依頼2
ここベルンディータ大公国は、大きな大陸のほぼ中央に位置している。
地球で云う所では、ユーラシア大陸のおおよそ真ん中くらいだろうか。ただし、大陸の上半分は巨大な山脈が横一直線に続き、立入ることが出来ない禁足地だ。
山脈の向こう側は、魔人の王が統べる広大な土地、魔国。
大昔、神が自ら切り落とした右腕で大地を創ったとされる土地で、山脈群の西は、掌の形をしているという。その肘の辺りに位置するのが、聖アスアド山で、麓には聖座(※教皇)領のルルド神殿特区がある。領といっても、小都市ほどの大きさしかない。
首都ベルンテイトは、聖座(※教皇)領の南にある大きな城郭都市だ。都市を囲う城壁の内郭は、北の丘陵部に公国宮殿と貴族街があり、その下に扇状に広がる西街、南街、東街には、市民の貴重な足であるトラムが環状運転している。街は城壁の外郭へも続き、外郭街にトラムはないが、代わりに魔石と呼ばれる砡を動力としたバスが運行していた。上下水道は内郭外郭共に整備され、日が暮れると魔石を使用した街灯が道を照らす。
ティタ神殿があるのは、貴族街と西街のちょうど中間くらいだ。斡旋ギルドは南門の近くにある為、白猫郵便のアルカはまずトラムに乗って南街の治療院へ向かい、そこから徒歩で斡旋ギルドへ向かう事にした。
たったったーと軽やかに歩く白猫は、ティタ神殿を出てトラムが通る大通りを目指す。
「よう、アルカ。配達か?」
「おう、おっちゃんもキリキリ働けー!」
挨拶を交わすのは、熊面した商店街のおっさんだ。アルカが暇つぶしに世間話をする相手でもある。
「がっはっは。猫に言われちまったなぁー」
「おっさん、週末のレースハズシテタ…アルカ、シッテル」
「………うぉ…なんで知ってんだ?まあ、ありゃ痛かった」
「アルカもすった…最終レース…かたかったのに、勝ってたのに…」
「お前さんもか…走行妨害で失格なんてなぁー」
うっかり話し込みそうになり、ハッと我に返った白猫とおっさんは、互いに「真面目に働くか」と言葉を交わして仕事へ戻った。
「あらミーちゃん。こんにちは~」
「にゃ――――ん」
白髪混じりの髪を綺麗に結いあげたご婦人が、大通りに設置してあるベンチに腰掛けていた。
余談だか、このご婦人にとって、猫は全てミーちゃんである。雄雌は関係ないらしい……
ご婦人は、毎日欠かさず教会へ訪れる敬虔な信者だ。
アルカは普通の猫のふりをして、足元にスリスリと身を寄せた。普通の白猫にか見えないアルカが人語で話しかけ、驚いたご婦人の心臓に何かあっては大変。と、気遣っている間に、聖猫であるという事を伝えそびれてしまったのだ。どうやらアルカの気遣い通り、ご婦人は神殿で飼われている白猫だと思っているらしい。
ひとしきり挨拶を済ませると、トラムが運行している大通りを目指す。狭い路地から、小さな抜け穴、塀垣の上など、直線距離で進む猫の近道だ。途中、他の猫の縄張りに侵入するが、一応聖猫であるアルカの方が格上なので問題ない。じゃれてくるモノ好きな犬もいたが、3点飛びでヒラリとかわし「仕事中だからまた今度ね」と告げると、犬も「理解した」とばかりに大人しくなるのだった。
建物の隙間から大通りへ出ると、時刻表通りに運行するトラムがやってきた。ベテランの運転士は小さな白猫を目視すると、トラムの速度を緩やかにした。ピョンとトラムに飛び乗った白猫を確認して頷く運転士、慣れたものである。
どうやら、今日はツイているようだ。これが通常の運転士なら白猫に気付かないし、新人運転士に至っては飛び出す猫に驚いてトラムを停止してしまう事さえある。アルカとしては、通常速度であっても飛び乗れる自信はあるのだが、速度を落としてくれると有難い。まして、タダ乗りしているので停車されるほどの気遣いはいらないのだ。
