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第三話


 靴をつっかけ拝殿を出、「お帰りはこちら」の案内に従って鳥居を潜り、苔むした石段をえっちらおっちら下っていくと、ものの数分程度で下山することに成功した。

 どうやらこちらが正規のルートだったらしい。登りの苦労は一体なんだったのか、とげんなりしつつも、土やら葉っぱやらで散々に汚れたジャージを脱ぎ捨てる。スカートやワイシャツに引っ付いた細かい枝葉を払い落としている最中に、露出していた腕や顔に無数の細かい傷が付いているのを発見し、一気に疲労感が吹き出した。

 何がエンキリサマだ。結局、問題は何一つ解決していないではないか。ただでさえ寝不足の身体に鞭打ってサバイバル登山を行った挙句、やる気のかけらも感じられない不審者に呪いだなんだと吹き込まれただけである。まさしく骨折り損のくたびれ儲けというやつだ。

 空も焼け、すっかり黄昏時である。

 男の言う通り、昼寝でもしていた方が良かったのではと肩を落とし、結局あの不審者の名前すら聞かなかったなぁ、と思ったところで、

「あれ、黒河?」

 突然の呼び掛けに、反射的に身を竦める。

 聞き覚えのある声だったし、今一番会いたくない人物の声でもあった。

 さりとて、声を掛けられて無視するわけにもいかない。美紗緒はええいままよと振り返る。

 やはりというか、見知った顔がそこにいた。

「お、おう、原田」

 原田・政徳。美紗緒の通う白樺中学校、男子剣道部の部長兼主将である。

 予想外だったのは、そこにいたのは彼一人だけではなく、

「……松山さんも。今帰り?」

 剣道部のマネージャー、松山・聡子も一緒であった。

「ええ。もうすぐ定期テストだから、早めに切り上げようって、部長が」

「黒河こそ、なんだよその棒。部活サボって、隠れて修行でもしてたのか?」

 冗談めかした問いに、美紗緒は咄嗟にどう答えていいか分からず、あははははと曖昧な笑みを返すことしか出来ない。

 独りで突っ立っている訳にも行かず、三人で連れ立って帰路を行く。

 道中、原田が話題を振り、美紗緒もぎくしゃくしながらも合わせるのだが、マネージャーである松山だけが一言も発せず、黙々と歩を進めている。

 気まずい。ものすごく気まずい。

 彼女もやはり、あの噂を気にしているのだろうと思う。

 何を隠そう、美紗緒はつい先日、現在隣を歩いている彼、原田に交際を申し込まれたのだ。

 話は一カ月程前に溯る。部活も終わり、夕暮れの赤に染まる剣道場。「お前が好きだ」、「剣を振るお前だ好きだ」、「俺と付き合ってほしい」という、なんとも原田らしい真っ直ぐで飾り気の無い言葉での告白であった。

 戸惑ったのは美紗緒である。元々、軽口を交わす程度には仲も良かったのだが、まさか自分が告白されるなどとは夢にも思っていなかったのだ。この世に生を受けて十と五年、産まれて初めて受ける異性からの告白であった。

 原田はモテる。あまり詳しくはないのだが、某男性アイドルグループのメンバーの一人に似ているらしい。成績も悪くはなく、人当たりも良い。美紗緒の知る限り、同学年だけでも彼に好意を寄せる女子の数は両手でも足りないぐらいだ。

 そんな原田が、なぜに「ミス・残念賞」だの「ぱっと見美人、中身は野人」だの「あくまで鑑賞用」だの「どうしてこうなった」だの言われる自分を相手に選んだのか、まるで想像がつかなかった。

 とはいえ、美紗緒にも好みはある。敬愛するオバアの影響か、高倉の健さんや、山崎勉サマなど、“ザ・燻し銀”といった感じの渋いオジサマが大好物なのだ。いわゆる真っ当なハンサムである原田では、いかんせん成熟というか渋味に欠けるぁ、というのが本音である。

 そもそも、美紗緒には恋愛というものが良く分からないのだ。

 交際とは、付き合うということは、一体全体何をするものなのか。産まれてこの方やたらめったら竹刀ばっかり振り回していたせいで、その手の知識も経験もありゃしない。交際よりも交戦、お付き合いよりもどつきあいの方が百倍分かりやすい始末である。

 気心の知れた友人にも相談してみたのだが、茶道部の副部長、才色兼備の大和撫子ながら“ 可愛くて小さな男の子しか愛せません”と公言して憚らない幼なじみ、青山・凜からは「どうぞお好きに」と投げっぱなしのアドバイスを、軽音部のはぐれ狼純情派、亡きシド・ヴィシャスにあの世で処女を捧げるという誓いのために、生涯独身を宣言している武藤・茜からは「さっさと別れちまえファック!」とまだ付き合ってもいないのに中指を立てられた。

 ともあれ、自分なりに必死に悩んだ末に、美紗緒は丁重にお断りすることにした。

 初めての男女交際に多少なりとも好奇心はあったのだが、それだけの気持ちでは原田の想いに対して不実であろうと思ったのだ。

 美紗緒の答えに、原田は「そっか」と苦笑を浮かべ、ついで「今まで通り友達としてよろしく」と右手を差し出してきた。つくづく爽やかな男であった。

 かくして、この珍事は美紗緒の青春を彩る印象深いエピソードとして記憶に刻まれたのであった。めでたしめでたし。

 とは行かないのが人の世の常である。

 人の口に戸は立てられぬもので、どこから漏れ出したのか、美紗緒は学年でも一、二を争うイケメンをフった女として、瞬く間に噂の的になってしまった。

 ぶっちゃけてしまえば、学内に多数存在する原田のファンの手によって、上履きが隠されただの教科書が無くなっただのの、陰湿系のイジメが発生したのだ。

 無論、その程度でへこたれる美紗緒ではない。喧嘩上等・鉄拳制裁。犯人を見つけ次第三倍返しにしてやるつもりである。

 そうなると今度は、誰も彼もが怪しく見えてくる。そこそこ話す程度の知り合いも、もしかしたらと疑い出すとキリがなく、最終的には自己嫌悪が鎌首をもたげて胃の底あたりがずっしり重くなるのであった。

「……聞いてるか、黒河?」

 原田の尋ねに、はっと我に返る。どうやら、思考に没頭するあまりぼんやりしていたようだ。

「ご、ごめんごめん」

「なんか、最近おかしいぞお前。いっつも寝不足みたいだし、部活もあんま顔出さないしさ……」

 心底からこちらを心配してくれている原田を前に、まさかアンタをフったせいでアンタのファンからイジメられてるんだよ、だとか、さっきから松山さんの視線が鷹みたいに鋭いんだよね、などとはとても言えずに、

「や、ホントなんでもないってば。ほら、アタシってば脳みそ筋肉じゃん? 今度の中間も赤点取っちゃったら対抗試合出れなくなるし、ちょっと気合入れて詰め込んでんの」

 嘘八百を並べ立て、それ以上の追及を避ける。

 ようやく岐路に差しかかり、駅方面に向かう二人と別れて、美紗緒は身が細るような深い溜め息をつく。

 イジメだカラスだのと面倒事が重なって、タフさには多少の自信があった美紗緒も、正直いっぱいいっぱいであった。

 じじっ、と蝉の声に似たノイズを前置いて、六時を知らせる町内放送が始まる。

 夕焼けに流れる童謡『七つの子』を耳にして、美紗緒は心底うんざりした顔で自宅へと帰るのであった。

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