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自作自演  作者: かえで


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2/14

未幸

並列する世界の起承転結の「承」部分です。

「ね、未幸!」

 五限目の日本史の授業が終了した次の瞬間、未幸に体をぶつけるように腕を絡めてくるのは、クラスメートで友人の洋子だ。

「わ、びっくりしたぁ」

 桜の花びらと共に甘い香りを運んでくる風が、窓のふちにまとめられた教室のカーテンをさらりと撫ぜる。やわらかい春の日差しは、窓側から二列目の未幸の席を掠め、彼女をやわらかいまどろみの世界へと誘っていた。

「また寝ていたの?」

 洋子は、呆れたように絡めていた腕を放し、立ち上がる。

「あら、失礼ね。これでも私は、世界悠久の平和に思いを馳せていたんだからね」

 未幸は、透き通るように白い頬をぷっと膨らませて見せる。肩まである黒髪が耳にかけられているので、膨らんだ頬の輪郭がはっきりと浮き出る。それはまるで、焼きたての餅のようだ。

 洋子は、未幸のあまりにも見え透いた言い訳に、思わず吹き出し、未幸の肩を軽く叩く。

「でも、その割には口元に白い粉ついているよ?」

 未幸は、慌てて口元を擦る。どうやらまどろんでいる間はずっと口元が緩んでいたらしい。擦っただけでは不安なのか、通学用の黒カバンから手鏡を出し、自分の口元を映してみる。確かに白い粉が、なまずのひげのように口元から顎に向かって伸びている。

 未幸は先ほどよりも慌て、強く口元を擦る。

 洋子は飛び乗るように未幸の机に腰掛け、髪を束ねていた水色のゴムを外す。頭を揺すって髪をなじませると、いまだに口元をごしごし擦る未幸の頭に手を乗せ、ぐりぐりと撫で回す。

「しかしまあ、よくも毎日授業中寝てられるわねー」

「その点はあんたも同じだわね。違うのは成績だけ」

 洋子の健康的に焼けた頬に拳を軽く当て、殴るしぐさをして見せたのは、同じく浅黒い少女だ。彼女も洋子と同じく屋外の運動部で鍛えているせいか、全体的に引き締まったイメージを受ける。ただ、洋子が陸上部であるのに対して、彼女は長髪禁止のハンドボール部だという違いはあるが。

「いったなー! 朋子、あんただって授業中寝ているじゃないの!」

「あたしだって、あんたより点数いいもん」

 三点だけど、と呟くように付け加える朋子。

「成績がよかろうが悪かろうが、授業中に寝ちゃいかん!」

 三人の背後で、野太い男の声がし、直後に出席簿が三人の頭を直撃する。

「いったーい!」

 朋子が抗議の声をあげ、彼女たちを叩いた人間をみやる。

 教卓から歩いてきた若い教師は、教える科目に似合わぬがっしりした腕で、出席簿をバシバシ叩いてみせる。短髪にTシャツ、ジャージというその格好は、どうみても日本史の教諭というよりは体育の教師だ。

「これが痛いわけないだろう。お前ら、いつももっと痛い思いをしているだろうが。これが痛いというなら、危ないから部活出席禁止!」

 朋子も洋子もあんぐりと口をあける。全く無茶苦茶な理屈だ。

 確かに、ハンドボールをしていれば、飛んでくるボールに当たることもあるだろう。陸上をやっていれば、ハードルでむこうずねを打つこともあるだろう。それを経験している人間が、たかだか出席簿で軽く叩いたくらいで痛がるなら、とてもではないが危険を伴う部活に参加することなどできないだろう、というのだ。

