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ルト

―てし、てし、てし。


少年は頬を叩くプニプにとした感触でその意識を浮上させた。

因みに痛くはない。

 

―てし、てし、てし、てし、てし、てし、てし、てし。


しかし眠気を理由に空寝を決め込んでいると、頬を叩く回数が増えた。


「ルトちゃんっ!ルトちゃんっ!朝のお勤め~」


耳元には、安眠を邪魔する幼子の様な可愛らしい声。


「…あと5分」

「5分寝過ごしてたら、アスィールの雷が落ちちゃうよ…」

「………」


それは困る、と少年ルトが渋々と寝台から身体を起こすと同時に、身体の上で人の顔を目掛けて肉球パンチしていた白猫が飛び降りた。

ベルンテイト公国学園ベルンテイトロイヤルアカデミーに通う学生兼、ティタ神殿の神官見習いであるルトには、休暇だからと寝て過ごす怠惰は許されない。学園(アカデミー)は休みでも、朝の礼拝は毎日あるのだ。


ルトが白猫の頭を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、気持ちよさ気に小さな身体を擦り寄せてくる。

右の前足首にだけ、まるで腕輪をしている様な灰色を彩った愛猫のアルカだ。

青に緑を混ぜたような大きな瞳で見上げる姿は、10人いたら10人が可愛いと目じりを下げる容姿だが、実は結構な毒舌猫である。


――リーンッリーンッ


白猫の首に付けられた橙色の鈴石が、涼やかな音を奏でた。

鈴石自体は高価な石ではないが、この鈴石には細かい彫刻が施され、見目も良く、鈴石を首に下げている生成りのリボンには、細かな文様が描かれていた。


「ルトちゃんお寝坊さんだにゃー」

「………寝坊してない」

「アルカがいないと、きっとお寝坊しちゃったにゃ」

「………」

「ニコも一人ぢゃ起きれないにゃよ。今朝も使役獣(エリザベス)の敷き藁を交換しにゃいで、使役獣(リッター)使役獣(ヴァルター)がベスの敷き藁交換してたにゃwww」


どうやら、ティタの神殿騎士であるニコが寝過ごして、自身の使役獣の世話をさぼったらしい。知能の高い使役獣コンビが手ずからフォローしたようだが、現在神殿を留守にしている隊長に知れれば特大の雷が落ちるだろう。


「ニコを起こしてるボリスが外番の日は、いっつもお寝坊してるのにゃー」

「……アルカ、それ隊長には」

「言わないにゃ」


この毒舌で、お喋り好きで、噂好きな白猫は、その情報網を活かして人の弱みを握ることを趣味としている。隠していた性癖や、密かに恋い慕う異性についてバレてしまった幾人かが、この猫の好物である桃の砂糖漬けを貢いでいるらしい。


「にしても、流石に鷲天馬(ヒポグリフォ)は賢いね」


ニコの使役獣(エリザベス)は土トカゲだが、リッターとヴァルターは希少な鷲天馬(ヒポグリフォ)だ。おそらく、ニコのフォローをしようとした(あるじ)を手伝ったのだろう。


「ルトちゃん…それだと土トカゲ(ベス)がおバカさんみたいだにゃ」


土トカゲの攻撃力は脅威だが、鷲天馬(ヒポグリフォ)ほど賢くはない。精々が猫程度なのだが、それを口にすると愛猫が口煩くなるのが明らかなので、言い訳することをしなかった。



ベッドの他には机と椅子、本棚とクローゼットがあるだけの石造りの簡素な小部屋を出て、共同の水くみ場で手早く身支度を整える。

グレーのキャソックに似た神官服に身を包むと、朝の礼拝へと向かった。

ちなみに、見習いであるルトや下っ端聖職者の服は灰色と黒色が多く、上位聖職者の衣装は真っ白だ。以前、何故かを先輩に問うたところ、下っ端は雑務が多いので、汚れても目立たないからだと教えられた。

 


ここベルンディータ大公国の国教は〈正ベルンディータ公国教〉である。これは〈ルルド聖教〉から派生した一派だが、世のすべての教派は、ルルド聖教が起原とされている。一般的には親会社と子会社程度の認識しかなく、他国に於いてもルルド聖教の神殿(※ほぼ遺跡)はあれど、教義を同じくする国教が存在する場合が殆どといって良い。

〈ルルド〉とは全ての宗教の聖地であり、ベルンディータ大公国内に存在する世界で最も小さい特区領〈国家〉である。聖アスアド山の麓に位置するこの特区領は、ルルド神殿特区とも呼ばれ、首都ベルンテイトから魔動バスで数時間ほど北へ行った処にあった。


