キファーク
早朝、まだ内郭と外郭を隔てる門が固く閉じられた門衛所の前で、男は依頼者を待っていた。
肩から斜めに黒い大太刀を背負い、太刀に合わせたかのようにな黒い装束でその身を包む。立ち姿には隙がなく、捲り上げた袖口と大きく開いた胸元からは、日に焼けた灰褐色の肌があらわになっている。
不意に、ぎぃぃぃっと音をさせながら、眼前の通用門が開いた。
もう半時もすれば、門が解放されるだろう。わざわざ金を払い、面倒な手続きをしてまで時間前に門を通るモノ好きを見てやろうと瞼を上げれば、紅い瞳が刮目した。
現れたのはまだ幼さの残る成人前の少年と、自分と同じ位の歳の男。
少年は白いシャツにベージュのパンツ、ショートブーツという旅に適した装いだ。頭には白い布を巻いて、さらに外套を深く被り顔を隠している。肌の色から西方の出身者だとわかる。その愛らしい顔立ちに、大きな碧の瞳が印象的だった。
少年が依頼にあった神官ならば、男の方は神殿側が用意した神殿騎士だろう。少年と違い、男の肌は白く、公国でも多数を占める栗色の髪は短い。片側の耳には、青い色紐の耳飾りを下げ、腰の剣には神殿の紋章が刻まれていた。男の立ち振る舞いは上流階級のものだ。おそらく貴族出身なのだろうと中りを付ける。
「貴殿がギルドからの護衛だろうか?」
「…キファークだ」
「ティタ神殿の神殿騎士、ジルベールだ。よろしく頼む」
男は意外と懐こい笑みで、キファークに名を告げた。
「…どうかしたか?キファーク殿?」
「……いや、すまん。ちょっと予想外だったもので」
「……?」
キファークは斡旋ギルドから派遣されたハンターである。
依頼は同行する神官の護衛とその他諸々。
通常、加護持ちの派遣には、護衛の神殿騎士が数名随行するが、今回はギルドとの共同作戦と云う事で、ジルベールとキファークが護衛にあたる。
ギルド内でも上位の〈ハンターランク〉と呼ばれる彼らは、所謂、護衛や狂獣の討伐を主に生業にしている。
幾ら聖職者として俗世での階級に縛られない身とはいえ、騎士位のそれも貴族であろう男が、見るからに半魔であるキファークに礼節ある応対をするとは思わなかった。
「ルトちゃんっ。あの人あの人、角があるー」
「ちょっ…アルカ……すっ、すみません!」
少年の腕に抱かれた白猫が、キファークを前足で指し示しながら少年に話しかけていた。キファークの額に掛る黒髪の間には、半魔の証である小さな小角が見え隠れしている。この国は、鬼が少ないので珍しいのだろう。
「すっげーっ!かっけーっ!」
この猫の反応もある意味、キファークには予想外だった。
「……すみません」
「……それは…猫なのか?…新種の…狂獣とかでなく?」
白猫が何か抗議しているが、少年が猫の口元を手で押さえているため聞き取れない。冗談だとは分かっているが、狂獣扱いされた白猫はぷんすか怒っていた。
「ははっ、キファーク殿。狂獣の類じゃありませんから大丈夫です」
「……喋って…いるんだが?」
「ええ、喋るだけですから。こっちは神官見習いのルト、白猫がアルカです」
騎士に紹介され、少年が猫の口を押さえたままで会釈をした。
「とりあえず移動しよう。一応、そちらの指示通り、トライクを籠付でチャーターしてあるが」
「ああ、助かります」
「良かったのか?…普通、騎士が乗るのは使役獣だろう?」
「ルトはまだ神官見習いですので、おおっぴらに使役獣を使うわけにもいきません」
騎士が騎乗するのは、国によって違いはあれど使役獣と呼ばれるもので、土トカゲが一般的である。騎士や荷を乗せたまま、70キロ近い速さで移動し続ける事が可能で、加えて、その大きな牙と爪は敵にとっては脅威である。
トライクは魔石を動力にした車で、前輪1輪後輪2輪の車体に、後ろに籠と呼ばれる荷台を取り付けて牽引する。荷運びや人の足として広く使われており、パワーはそれなりで土トカゲ程のスピードはでない。移動速度を考慮するなら土トカゲの方が早いのだが、扱いには特別な訓練が必要であった。
今回はルトが神官見習いの立場であるため、許可が下りなかったという事だ。
「…それだけか?」
「…まあ、他にも色々と」
ジルベールは曖昧な笑みを浮かべて見せるのだった。
