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第六話


 美紗緒は、学校から程近くにある公園にいた。

 日も落ちて、深い青に染まる空には、痩せた三日月が出ている。

 静まり返った園内には自分以外の人影はなく、まるで海の底にいるようだ、などと益体もないことを思い浮かべる。

 傍らに設置されたベンチに座りもせず、じっと仁王立ちのまま、待ち人の到着を待ち構えている。

 どうにも落ち着かない。不意に尿意を感じるも、もうすぐこちらが指定した時間だ。待つか、今のうちに近くのトイレに行っておいた方が良いか、と迷い悩んで、意を決して足を踏み出しかけた直後、

「――黒河」

 唐突な呼び掛けに、鼓動が跳ねる。

 気取られぬようゆっくり深呼吸を一つ、美紗緒は声のした方向、背後へと振り返り、

「……原、田?」

 確かめるように名を呟いて、美紗緒は思わず一歩、後退る。

 そこに、もはや親しい友人の面影は残っていなかった。背は古木の如く折れ曲がり、頬は痩せこけ、顔色は青白い。真っ赤に充血した目だけが、爛々と異様な輝きを放っている。

 変わり果てた原田を眼前に、美紗緒は、男の推測が悉く的中していたことを思い知った。


  ◆


 数時間前、渋々ながら依頼を請け負った男は、まず心当たりを話せ、と言い付けた。

 美紗緒はいそいそと服を着込みながら、一カ月前の突然の告白と、申し出の辞退、それに端を発する嫌がらせと、一部始終を話した。

 きっと、呪いもそんな嫌がらせを行う誰か、女子生徒が行っているのだ、と自身の予想を語る美紗緒に対し、男は違ェな、とあっさり一蹴、今夜、原田を呼び出せ、と指示してきた。

 なぜ、と問う美紗緒に、男はあからさまに小馬鹿にしたような顔で答えて曰く、

「さっきも言っただろう? 起請文ってのは、人と人の約束を、神様の前で誓う契約書なんだよ」

 だからなんだ、と眉を顰める美紗緒に対し、ぴ、と一差し指を立てて、

「昨今じゃ西洋式が主流みてえだが、我が国にも男女が神前にて行う儀式があるだろ」

 しばし考え、はっとする。

 同時に、まさか、と思う。

 狼狽する美紗緒を見、男は草刈り鎌の如き鋭利な笑みを浮かべて、

「――そう、婚姻の儀だ。話に聞く限りじゃずいぶん好青年らしいが、こりゃあなかなか、イカレちまってるなぁ?」


  ◆


 原田が浅く俯いたまま、口を開く。

「なぁ、黒河、オレ、やっぱり諦められないんだよ……」

 原田の足元、外灯に照らされて引き伸ばされた影から、がぁ、と不吉な鳴き声が漏れ出してくる。

「だっておかしいだろ、俺が、この俺が、付き合ってくれって、頼んでるのに、断るなんて、なぁ、黒河?」

 呟きに呼応するように、影から響く鳴き声の数も加速度的に増えていく。

「この俺が、好きだって、嫌だ、言ってるのに、苦しい、おかしい、この俺が、誰か、言って、なんで、助けて、黒河、わざわざ、頼んでるのに、逃げて、クロカワアガ、ア、アア――」