「にゃ――ん」とお礼を伝えて後ろへ行くと、トラムの後方には先客の猫がいた。
ベルンテイトの猫達は賢い。走行中のトラムに飛び乗るツワモノはアルカくらいだが、停車したトラムに乗って移動する猫達は意外と多かった。
因みに、トラムの運賃はどこまで乗っても一律で、1シリカのワンコイン。シリカはベルンディータ公国内の通貨なので、共通通貨の銅貨なら8分の1枚、つまりは小銅貨1枚である。
そして聖職者と産婆さんは無料だ。
当初、アルカはコインを咥えて料金を渡していた。今思えば馬鹿正直過ぎだが、野良猫たちがトラムに乗っているのを見て支払うのを止めた。以前、「犬がひとりでトラムに乗ってたよー!吃驚した!」とジルベールに話しをした時には「…俺は、運賃払ってトラムに乗っているお前に驚くが」と言われたことがある。
「にゃんにゃんー」
不意に尻尾に触れようとしてきた子供の手をスルリとかわす。空いた席へ移動し、窓枠に手を掛けて外の景色を眺める。内郭の街は石造りの建物が多く、街路樹や公園などの緑も多い。のんびりと車窓を楽しみ、目的地の近くでトラムを降りた。
治療院に到着すると、目的の部屋がある窓下へと向かった。何度か使いに来ている為、中の間取りも手紙の受取人の治療師も良く知っていた。ちょうど治療中だったらしく、診察が終わるのを窓の外で眺めて待っていると、それに気付いた助手の青年が招き入れてくれた。
「やあ、アルカちゃん。お遣いかな?」
治療を終えた壮年の男性が、アルカを手招きする。
「アスィールからだよー。1段目のポケットね」
その人物は、アルカの背のザックから手紙を取り出すと、助手の青年に何事か指示を出した。赤い封蝋を開けて中のメモリチップをタブレットで確認し、小さなメモに一言書いて封に戻す。
「有難う。確かに受け取ったよ。これを司祭長さまにお願いできるかな?」
返事をメモリチップで受け取る事もあれば、簡単なメモ、時には言伝で預かる事もある。封には「確かに受け取りました」と一筆添えられていた。これがアルカの配送証明となるのだ。
小さな皿に水を入れて持って来てくれた青年が、アルカの頭を撫でながら「御苦労さまだったね」と労いの言葉を掛ける。更に、アルカの好物でもある桃の砂糖漬けを一欠け御馳走になり、任務は完了した。
ここから南街城壁の南門を目指す。
城壁近くまで来ると、ひと際大きな木造の建物が見えてきた。4階建ての斡旋ギルドだ。風通しの為か、大きな扉が開放されたままになっていた。中に入ると、手前の談話スペースで寛いだり、奥のボードに張り出された依頼票を見ている人が数人いるだけだ。今は空いている時間帯なのだが、身体の大きなむさ苦しい大男が数人いるだけで圧迫感を感じる。
「こんにちはー」
横並びにあるカウンターの内、見知った顔のある台に飛び乗って受付のお姉さんに声を掛けた。
「あら、猫ちゃん。こんにちは。ご主人様はお元気?」
この斡旋ギルドは、いわゆる職業斡旋所だ。
街の便利屋的な依頼から、要人の護衛に狂獣討伐など、仕事は様々である。ルトも学園の休みを利用し、小遣い稼ぎに時々利用していた。屋根修理や簡単なお遣いが主で、この時期はいつも農家の収穫を手伝っていたはずだ。このギルドにも出入りしていたので、この受付のお姉さんも覚えていたのだろう。
「うちのルトちゃんなら元気です。可愛いです。賢いです。天使です」
「…そ、そう。良かったわ。今日はどうしたの?」
「ギルマスにお手紙ー」
2段目のポケットだと説明すると、受付嬢は慣れた様子で手紙を取り出す。
「有難う。ちょっと待っててね」
にこやかな対応で奥へと消えた受付嬢をカウンターの上で待っていると、後ろから野太い声が掛けられる。
