上げる。
校舎の壁に設置された大きな時計は、午後一時四十五分を指している。どこかへ出かけるには少し遅い。しかし、今日は三人でどこかへ出かけたい気分だ。
明日から、三人とも部活が始まる。そうなると、学期中のような、放課後の数時間の練習後、三人そろって帰宅、というわけにはいかない。
陸上部とハンドボール部は、学外遠征が増える。それに対して、吹奏楽部は、校内の音楽室での練習だ。かなり意識的に時間を合わせないと、三人が集まれるのは不可能に近い。
そして、夏季の練習は、通常の放課後の練習に比べてより厳しいものになるだろう。部活が終わったあとどこかに三人で遊びに出ることは、まず不可能だ。帰るなりベッドの上で熟睡することは、三人とも去年の夏で経験済みだ。
「プールに行きたいなあ。暑いし」
洋子は、制服のワイシャツのボタンを一つ開け、体の風通しをよくする。
「お、色っぽーい。色仕掛け?」
「誰によ」
朋子の言葉に、洋子はモデルが取るようなポーズをした後、苦笑する。
結局、どこに行くか決まらぬまま、駅のロータリーに到着する。
真夏の昼下がり。駅前は空いていると思いきや、意外に数多くの人間が行き来している。
上着を小脇に抱えて、汗を拭きながら、小走りに駆け抜けていくサラリーマン。暑いのになぜか、長袖のワイシャツを身につけ、袖をまくっている。
日傘を差しながら優雅に歩いている、マダムとはとても呼びたくない容貌の中年女性。暑いので歩きたくないにもかかわらず、綱で引きずられるようにして歩いている、小さな洋犬がひどく哀れに見える。
道端に腰掛け、原色の色使いの激しい服を、さも流行の最先端にいるような誇らしげな表情で身に纏っている少女たち。服のセンスはまだしも、地面にじかに腰を下ろしているのは、同世代でありながら、理解できない。
自転車をよろよろと漕ぎながら近づいてくる、無職っぽい老人。かつては大企業の幹部だったのか、はたまた工場の工員だったのか。手入れをまったくしていない髭面の茶色い顔は、かつての彼を、より悪い方に連想させる。
水着を入れたバッグを、まるで投げ縄のように振り回しながら、駆け抜けていく数人の小学生。髪がぬれているところを見ると、プールの帰りだろうか。
ロータリー内で客を待つタクシーの運転手も、この暑い中、窓を開け放して、団扇で扇ぎながら客待ちをしている。とはいえ、客がこないのもわかっているのだろうか。側を人が通っても、そちらのほうを見もしない。
彼らは、それぞれどこか別の目的地に向かって、この暑い中を歩いているのだろう。
だが、アスファルト砂漠を学校からずっと進んできた三人にとって、そんな人たちはただの景色でしかなかった。
どこかで冷たいジュースを一気に飲み干したい。
その衝動に駆られている。
だが、歩いているうちに、ただジュースを飲むだけでは飽き足らず、どこか涼しいところで座って甘いジュースを飲みたい、と目標がより高いレベルに設定されていた。
三人は、何の打ち合わせもせぬまま、駅前のデパートに入っていく。
デパート内のファストフード店にたどり着いた三人は、一番奥の席をカバンで場所取りをすると、そのままカウンターへ行き、ジュースと各自食べたいものを注文する。
途中すれ違った店員は、非常識な高校生の場所取り行為にむっとしていたようだったが、砂漠を歩いてきたような気になっている三人は、気にも止めない。
各自盆に注文したものを載せ、席に戻ってきた三人は、ジュースの入った紙コップを掲げて、乾杯する。
「お疲れー!」
乾杯が済むと、三人はジュースを一気に飲む。そして、まるで一口目のビールを飲み終わったような、開放的なため息をつく。
「くーっ! やっぱり、テスト明けの一杯は格別だねー」
「洋子、親父くさいって」
朋子は、間髪いれずフライドポテトを口に咥える。その後、大きく伸びをし、背もたれに寄りかかる。