外郭の街並みは、内郭とは違い木造の建物の方が多いが、内郭同様に活気あふれる街でもある。早朝の人通りが少ない時間ではあるが、市場の方には早くから人が集まりだしていた。
チャーターしたトライクは、通常よりも小さなタイプだった。後ろの籠には、既に手配した食糧と水、毛布などが積み込んである。座席がないタイプなので、木箱を毛布で覆い椅子代わりにして座る。
トライクの運転をするのはキファークだ。運転するキファークの近く、籠の前方に腰掛けたルトとジルベールは、道行き簡単な確認を行う事にした。行先はベルンテイトの街から南西、南の街道から西へむかった所に位置する、とある山村を調査して欲しいという依頼だ。
「…キファーク殿、治療院からの情報では、原因不明の病だと聞いているのだが」
「ああ、流行り病なんじゃねーか?っつう事で、治療師が1人行ってるらしい」
治療師がその村へ向かったのが、15日ほど前。その後、1通の手紙を送ったきり連絡が途絶えたという事だった。
「だが、そのひと月前にも、ギルドからの依頼でハンターがその村に行っている」
「ハンタークラスが?」
「ああ、急に狂獣が増えたって相談があったらしくてな。下位の狂獣らしいから、調査も含めて3人ほど送ったらしいが、このひと月ウンともスンとも報告がねえ」
どうやら、下位の狂獣程度で危険はないと、ギルドでも放置していたらしい。
狂獣とは、野犬や熊とは別に分類される害獣である。常世の界域と、現世の界域。2つの界の繋ぎ目の極々小さな隙間から漏れ出した穢れが、獣の姿で現れているのだとされている。かつて創世の頃に、別の界域に封じられた世界の穢れ〈終末の竜〉の残滓。それが狂獣の正体であり、それは生き物を真似た別の何かであった。
「ひと月も放置するなんて、怠け過ぎだにゃー」
「まあ、素行も良くない新人ハンターだったらしいな。依頼の失敗は降格処分か罰金だ。大方、依頼に失敗して違約金を作ってるんじゃねーか?って話で落ち着いてたらしい」
どうやら、最近ハンタークラスに昇格したばかりの3人だったらしい。
ハンタークラスになって初めての仕事で失敗し、報告が遅れているのだろうと判断したという事だった。
「ツノのおじさんは、2次調査?」
「……ツ…お兄さんと言いなさい。にゃんこ」
「ツノのおにーさん」
「……俺は失敗した3人の尻拭いだな。兼、万一に備えて、お宅らの護衛ってとこかね」
キファークは傍に寄って来た白猫を小突く。
「で、そちらさんは何とかなりそうか?」
ルトは2人の話を聞きながら、手元の資料を読み返している。
「発汗異常に動悸、発熱………それに幻覚、精神錯乱?」
「ルト…前に野犬に噛まれて感染する病というのを聞いた事がある」
ルトの手元を一緒に覗き込みながら、ジルベールが問うた。
「はい。野生動物や家畜から人に感染するケースはあります。確かに感染経路が不明確なので治癒の方が手っ取り早いですね」
「…おい、少年。もしかして、新人ハンターの3人も、それに感染してる可能性はあるのか?」
「はい、その村の人達と同じ病を発症して、動けなくなっている可能性はあると思います」
現在は病が他へ飛び火しないよう、一帯を封鎖しているらしい。
「…そんな厄介そうな病気の治療に、神官見習いの餓鬼が1人だけって、大丈夫なのか?」
「……すみません」
「しつれー。ツノのおにーさん」
「大丈夫ですよ、キファーク殿。ルトで駄目なら、主教様に出向いてもらわなくてはいけません」
つまりは、ティタ神殿の主教に次いで、この神官見習いの少年は加護の恩恵が強いという事だ。
ルトの派遣が決まったのは昨日の夕刻のことだった。アスィールの執務室に呼ばれ、神殿の治癒師としての派遣を命じられた。
ある山村で奇妙な病が蔓延している事。治療に向かった治療師と連絡が途絶えた事。そして、その治療師が送ってきたとされる手紙に書かれた症状を伝えられた。病ならば治癒せよ、そうでなければ―――――――――と。
3人と1匹を乗せたトライクは、外郭を出て、南の主街道を南下する。
封鎖された村への移動に、土トカゲや使役獣の使用が何故か制限されていた。
(これは…今回の依頼にはまだ何かあるな)
キファークの感がそう告げた。