 原田の体が、びくん、と痙攣する。

 天を仰ぎ、目を見開いた原田の口内から、ずるりとカラスの頭部が這い出してきて、

『――言ッテルンダカラ、ナァ?』

 老人のように嗄れた声で、彼の台詞を引き継いだ。

 ぞく、と全身の産毛が逆立つ。昨晩感じたものなど比にならないほどの嫌悪と恐怖に、美紗緒は悲鳴すら上げられずにその場にへたりこむ。

 悪夢が始まった。

 苦悶の表情で身を捩る原田の口から、堰を切ったようにカラスの群れが溢れ出す。

 明らかに身体に収まる限界を超えた暗黒を吐き出して、原田が糸の切れた操り人形の如くその場に突っ伏す。

 上空、原田の身体から現れた烏の群れが、狂ったように鳴き喚きながら闇夜を旋回、密集して黒の塊と化す。

 中空に浮かぶ球状の塊が、ぐにぐにと意思ある粘土の如くその形状を変え、巨大な烏を象るに至る。

 肩を震わせ後ずさる美紗緒を見下ろし、大烏が嘴を開く。

『――契ル、女、誓イ、神二、血ヲ、叶エル、罰ガ、』

 無数の嗄れ声が重なった、聞く者の神経を鑢がけるような不快な声で、大烏は単語の羅列を吐き出し続ける。

 悪意、敵意、害意、殺意、それら全てを内包した邪悪な意思が、自分一人に向けて放たれているのがはっきりと分かる。

 理解した途端、唐突に胃が迫り上がった。胃液が逆流し、口いっぱいに酸味が広がる。

『破ル、捧ゲ、我ハ、願ヒ、堕チル、死ヌ、破ル、罰ヲ……!』

 逃げなくては、と思うのだが、手足はおろか、指先一つまともに動かせやしない。

 常軌を逸した音量のノイズに頭の中を掻き毟られながら、美紗緒がはっきりと逃れられぬ死を意識した――

 その時だった。

「……いやはやまったく、蓼喰う虫もたァ云うがねェ。一体全体、そんなじゃじゃ馬のどこがいのか」

 周囲の騒音の中、場違いなまでにのんびりとした声が上がる。

 声のした方向、男子トイレからふらりと現れる人影。

 四方八方に伸び放題なボサボサの髪に、まるでやる気の感じられない寝むたそうな目付き。身に着けている真白な装束が酷く不釣り合いで、手には折れ曲がった木の枝らしきものを携えている。

 そんな、平時に出くわしたならば視線を合わさぬようそそくさと距離を取りたくなるような不審人物の姿を見、美紗緒は腰が抜けるほどの安堵を覚えながらも、

「――い、いるならはやく出てこいよ鳥の巣アタマ!」

「っせぇなァ、登場に相応しい出処ってもんがあんだろうが」

 ガリガリ髪を掻き毟る男の登場に、怪鳥が強烈な反応を示した。

 双翼を全開に、ギャアギャアと耳障りな叫声を上げる大烏を眇め、男はフン、と鼻で息、

「おうおう、いっちょ前にビビってやがるか雑霊風情が。そこまで流暢に人語を操るたァテメェ、ヨリマシのみならず周囲一帯の穢れまで根こそぎ取り込みやがったな?」

 独白に応じるように、ノイズがより一層音量を増す。

 ガラスを引っ掻く音を何倍にも増幅したかのような耐え難い騒音に、美紗緒は堪らず両手で耳を塞ぐのだが、

『誓イ! 賜イ! 願イ! 我ハ! 我々ハ――」

 聞こえる重言は、熱狂と恐慌とが入り混じった響き。

 来る。

 殺到の予感に、美紗緒が身を竦ませると同時、

『――神! 契ル! 千切ル・血伐ル・咬ミ・千斬ルッ!!』

 声高に死の宣告を叫び、大烏が飛翔した。

 その巨体で三日月を覆い隠し、傲然と滞空する大烏に対し、男はハン、と鼻で息、

「させやしねェよド三一サンピンっ!」

 胸すくような啖呵を切って、頭上の大烏を真っ向睨み付け、

「貧窮の貧・疫病の疫・死忌しいみの死! 悪縁奇縁・不遇に未練! 斬り捨て祓いて浄と成す!」

 声も高らかにカッ、と大見得を切って、

「我こそは――岩守神いわもりがみのエンキリサマよ!」

 名乗りに呼応するように、巨烏が翼を広げた。

 ばさりと風撃たく大烏の翼、その羽の至る所から、ずるりと烏の頭部が生え出してくる。

 みるみるうちに数を増していく烏の頭部が、瞬く間に双の黒翼を埋め尽くす。

 蠢く赤の光点、その一つ一つが、銃口の如く眼下の獲物に向けられる。

 無数の視線に射貫かれて、美紗緒はひとたまりもなく身を竦ませる。

 殺意が溢れ、充満し、決壊寸前まで膨張して、

 ――来る!