「朋子も親父くさいよ。その格好は女子高生の格好じゃないって」
未幸は笑いながら、包装紙を剥いたハンバーガーにかぶりつく。
「未幸はワイルドだわねー」
予想外の朋子の言葉に、未幸は不満げだ。
だが、鏡を見てみな、と言われ、自分のかばんから鏡を出して、自分の顔を写した未幸は、口中にマヨネーズとソースが混ざったものをつけたまま喋っていたことに気づき、慌てて紙ナプキンで口の周りを拭う。
三人は、ある程度落ち着くと、夏休み中の予定について話し合った。来年の夏休みは、大学受験に備えて勉強三昧だろうから、三人でどこかに出かけるのであれば、今年の夏休みが最後だ。
未幸の夏の予定は、明日から七月いっぱい、校内で練習。八月の最初の二週間は休みで、その後は、十月に行われる市の運動会のオープニングセレモニーに向けての練習が控えている。休みの最初の週は、家族で旅行に行く。
洋子の予定は、夏休みほとんど全てが練習だった。夏休みの後半にある陸上の大会に向けて、合宿が目白押しなのだ。おそらく、家族のイベントはあっても参加はできまい。
朋子の夏の予定も、また過酷だった。お盆時期だけは、ハンドボール部の顧問の都合で休みになっているが、それ以外は、洋子同様練習三昧だ。しかも、夏休み後半は遠征ばかりで、学校にはほとんどこないという。
「予定、合わないもんだわねー」
朋子は、再びジュースのストローを口に運ぶと、口にくわえながら呟く。
「この中じゃ、私が一番暇、みたいね。なんか、いい方法ないかなあ」
未幸は、朋子と洋子の予定を書き込んだ、小さなカレンダーを見る。カレンダーには、自分の予定が青、朋子の予定が緑、洋子の予定が紫で書き込んである。
と、洋子が未幸のカレンダーを奪い去り、三人組の予定のどれにも合致しないピンクで書き込まれた予定を指差す
「あ、これ、彼の予定? ……のわりには、ぜんぜん会ってる時間なさそうね」
そうなのー、と泣きまねをする未幸の頭を、洋子は子供を宥めるように撫ぜる。
何とか予定をあわせられそうなのは、お盆中のみのようだ。三人は、何とかお盆までにお互いに連絡を付け合って予定を調整することにして、ファストフード店を出る
駅の改札に向かうには、駅ビルの中を縫うようにして歩いていくのが一番早く、そして涼しい。三人も、例外なくそのルートを取る。
駅ビル内は、まるで裏路地の狭い敷地内にひしめく商店街のようにたくさんの店が軒を連ねている。ただ、裏路地のそれのような、薄汚いというイメージはなく、むしろ若者向けに店舗を飾り立てた店がほとんどた。CDショップや書店、雑貨屋も完全にターゲットを若者に絞っている。
その中の一軒に、若者向きの普段着を売る店がある。
三人は、その店に入っていく。三人で出かけるときの服を選ぶ為だ。といっても、高校生の彼女達に金はない。恐らくウインドウショッピングだけになってしまうだろう。
朋子と洋子は、それぞれ見たい服のコーナーに移動する。そして、掛けられた洋服を手にし、自分の胸の前に当てて鏡を見たり、服のサイズをみたりして、ショッピングを楽しんだ。
未幸も他の二人についていくように、いろいろな服を見ていたが、ふと彼女の目に止まった服がある。それは、彼女好きな薄いピンクのワンピースだった。派手ではなかったが、胸の真中に縫いこまれたひまわりのアップリケが、酷く彼女の興味を惹く。
未幸はスッとそのワンピースに近づき、マネキンに着せられた様をじっと見ていたが、直ぐに、自分のサイズにあったワンピースを陳列棚から選び出し、胸に当ててみる。
「これ……どう?」
自分たちの服を物色していた朋子と洋子は、手を休めて未幸のほうを振り返る。
しばらく未幸が胸に当てた服を見つめていたが、未幸のほうによってきて、彼女が手にするワンピースの裾を持ったり、裏地を見たあと、声を揃えて言う。
「かわいい! これ、いいよね。でも、似合うのは未幸だけだなあ」