 だが、その冗談めいた罰則も、洋子や朋子にしてみれば、一日の楽しみの大半を奪われてしまうことに他ならない。二人は素直に謝る。

「では、罰として、次の中間テストで八十点以上必須な」

 彼はそういい残すと、教卓に戻っていく。「んじゃ、このままホームルームやるぞ」といいながら。

 朋子と洋子は顔を見合わせ、思わず鼻に皺を寄せて見せる。

「やっぱり罰則あるんじゃんね。謝るだけ損した」

 二人のやり取りを見ていた未幸は、思わずくすっと笑う。

「未幸、笑っているけど、あんたもよ?」

 鼻に皺を寄せてうめく朋子の肩に手を乗せる洋子。

「バカねえ。未幸にとって、あんなの罰則のうちに入らないわよ」

 この健康的な二人の友人は、未幸の高校生活にとってかけがえのない存在となっていた。

 入学式の後、教室で行われた初めてのホームルームで朋子が話し掛けてきて以来の仲だ。

 三人とも違う部に属している。だが、どの部活も月曜日が休みだった。三人の友情は毎週月曜日に順調に育まれていった。カラオケボックス、ファミレス、ショッピング。三人ですごす時間は、そのローテーションだった。もっとも、場所がどこであろうと、やることと言えば、三人でとめどなく話すだけなのだが。

 教壇に立つ教師が、ホームルームが始まるのにまだ席につこうとしない朋子と洋子に追い討ちをかける。

「早く席に着けよー! 八十五点以上にするぞー」

 朋子と洋子は、カエルが踏み潰されたときのような奇妙な悲鳴をあげ、慌てて自分の席に戻る。


 ホームルームの間、未幸は何気なく窓の外を見ている。

 窓の外では、先に終礼を終えた女子高生たちが、甘い吹雪の中、校庭を突っ切って校門へと足早に歩いていく。ある者は小走りに、そして、ある者は友人達と肩を並べて。

 味気ない高校生活になるかもしれない、と言ったのは入学してすぐの洋子だった。

 確かに、学園祭や体育祭があっても、男子がいないと盛り上がりに欠ける。

 だが、未幸は大して気にもしていなかった。実際、入学して一年と少し経った今ですら、彼女の中では大きな問題にはなっていない。

 中学生のときには、華やかな高校生活に憧れていたこともある。かっこいい運動部の先輩との淡い恋愛を夢見て、胸躍らせたこともある。けれども、それがなければ生きていけないと言うほどではない。

 今の生活にはそれなりに満足している。親友の洋子や朋子と共にカラオケボックスで馬鹿をやるのも楽しいし、吹奏楽部で、市の演奏会を目指して練習するのも充実感が得られる。

 将来何をしたいか、という明確な目標はまだなかったが、とりあえず大学に入って、就職して、結婚して……、という普通の生活をしていくのだろう、という漠然とした将来像は描いていた。

(今日は、吹奏楽部も休みだし、洋子と朋子とどこかに行きたいな……)

 ホームルーム終了後、帰宅の準備を整えた洋子が、再度未幸の席に寄って来る。

「ね、未幸、今日は吹奏楽部休みでしょ? カラオケボックス行こうよ」

 カバンに教科書類をつめ終わった未幸は、いいよ、と洋子に向かって頷くと、朋子にも声をかける。

 朋子は少し考えるようなしぐさを見せ、わざとらしく眉間に皺を刻んで見せる。

「……今日は、家で勉強しようとおもったけれども、しかたないわね。庶民の遊びに付き合ってあげるわ」

 なーにいってるのよ、と二人にひじで小突かれた朋子は思わず吹き出す。その笑いにつられ、二人の女子高生は弾けるように笑った。


 下駄箱で下履きに履き替えた三人は、舞い散る桜の花びらの中、肩を並べて校門に向かって歩き出す。

 三人が通うカラオケボックスは、学校から歩いて十分ほど。彼女たちの高校の最寄り駅、南口商店街の一角にある。そこに週に一度は必ず通い、多いときは四時間もマイクを握る。通い始めた当初は、制服での来店は困る、と渋り顔だったカラオケボックスの店長も、今では彼女たちの顔を覚えており、快く迎えてくれる。