 思った直後、身の毛も弥立つような絶叫を号令に、翼に潜む烏の群れが一斉に発射された。

 雲霞の如く殺到する黒の弾丸を前に、男は美紗緒を背に守るように立ち、

「神の威を借る雑霊風情にゃ振るうも惜しいが、黄泉路の土産にご覧じやがれ! 三縁断ちの菊理くくり刀ォ!」

 肩に担いだ木刀を、右に左に振り払う。

 一般的な木刀よりも短く、くの字に折れ曲がった奇妙な刀を、男は野球のバッターの如く八双に構えて、

「おゥら!」

 節付け唄うようながなりと共に、一度二度三度とフルスイング。

 直後、眼前にまで迫ってきていた烏の群れが、いとも呆気なく黒の飛沫と化して闇夜に散った。

 己が目を疑う美紗緒の眼前で、男はなんとも楽しげに弾んだ声で、

「そォら!」

 なおも豪雨の如くに降り注ぐ弾丸の群れに対し、上下左右出鱈目にフルスイング。

「まだまだの――」

 鼻唄まじりに黒の怒涛を切り分け払い、

ここたり!」

 横一文字の一刀を締めとして、男は言う。

「どしたい、もう弾切れかい?」

 挑発を受け、大烏が動いた。

 三度羽撃ち、旋を巻いて急降下。地に触れるほどに低い滑空の目的は単純にして明快、その巨体を武器として体当たりを仕掛けるつもりなのだ。

 巨大な壁が迫ってくるような、絶望的なまでの圧迫感を前にして、それでも男は躱そうともせずに、

「ここらで幕引といこうかい!」

 旋風の如く、ぐるりとその場で一回転、腰を落として待ち構える。

 彼我の距離が秒と掛からず零に近付き、衝突する、その瞬間。

 美紗緒は、はっきりと目撃した。

 突き出された一抱えもある巨大な嘴を、男は身に纏った白装束に触れる程の紙一重で躱し、

ももの!」

 放った大上段からの唐竹割りが、大烏の眉間へと振り下ろされる。

 怪鳥の巨体を地に墜とすほどの剛の一刀はしかし、それだけでは終わらずに、

のォ!」

 返す刀が真円を描き、剣先が地面を擦るようにして下から上へ、嘴を強かにかち上げる。

 天地二段の痛打を受け、怪鳥の巨躯が大きく傾ぎ――

 しかし、倒れない。

 両の瞳に爛々と憎悪の光を宿らせて、大烏は双翼を全開に、眼前の仇敵は勿論、その背後にへたり込む美紗緒をも圧殺せんと倒れ込んでくる。

 だが、それでも男を止めるには至らなかった。

 袈裟から入った鬼神の一刀が、稲妻の如き軌跡を描く。

 斬り払いの勢いを殺さず旋転、半弧を描いて返す刀は、大上段に振り上げられていて、

よろずッ!!」

 刹那の閃きが、大烏の巨躯を縦に裂く。

 すっぱり四つに断ち分かれた大烏に背を向けて、男は木太刀を左右に振るい、とん、と肩に担ぎ上げて、

「――御縁、断ち切りまして御座候」

 直後、大烏の巨躯が爆散した。

 烏の濡れ羽の漆黒が、純白の吹雪と化す。何十枚もの起請文が千々に裂かれ、幾千幾万の紙片となって、桜花の如く風に舞っているのだ。

 此の世のものとは思えぬほど、幻想的で美しい風景を背に、男はいつもの厭味な笑みを浮かべつつ、こちらに手を差し伸べてくるのであった。


  ◆


 その後がまた大変だった。

 ぴくりとも動かない原田の頬を往復ビンタで叩き起こし、男からぶん奪った木刀を手に問い詰めた所、彼はおとなしく己が罪を認めた。

 だが、話を聞くにどうも記憶が混乱しているらしい。交際を断られた腹いせに、携帯サイトで知った呪いに手を出したところまでは覚えているのだが、そこから先は霞がかったように思い出せないと言うのだ。