朋子は未幸からワンピースを受け取ると、自分の胸に当てて鏡を見る。すると、薄ピンクに彼女の焼けている肌は、肌のほうが色が強すぎてあわない。
「色白でないと、着れないわ、これ」
そっか、とワンピースを受け取った未幸は、もう一度自分の胸に当てた後、陳列棚に返す。
「買わないの?」
「買えないでしょうが。私、バイトしてないから。でも、この服買うためにバイトしちゃうかなあ。ばれたら退学か」
未幸はそういうと、腕時計を見る。
「あ、もう四時過ぎだわ。そろそろ行こう」
未幸の言葉に、二人はかばんを持って店から出る。
朋子と洋子の二人は、特に気に入った服があったわけではないので、何事もない様に駅の改札に向けてあるいていくが、未幸は、あのピンクのワンピースに酷く惹かれる。あるきながら、もう一度、マネキンが身に付けているワンピースを見て、それから二人の後を追う。
けたたましいせみの声が、至福の世界から未幸を引きずり出す。だが、かわいげのない電子音によって、叩き切られる夢の終わり方よりは幾分ましのような気もする。
ベッドの中で大きく伸びをすると、ベッドのそばに置かれた白い目覚まし時計を、だるそうに手を伸ばしてとる。眠い目を擦りながら、何の装飾も施されていない時計を見ると、針はまだ六時前を指している。目覚ましがセットされている時間と比べても約三十分早い。
未幸はもう一度目を閉じて眠ろうと思ったが、一度せみの声でたたき起こされると、暑さのほうが先にたち、どうにも寝ることができない。それに、パジャマにしみこんだ寝汗が気持ち悪い。
未幸は、ベッドから起きだすと、洋服タンスから下着を引っ張り出す。そしてそのままシャワーを浴びるため、階下へ降りていく。
階段を下りるとすぐ、居間へ通じる扉がある。扉が閉まっているところを見ると、クーラーがついているのだろうか。未幸は、居間に入る。
「わー、すずしい。お母さん、朝っぱらからいい思いしてるわねー」
朝食の支度をしていた母親は、振り返ると、自分のことは棚にあげ、未幸の格好を注意する。
「なんて格好しているの、パジャマでうろうろして。シャワー浴びてくるんでしょ? 早く浴びてらっしゃい!」
母親は、再びコンロのフライパンに目を落とし、しきりにフライ返しで中のものをいじっている。
横着な母親のことだ。どうせ、ベーコンを解凍しないままフライパンに放り込み、フライパンの熱でベーコンが溶け始めてきてから、不器用にベーコンを分けようというのだろう。レンジで解凍すればそんな面倒くさい事をしなくてもいいのに。コンロの前から電子レンジまで移動する手間を惜しむから……。
未幸は母の背に向けて舌を出すと、風呂場へと移動する。
シャワーを浴びながら、彼女は、今朝方見た妙な夢を思い出していた。
夢の内容は、いつのまにか、未幸がピンクのワンピースを手に入れている、というものだった。ワンピースは、もちろん、昨日未幸が、朋子や洋子とウインドウショッピングをしていたときに見た、あのワンピースだ。
買った場面は覚えていない。ただ、これも不思議な夢だった。
薄暗く、誰もいない店舗の中で、どこからか持ってきたバールをレジのそばに置くと、ワンピースを胸に当てて、喜んでいるのだ。その前後の情報はまったくない。ただ、レジのそばに置いたのが自分の持ってきたバールだという意識だけはあった。
そこで夢は途切れていた。不思議なことに、夢が突然途切れ、目が覚めたわけではなく、昨日の晩から今日の朝方のどこかで見た、という感じの夢だった。
(何でバールなのかしら? まあ、いいけど)
未幸はシャワーを終えると、ワイシャツに部屋着のズボン、といういでだちで居間へと向かう。
居間に行くと、すでに朝食が出来上がっていた。メニューは、炒めたベーコンと目玉焼き、そして、食パンが二枚。
未幸は、それをさっさと平らげると、皿を台所に片付け、そのまま二階に上がろうとする。