「ニャン公、珍しい所で会うナー」
「うげっ…筋肉だるま」
声を掛けてきたのは、獅子の獣人――ハイダルだ。
人の耳がある位置に見えるのは、同じ耳でありながら獅子のそれだ。初めて獣人を目にした頃は「おっさんのケモミミなんて誰得ですか?」と白猫も首を傾げたものである。この位置からは見えないが、衣服の下には尻尾も隠されている筈だ。日に焼けた筋肉隆々な体躯に、金茶のたてがみの様な髪、その姿はまさしく獅子。ただし、共通語のイントネーションがちょっとおかしく、西大陸出身の訛りが抜けていない。
「おっさん、にゃんでここにいるの?」
「――仕事だ」
30代後半のハイダルよりも、一回りほど若い男が代わりに返事を返した。
ハイダルよりも幾分痩躯ではあるが、鍛えられた身体が服の上からでも窺える、豹の獣人――レオパルドだ。レオパルドはハイダルよりも流暢な共通語を話せるのだが、寡黙でほとんど喋らない。
彼らは外郭のギルドを拠点としている筈なので、内郭で出会うのは珍しかった。
「魔石商の護衛でナー。俺らはこの後面談やねん」
ギルド規定では、一定のランクより上でないと護衛の仕事を請ける事ができない。この二人はそれなりに上位のランクに位置づけていた。これがルトであれば、ペーペーのひよっこなのでまず無理だ。おそらく魔石を扱う商人の店が内郭部にあるのであろう。その面談の為に、内郭側のギルドまで出向いているという事だった。
「坊主は元気かー?ってか、ナんでお前さんが1人でここにオんねん?」
「ルトちゃんなら元気で可愛い。アルカはお仕事!」
ハイダルが無駄に大きな声で話しかけるので、一緒にいる白猫にまで注目が集まっている。所々で「猫がギルドで仕事?」「しゃべってないか?」「聖猫?いや、でも白いぞ…」「化け猫か?」などと言う声が聞こえる。
「何かみんな失礼だにゃ…アルカ、ちゃんとギルドカード持ってるにゃ!」
「っえ?……持ってんのかよ」
「ハイダル…アルカ、涙目」
そう、アルカもれっきとしたギルド加入者(猫)である。
最下位ランクの特別枠だが、ギルドと神殿間の配達仕事を請負う為に、ギルドマスターがふざけて登録したのだ。おかげで、アスィールへの手紙を配達すると、アルカの懐にもちゃんと報酬が入る。(※アスィールからの依頼も、おこずかい程度の報酬が発生している)
「その猫ちゃんは、ちゃんとウチのギルドメンバーですよ」
「まあ、それを知っているのは、職員と一部方だけですけどねー」
手の空いた他の受付嬢達からの援護が入った。
この白猫は、朝と夕の混雑時を避けてやって来る。仕事を請負う早朝と、仕事を終えた報告で、その時間帯はカウンターが混雑する事を知っているからだ。
その為、ギルド加入者がアルカを目にする機会は限りなく少なく、周知されていないのだった。
「まあ、ギルドカードは儂の手作りじゃがな…」
奥から初老の男性が姿を見せた。この南門ギルドのギルドマスターだ。
深い皺の刻まれたその顔からは、重ねた歳と経験が垣間見えるが、不思議を老いを感じさせない。ギルドマスターは既に確認したメモリチップに代わり、アスィール宛ての封筒をアルカのザックに入れた。更に、ザックから小さな二つ折りのカードを取り出すと、中にサインを書き込む。カードの表には、「ギルドカード」の文字と猫の肉球マークが描かれている。
「ほれ、依頼じゃぞ」
「請け賜わったー」
ぴょんっとカウンターを飛び降りた白猫は、リンリーンという鈴石の音を響かせて入口の方へ駆けて行く。
「気を付けてなー」
「りょーかーい」
外へ飛び出す白猫の後姿を、一同は目尻を下げながら見送った。
この頃より、何故か斡旋ギルドを中心として、「萌えー」という造語が流行ったという。