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ふと、地面を見ると、よく見なれた物が落ちていた。赤色の生徒手帳。わたしは屈むとそれを拾った。
二年C組、森山利香と書いてある。二年生になって初めて同じクラスになった子だ。彼女とは、そんなに話したことはない。顔見知り程度の間柄だ。
森山さんて、どんな顔してたっけ? 頭の中で思い浮かべた。丸顔で、ぽっちゃりしていて……つぶらな瞳のかわいー顔をしている女の子だったよね。クラスでは、そんなに目立つ存在ではないけれど、男の子からよく話しかけられているのを見かける。
生徒手帳が落ちていた場所に立ち止まり、わたしはブロックベイとお見合いしたような格好で、考えていた。
「ねぇ」
いきなり背後から女の子の声がする。振り向くと、わたしの瞳に森山さんと河西が飛び込んできた。
「びっくりしたー」
わたしは、 ふたりと向かい合わせになった。
「びっくりしたじゃねーよ。お前、利香の落とした物をどーするつもりだったんだ? 返せよ、それ」
河西は一気にまくしたてると、わたしの左手にあった生徒手帳をムリヤリ取り、森山さんに渡す。
か、河西……?
「な、なんなのよ」
あ然としていると、河西は仁王立ちのような顔で、わたしを睨んだ。
「お前が利香の生徒手帳を盗んだからだよ。朝、どこかに落としたから、ずっと探していたんだぞ。そしたら、お前がこんな道端でこそこそとなんかやっているから……。気になって見てみたら、利香のなくした物を手にもってるじゃねーか。あやまれよ。てめー」
河西て……。こ、こんな人だったの。いきなり決めつけてひどいじゃない。 わたしが盗んだ? 落ちていたから、拾っただけなのに……。なんなのよ!
その剣幕に、一瞬、わたしはなにも言い返せなくなったが、後からジワリと怒りが込み上げてきた。
「ひどいことを言うわね。言っておくけど、それ、ここに落ちていたのよ? 拾って見れば生徒手帳じゃない。だから、落とし主に届けようと思ってたのに。決めつけで言ってほしくないわね!」
「ほんとかよ? おれたちが来たからそう言っただけじゃないのか」
な……に、こいつ……。わたしが拾ったって言ってんのに。
……え?!
驚いたのは、河西が疑っている眼差しで見ていたからだ。
「お前って、落ちていた物を自分の物にしてしまうやつなんだな」
嘲笑いながら、彼は言ってのける。
河西って、人をばかにしている! わたしは、だんだん腹が立ってきた。
「はぁ? なんで、人の生徒手帳を、自分の物にしなくちゃいけないのよ? なんか、得るものでもあるわけ」
強ばった顔をして、河西はわたしを見つめた。
「……う……、と、とにかく……」
しかし、河西はすぐに表情を整え、含み笑いをする。
「盗もうとしたのは事実だろ。お前は利香にあやまるべきなんだ」
それでもなお、わたしが盗もうとした、と疑う河西。
こんな性格の男子だと思ってもみなかった。そう、だってあの時……。
わたしは、彼を正視した。短髪の髪は、きれいな海苔の色。角張った顔に、細くてつり上がった目、上唇がやや厚い口……。黒い学ランのから下に着ているYシャツが、彼の動きに合わせて見え隠れしていた。わたしは、自分では気づかないうちに、河西に見とれていた。
……! 待ったぁ。何、してるんだろ、わたし……。やだやだやだ! わたし、いま、河西にめっちゃくちゃ腹が立っているのに、見惚れてしまうなんてっ。
「早く、あやまれよ」
彼の一言で、わたしは我に返った。
は?
思わず、声を出してしまいそうになる。
確かに、『あやまれよ』と聞こえた。
また、腹が立ってくる。
「あのさぁ、あんたか森山さんの物がそこらに落ちていて、それを拾ってくれた人全部、その人が盗んだって思うんだ? みんなにそんなこと言ってんだったら、あんた、相当、礼儀知らずね。拾ってあげたのに、恩を仇でかえすような行為だわ」
わたしは、 河西の隣で黙り込んでいる、森山さんに視線を動かした。
「あなたも、なにか言ってよ」
森山さんは、ゆっくりと目線をわたしの視線に合わせた。
「敏之くん。彼女、悪くないと思うわ」
思うですって? 悪くないに決まっているじゃない。
穏やかというより、 トロトロとした口調で、森山さんは河西をなだめた。
「そうか、じゃあそれならいいか」
ひとりで納得すると、彼はわたしの方へ体を向かせた。
「そう言えば、お前、利香のこと知ってんのかよ」
へ? なにを言って……。
河西は、森山さんの方に体を向き直すと、わたしの答えを待たずに、河西は森山さんにも訊く。
「利香、知り合い?」
ちょっと、どういう性格してるのよ? だったら、わたしに聞かないでよ。最初から、森山さんに訊けばいいじゃない。
「やだ、敏之くん。彼女、同じクラスじゃない。……あ、ごめん……名前なんだっけ?」
「はぁ?」
あからさまに、いやな顔をした。
あ然となるのは、当たり前だ。初めて同じクラスになったとしても、もう二ヶ月は経っているというのに……。
まあ、河西はこの際置いておいて、森山さんが知らないはずがない。数回、言葉を交わしていたのだから。
それとも、クラスの女子を覚える気がないだけだろうか。
わたしは、二人に対して、やるせない気持ちでいっぱいになった。
「……伴野良子よ」
「伴野?」
「そうそう、伴野さんだった。ごめんね」
むかつく言い方。
あなたって印象薄いのよね、みたいな言い回しをされているよう。
河西は、わたしのことなんて、眼中になかったみたいな言い方。あぁ、そうでしょうとも。
どうせ、印象がない平々凡々な女よっ。
「いたっけ? 記憶にないよ」
ほら、やっぱり。もう、何とでも言えばって感じ。
でも、おかしいなぁ。それなら、どうしてあの時、わたしのこと助けてくれたんだろ。同じクラスって知らなかったのかも。
何でもいいや、ってゆーか、こんな性格のやつが、あんなふうに手助けしてくれるとは、思えないんだけど……。
「……敏之くん、そんなこと言っては失礼よ」
「あ、そうか」
「あんたも似たようなことされたら、頭来ると思うけど。鈍感ね!」
そう言った瞬間、ふたりは顔を見合わせてクスクスと笑った。
失礼じゃない。いきなり笑うなんて……。
「なによ?」
「ごめんなさい。でも、実を言うとね、わたしついさっきまであなたと同じクラスだったって思い出せなかったのよ。で、名前を聞いて、ああそうだったって……」
しりきれトンボで言葉を終わらせると、森山さんは河西の顔を見る。ふたりはまた笑った。今度は、高笑いだった。
この二人と話していると、イライラが絶え間なくくる。
わたしは、ぐっと拳を固めた。
「あらそう。偶然ねぇ。わたしも、あなたのこと思い出すまで、けっこうな時間かかったわ。だって、印象ないんだもの。生徒手帳も渡したし、もういても意味ないから帰るわ」
嫌味を言ったのに、それを、ふーん、と返す彼女。
ばかばかしい、そう思って、わたしは二人から離れようとした。
なのに。
「待って」
彼女たちが並んでいる場所から二歩くらい歩いたところで、森山さんにとうせんぼされてしまう。