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第一話

 彼女――黒河・美紗緒は現在いま、絶賛遭難中だった。

「うぇあーいー……しんどーい……」

 この世に生を受けて十と五年、花も恥じらう乙女とはとても思えぬ、実に堂に入った親父臭い溜め息である。

 正直、ナメてかかっていたのだ。学校の裏山など、某猫型ロボットでお馴染みの小学生らでも遊び場にしていた所なのだから、と。

 登り始めはまだ良かった。まだまだ体力も有り余っていたし、初夏の日差しを浴びて輝く新緑を眺め、四季の風流を感じられる余裕もあった。三十分ほど経過してなにやら雲行きが怪しくなってきたぞ、と思い、それでもなにくそと奮起して突き進んだ結果、ご覧の有り様である。

 前後左右三百六十度、見渡す限りの森、森、森。登山道などという上等なものは整備されてはおらず、鬱蒼と生い茂る枝葉は複雑に絡み合い、もはやジャングルの様相を呈していた。BGMは音量マックスの蝉時雨がループで固定。風も凪いでいてサウナもかくやと言わんばかりの湿度である。

 おかげで頭のてっぺんからつま先まで汗だくで、制服のワイシャツがぴたぴた張り付いて不快なことこの上ない。さすがにスカートの下には学校指定のジャージを着込んできたのだが、こちらも小枝やら葉っぱやらが散々引っ付いて、見るも無残な汚れ具合であった。

 後悔先に立たずとは、まさにこのような状況を表わす慣用句なのであろう。恨むならば部活をサボって着の身着のまま、虫よけスプレーのみで挑んだ己が無謀を恨むより外にない。

「……だーもうっ!」

 誰ともなく悪態をつき、杖変わりに拾った大枝をぐさりと地面に突き刺す。ざくざくざくと落葉を踏み分け、半ばヤケクソ気味に斜面を進む。

「ホントに……! チキショウ……! こんなトコにあんのかよ……! オバア……!」

 裏山に登れと薦めてくれたのは、誰あろう敬愛するオバアであった。

 御齢八十歳を数えてなお家族の誘いを断って一人暮らしを続ける祖母は、多少物忘れこそ増えたもののまだまだ矍鑠としたもので、昨年の冬も美紗緒を招いてお手製の鍋を振る舞ってくれた。鍋に入っていた肉は美紗緒の味わったことのない不思議な食感だったのだが、味自体は抜群で、美紗緒は丼飯を三杯もおかわりしたものである。食後の一服の折、それとなく一体なんの肉だったのかと尋ねてみたのだが、オバアは「最近、お庭の野菜畑に狸が出て困っていたのよねぇ」とはぐらかして答えてくれなかった。なぜに過去形なのか、とあえて追求しなかった。知らぬが仏、触らぬ神に祟り無し、美味しいは正義である。

 そのオバアが、「ここ」に「ある」と言ったのだ。

 山頂らしき方角にあたりを付けて、フン、と鼻息一発、

「っこなくそ!」

 気合と共に何の気無しに払った杖の一振りが、ぼふ、と思わぬ手応えを返した。

 なんだ、と疑問に思う暇もなく、ウォーン、ウォーンと響き始める低い音に、血の気が引く。

 この独特の羽音は、まず間違いなくビーでワスプでホーネットな“彼ら”のものであり、

「やっばい……!」

 呟きを置いて、美紗緒を遮二無二スタートを切った。

 はじめの一歩目から全力全開全速力、枝葉を裂くようにして一直線に逃げを打つ。後方から羽音が塊となって迫ってくる。足を停めたが最後、文字通りの蜂の巣にされてしまうだろう。

「ごめんごめん、今のは事故、不可抗力なんだってば!」

 叫びながらも必死に足を動かす。当然ながら羽音はなおも執拗に追ってくる。微妙に距離が縮まっているような気もするが、振り向いて確認する余裕も度胸もありゃしない。

 走る。走る。走る。草木を掻き分け道無き道を、一心不乱にひた走る。心臓が物凄い速さで脈打っている。右足の脹脛が攣りそうだ。明らかに速度が落ちてきている。諸行無常・盛者必衰、思えば短い人生だった。父さんお母さん先立つ不幸をお許しください、とそこまで考えたところで、

 不意に、視界が開けた。

 同時、それまで斜面を駆け上がってきた足が、いきなりの平坦な足場の登場に空しく空を切る。

 当然、体は疾走の勢いもそのままにバランスを崩し、

「――むぎゃん!」

 びたん、と顔面から着地した。

「あいたたた……」

 強かに打った鼻っ面を抑えながらも、体勢を立て直す。

 あれほど執拗だった追っ手の羽音が消えていることを不思議に思いつつも、涙目で周囲を見回す。

 神社、である。

 左手には石造りの簡素な鳥居が、右手後方には注連縄の巻かれた立派な大木が見て取れる。手水舎には水の代わりに去年のものと思わしき枯れ葉がどっさり積もっており、中央にはこじんまりとした建物がぽつねんといった風情であるばかり。