「今日、店長さんに何か買っていく?」

 未幸と洋子の前に走り出た朋子は、進行方向にくるりと背を向け、後ろ向きに歩きはじめる。人目がなければスキップでもはじめそうな勢いだ。

 教室では渋って見せていた朋子だったが、いざカラオケボックスに行くとなると一番張り切るのは彼女だ。どうも、カラオケボックスの店長が気に入っているようだ。彼女の弁を借りると、押さえつけたようなオールバックに口ひげと、濃い目のメガネからちらりと覗くやさしい瞳がたまらなくいいのだそうだが、洋子も未幸も首を傾げざるを得ない。

「何でもいいけど、タバコだけはやめなさいよね」

「そうそう。コンビニで買うにしても、自販機で買うにしても、他の人の視線が痛いんだから」

 朋子は二人の忠告を、手をひらひらと振りながら聞き入れる。

「あー、もうタバコは持っていかない。店長さんに怒られたもん。『たとえ君が吸わなくとも、持っているだけで、周りの人に吸っていると思われてしまうぞ。そうなったら君も困るだろう』ってね。ああ、彼も私のことを心配してくれているのね」

 今にも小躍りしそうな朋子をみて、未幸と洋子は、また始まった、と思わず顔を見合わせ苦笑する。

 カラオケボックスの店長が発した言葉が何であろうと、朋子にしてみれば、それが自分に対する愛の囁きとして聞こえているのは、紛れもない事実だった。

 突然洋子が立ち止まる。未幸は、左隣にいた洋子が突然視界から消えたことに気づき、思わず歩みを止める。朋子はそんな二人を見て異常を察知し、校門のほうを振り返る。

 校門の門柱の側で、二人の男女が、三人のほうを見ながらなにやら話し込んでいる。しかも、話の途中で、女性のほうが三人のほうを指差しているのだ。

 女性が着ているのは未幸達と同じ制服。男子については、着ている物が、どこにでもあるガクランなので、未幸達の立っているところからでは、どこの高校の生徒なのかわからない。ただ、無造作に刈り上げられた髪の毛が、その少年を必要以上に幼く見せ、同時に純朴そうに見せている。

 男子高校生と話している女生徒が、未幸に向かって手招きをする。男子生徒が未幸に用事があるらしい。

「あれ?」

 未幸は、その男子高生に見覚えがある。通学時に同じ車両に乗っている高校生だ。四月の初めから乗り始めてきたところを見ると、今年入学なのだろう。しかし、なぜ彼がここにいるのだろうか。彼は未幸が降りる場所よりも二駅前に降りてしまう。彼がここにくるはずはないのだ。

 未幸の言葉にぴんときたのは洋子だ。

「未幸さ、最近気になる子がいるって言っていたじゃない。それって彼のことなの?」

 未幸は自分の頬が徐々に紅潮していくのが分かる。顔中が熱くなっていく。

「そんなこと言ったっけ?」

 未幸の真っ赤になった顔をみた洋子は満足げに頷き、未幸の背中をぽんと押し出す。

「待っていてあげるから、行っといで」

 未幸は照れ隠しに思い切り鼻に皺を寄せて見せる。だが、洋子も朋子も、まるで野良犬を追い払うように、未幸を追い払った。

「どんなに強がっても駄目よ。顔真っ赤だもん」

 洋子の言葉が、歩き出そうとする未幸に、追い討ちをかける。

「……うるさいな」

 未幸は舌をぺろりと出し、あかんべえの真似をすると、校門のほうへと小走りにかけていく。

 後に残された二人は、改めて首をかしげる。

「あの子も不思議な子よねぇ。言い寄ってくる男も多いのにね。よりによって、何であんな子供っぽい子がいいんだろ?」

「さあねえ……。私にはわからないわ。私はアダルトでダンディな男性しか興味がないの。ああ、義和さん……、朋子はすぐに参ります……」

 再び、白昼夢に溺れる女子高生に戻った朋子に対し、あとずさりながら、まるでおぞましいものを見るような表情をしてみせる洋子。

「あ、ひどぉーい。そんな目で私を見ないでぇー」

 アニメのぶりっ子キャラのようにくねり寄る朋子の額を右手で押さえつけ、洋子は歯を剥く。

「えーい、よるな! 朋子菌が感染る!」

 一瞬の間の後、二人は大笑いする。


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