 兎も角、迷惑をかけた自覚はあるらしい。原田は今にも土下座せんばかりに謝りに謝り倒し、どのような罰も受けるなどと言い出す始末であった。

 ちょっと引くぐらいのテンションで迫り来る原田に無罪放免を言い渡し、それでは申し訳が立たないと食い下がる原田に対しついに堪忍袋の緒がブチ切れ、手加減無しの全力ビンタを一発、「とにかく眠いんだから少し寝させろっつってんだよこのシャバ僧が」と怒鳴りつけ、無理矢理家に帰した。

 その後、「そんじゃな」と一言を残して立ち去った男と別れ、美紗緒も家路に着き、久しぶりに、本当に久しぶりの安眠を心行くまで貪ったのであった。

 そうして、一夜明けて。

 美紗緒は放課後、またも岩守神社を訪ねていた。

「昔な、ここいらでタチの悪い流行病が蔓延してな。あんまりにもひでェもんだったから見るに見かねて断ち切ってやったんだが、ここいらのジジババはそれを目敏く覚えてやがんのよ」

 なぜ神様がこんな所にいるのか、という、美紗緒にしては珍しく尋ねるのに相当の勇気を要した質問に、男はいつもの板の間寝そべり読書スタイルであっさり答えて曰く、

「昨今じゃ土地開発だなんだで信仰心も薄まっちまってな、敢え無く御家取り潰しの憂き目にあって、まァこれも時代かってなもんで隠居決めこんでたら神威も落ちに落ちて今やもう半人半神、お前さんみたいな巫女筋にゃあ俺様の神々しい姿が見えちまう有り様よ」

「巫女筋?」

「なんだ、聞いてねェのか? お前さんとこの妖怪ババアは、岩守神社最後にして最強の巫女さんだったのよ。“岩守神社の打撃巫女”、“戦慄の黒睡蓮”っちゃあここいらの神霊界隈じゃ通った名だぜ?」

 敬愛する祖母の意外な一面を知り、美紗緒はううむと唸る。

 ついで、ふと冷静になって己が身を見下ろして、

「で? なんでまた、あたしが巫女さんなんかやんなきゃいけないワケ?」

 尋ねに、男はやはり雑誌から顔も上げずに、

「テメェの願い通り、あの小僧助けてやったじゃねえか。おら、休んでねえでキリキリ働け。隅から隅までてってー的に掃き清めやがれ」

 確かに、原田を助けて貰ったのには感謝している。感謝はしているのだが、どうにも腑に落ちない気分でいっぱいである。

 ぐううむと乙女にあるまじき唸り声を上げつつ、美紗緒は掃除を再開する。

 そんな美紗緒の煩悶なぞどこ吹く風で、男はパタンと雑誌を閉じて、

「今回の件で俺もちったァ反省したぜ。信心の浅ェガキどもが調子に乗るから、つまらん呪いなんぞに走るんだ。このさい、徹底的に再教育してやらァ」

 うむ、と一人頷き、

「それ終わったら麓の本屋行って今月の花ゆめ買って来い。ダッシュな」

 ぷちん、と。

 その一言で、美紗緒の堪忍袋の緒が切れた。

 竹箒を剣に、づかづかづかと距離を詰め、げ、と青ざめる自称守り神目がけて振り上げて、

「アンタの穢れから祓ったらどうなのよ、この、鳥の巣アタマっ!」

 一切の手加減なしに、おもいっきり振り下ろすのであった。


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