 着いた、のだろうか。

 思い、おそるおそる境内へと踏み入れば、すぐそばに看板が突き立てられているのが目に入る。

 由来やら故事来歴の類かと思い近付いてみると、違った。

『御縁、切ります。未練、断ちます。御用の方は拝殿の鈴を一鳴らし。』

 達筆ではあるが、どことなく如何わしい文面を、美紗緒を思わず二度も三度も読み直し、

「……ホントに、あったし……」

 呟き、美紗緒は改めて立て札を見つめる。

『御用の方は拝殿の鈴を一鳴らし。』

 建物の前にある賽銭箱を見、あれであろうと見当をつける。

 年季の入った紅白の綱をおっかなびっくり手に取って、意を決して左右に揺らす。

 ガラガラと鈴が鳴り、耳に残る不思議な余韻を残して、音が消える。

 反応は無い。

 しばし迷い、美紗緒はもう一度鈴を鳴らす。

 ガラガラガラと鈴の音が響き、先ほどより少し長めの余韻を置いて、静寂。

 しかし、反応は無い。

 何か手順に間違いがあったのかと、美紗緒は看板へととって返す。『御用の方は拝殿の鈴を一鳴らし。』

 うむ。用がある。一鳴らしとあるから、ガラガラ何度も鳴らしてはいけないのかと思い、慎重に、ただ一度だけ鈴を鳴らす。

 反応は、無い。

 部活をサボり、森を彷徨い、蜂に追われてようやく辿り着いたというのに、この仕打ち。

 ただでさえ短気な美紗緒の堪忍袋が、ぶちりと音を立てて引き千切れた。

 両手で綱を引っ掴むや、道中で溜め込んだ膨大なストレスを燃料に、四方八方手加減無しのシェイクを敢行する。

 シェイク、シェイク、ブギーな胸騒ぎ。

 まるで祭りか火事かと言わんばかりの大音量が、境内の静謐をぶち壊す。

 有らん限りの力を込めて、前後左右に振る、振る、振る。せっかく整った呼吸が乱れに乱れ、引きかけていた汗が噴き出し、次第に鈴の音すらも遠くなって、なにやら新しい感覚に覚醒めざめそうになった辺りで、

「――うるっせェぞガンガンガラガラ! 鈴がもげちまうだろうがっ!」

 拝殿の格子戸をスパン! と横に、怒鳴り声と共に現れたのは、見るからに怪しげな男だった。

 年は二十そこそこ、ボサボサで鳥の巣の如き髪に、どんよりとした眠そうな目付き。うすっ汚れた着流しに、右手にはなぜか別冊マーガレットを携えている。

 どう控えめに見ても無断で住み着いている浮浪者としか思えない風体の男を前に、美紗緒を警戒のレベルを上げて、尋ねる。

「……誰よアンタ。ここのお坊さん?」

 問いに、男は「あァン?」と思いっきりメンチを切ってきて、

「どこの世界にこんな髪の毛フッサフサの坊主がいンだよばぁーか」

 む、と眉を立てる美紗緒から視線を外し、はあぁ、と深いため息を置いて、

「ったく、神社と寺の区別もつかねェような生っちろいガキが、のこのこ侵入はいれるようなヤワな結界じゃねェんだがなぁ……。落ちるトコまで落ちたもんだ……」

 なにやらブツブツ言いつつも、男はぐるりと踵を返す。

「つーわけで、俺ァ今すこぶる忙しいんだ。さっさとぇりな」

 シッシッと野良犬でも追い払うかのような対応に、せっかく鈴鳴らしで発散された美紗緒のストレスゲージが一気に満タンになる。あまりの憤りに頭上らへんにに『!?』と謎の記号が浮かび上がるほどであった。

「――こちとらロクに整備もされてない山道ひーこら登ってきたんだよ! 帰れって言われてすごすご帰れるかっての!」

 噛み付くようにまくし立て、男が余計な口を挟む前に次弾を装填、

「だいたい帰れ帰れって何様よアンタ!」

 問いに、男がきょとんとした顔をした。

 ついで、はぁーとわざとらしく溜め息、うんざり顔で応じて曰く、

「何様って聞かれたら、そりゃあ神様よ」

 今時小学生でも使わない幼稚な返答を聞き、美紗緒はふらりと目眩を覚える。

 爆発寸前だった怒りも、一周回ってすっかり萎えてしまい、入れ替わりにどっと疲れが出る。

 このままこいつと押し問答していても埒が明かない。さっさと本題だけは済ませてしまおうと思う。

「まぁいいわ、アンタじゃ話になんないから、“エンキリサマ”っての呼んできてくれる?」

 その名前に、こっそり奥に引っ込もうとしていた男が、ぴたりと足を停めた。

 振り向き、片眉を上げた怪訝そうな表情で、

「……誰に聞いた?」

「オバア」

「あァ? どこのババアだよ」

「黒河。黒河・すい。アタシのお婆ちゃん」

 その名前を耳にした途端、男はぬえっ、ととんでもない悪臭を嗅いだかのようにものすごく嫌そうな顔をして、

「まァだくたばってなかったのか、あの野郎……。マジに妖怪変化の類いじゃねえだろな……」

「オバアを知ってるの?」

 美紗緒の問いに、男はわしゃわしゃと鳥の巣頭をかき回す。

 「うー」だの「あー」だの散々渋った挙句、ちィっと舌打ち、トドメに「はぁああ……」と深いため息をつき、

「しゃあねえ、話ぐらいは聞いてやんよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ! なんでアンタが……」

 再度の問いに、男ははンと鼻で笑い、

「悪縁奇縁、不遇に未練、万事よろず縁切り承ります、ってな。誰が呼んだか知らねェが、俺がお探しの“エンキリサマ”よ」

 さっさと上がれよ、とばかりに、顎でしゃくるのであった。

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