「なぁに? そんなにあっさり食べちゃって。もうちょっと味わってよね……」
味わうも何も、二分もあればできてしまうような朝食なのに、何をそんなにもったいぶってるんだろう、と思ったが、いらぬトラブルを招く必要もない、と考えた未幸は、
「はあい。ごちそうさま」
と、機械的に答え、そのまま二階に上がる。
部屋に戻った未幸は、観音開きのクローゼットを開ける。そこには、どんな服よりも履く頻度の多いスカートが、未幸のほかのお気に入りの服と共にかけてある。
未幸は、スカートを取り出すために、他の洋服を掻き分ける。すると、見覚えのない洋服が目に付いた。見覚えがない、という表現は正しくないだろう。まさに昨日見た服なのだ。ただ、そのワンピースが、未幸の服の一員としてクローゼット内にあることに覚えがないのだ。
もし、彼女の誕生日やクリスマスが近く、母親にこのワンピースが欲しい旨を伝えていたとすれば、彼女に内緒で母親か祖母が購入してくれている可能性はある(もちろん、その場合でも無造作に彼女の部屋のクローゼットにかけてあるとは考えにくいが)。
しかし、彼女はそれを母や祖母に伝えていない。となると、なぜこのワンピースはここにあるのだろうか。
彼女は、その薄ピンク色のワンピースをクローゼットから取り出し、顔の前でワンピースを広げてみる。
間違いない。
確かに、昨日、駅ビルの中の洋服店で見たワンピースだ。胸のひまわりのアップリケに見覚えがある。
未幸は値札を探す。値札はついたままだ。ということは、誰かの服が間違って混入したわけではなさそうだ。
母親が買ってくれたのだろうか。そういえば、母親とは好みが合う。知らない間に、母親が未幸用の服を買っておいてくれることもある。しかも、それは未幸が以前、着てみたい旨を伝えた服である場合もないわけではなかった。
そこで、未幸は我に返る。
もう家を出なければ、部活に遅れる。
彼女はワンピースをクローゼットに戻し、制服のスカートを履くと、カバンをもち、そのまま家を飛び出す。
高校に向かう電車の中で、おなじ高校の制服を見つけた。だが、知り合いというわけではないので、声はかけない。ただ、話が盛り上がっているようなので、なんとなく神経がそちらに行く。
ところどころ彼女の耳に届かないところもあったが、要約すると、次のようなことだった。
昨晩、高校の最寄の駅ビルに泥棒が入ったらしい。その泥棒は、何もとらずに逃げたようだ。
未幸は、つり革を掴む手を握りなおす。思わず、自分のことを言われているような気がしたのだ。
だが、それは、疑似体験だと思った。
つい先日、生まれて初めて彼とキスをした日の晩、家で見たドラマの登場人物がキスをするシーンを見て、恥ずかしくて画面を見ていられなかったことがある。
その時の感覚に似ている。
未幸は、思わず苦笑する。知らない人間の噂話を、自分のことをいわれているように感じる。まるで被害妄想だ。
(あの夢の中で、私は、ひょっとしたら、泥棒に入ったのかもしれない。あのバールは、ショウウインドウを破るために使ったのかもしれないわね)
未幸は、冷静に自分が夢の中でとった行動を分析する。
(でも、ショウウインドウをバールで割ったら、警報機とかも鳴っちゃうわよね。多分。夢の中の私は、どうするつもりだったのかしら?)
いつのまにか、未幸の周囲の音は遠くなり、彼女は空想の世界にのめりこんでいた。
(あらかじめ、警報機の配線を調べ、ならないようにしておく? でも、警報機の型がわからないと、配線の調べようがないわよね。であれば、下見をしなきゃいけない。下見をしていることを店の人に気づかれないようにするには、どうすればいいかしら? やっぱり、客として下見するのはまずいわ。商品以外のものをじっと見ていては、まずいもの。やっぱり、その店でバイトするのが一番ね……)
彼女が我に返ったのは、降りなければいけない駅の三つ先だった。
未幸は部活に遅刻した。