ルトがいるティタ神殿は、ベルンテイト市内にありながら、公国教会派ではなく正統なルルド聖座(※教皇)直轄の神殿だ。とはいえ、ティタ神殿には同じ敷地内に公国教会が隣接し、居住区の一部が繋がっている。つまりは、教会と神殿の信徒が、一つ屋根の下で寝食を共にしているのだ。


大きな石柱に支えられた大列柱室のさらに奥、聖所の祭殿、ではなく、朝はこの小神殿の礼拝堂が使われる。神殿へ到着し、他の神官達と小神殿の清掃を済ませると、朝の礼拝が始まった。


―――ぐぅぅぅぅぅぅ


礼拝の最中に、ルトの腹が鳴った。14歳の食べ盛りなのだ、仕方ないだろう。愛猫のアルカが前足で口元を押さえ、くくくっと笑いを堪えている。猫であっても、礼拝中に爆笑してはいけないという常識くらいは持っているようだ。ただ空気を読んだだけかもしれないが…。


その様子を、最前に並ぶアスィール主教が呆れたように見ていた。

白い長衣に銀糸の刺繍が施された神官服に身を包み、祈りを捧げるその姿は神々しい。見た目は20代後半の青年だが、落ち着いた雰囲気は30代にも40代にも見えるという年齢不詳の人物だ。艶やかな長い金髪とアメシストの瞳が艶美で、流れる髪の間からは、チラチラと細く編込まれた色紐が見え隠れしている。

色紐は〈加護持ち〉であるとう御印であり、ルルドの聖職者であると示す物だ。大抵は1-2本を編みこむ人が多く、アスィールの御髪には、彼の美しさを表わすように3本の色紐が編み込まれていた。青、碧、紫の紐を赤子の指ほどの太さで編込んで、毛先には小さな銀細工と色石が飾られている。礼拝堂の天井から差し込む朝日が主教の金糸へ降り注ぎ、あたかも後光のようにキラキラと煌いていた。








無事に礼拝を終えたので、鳴る腹を宥めながらルトは食堂へと向かった。

食堂は教会と神殿で共同だが、別段に不和などがある訳でなく、結構和やかに付き合っている。教会派といっても元を辿れば同じ〈ルルド〉に帰依する訳なので、身内としての扱いなのだ。ただし、それには一般的には…の注釈がついた。


ルトがトレイに食事を受け取り、空いたテーブルに向かうと、何処からか誰だかの足が伸びてきた。

足を引掛けて無様にすっ転ぶ前に、立ち止まり相手を見る。金茶の癖毛にそばかす面、つり目の酷薄そうな面差し。

 

「……忌地人が」


吐き捨てるような声がルトの耳に届いた。キュっと、トレイを握る手に力が入る。ルトにとって、嫌がらせはいつもの事だが、かといって朝から揉め事を起こす気はない。


「ルトっ!!こっちだ」


別のテーブルから掛けられた声にホッとしてその場を離れた。

ルトに声を掛けたのは、同じティタ神殿に籍を置く先輩信徒であり神殿騎士ジルベールだった。ジルベールの足元には、いつの間にかルトの愛猫アルカも来ていた。


「ジルベールさん…有難うございます」

「ダドリー伯爵の三男坊か…また厄介なのに好かれたな」


どう見ても嫌われているだろうという突っ込みを飲み込み、ジルベールの問いに苦笑するルト。


「まぁ、お前の後見人は、あの〈ティタの宝玉〉だからな」


やっかみだ、気にするなと他の神官達からも声が掛けられた。

9歳になった年、ルトはそれまで過ごしていた孤児院からティタ神殿へ住まいを移した。これまで親代わりだった教会の司祭様から、アスィール主教(当時はまだ上位の神官長だった)へと後見人が変わったのだ。

〈ティタの宝玉〉とはアスィール主教を指す渾名なのだが、本人に言うと微妙に嫌な顔をされるので、信徒達が本人の前で使う事はない。


「気にするな。貴族連中は、主教(アスィール)様に目を掛けられているお前が羨ましいだけだ」


そう言って慰めるジルベールの実家も爵位持ちだ。


「ジル…貴方だってヴァルジー子爵家の四男でしょうに」


そう言って向かいに座るのは、リド上位神官。ジルベールと同様に、ルトの先輩信徒である。短髪のルトやジルベールとは違い、肩先で揃えた黒髪には、瞳と同じ青い紐が右に1本編まれている。


「格が違う。ウチみたいな没落貴族は権力抗争からは程遠い」


ジルベールがニヤリと笑う。

テーブルに仲間うちが揃ったところで「日々の糧に感謝を」と祈りを捧げ、やっと朝食にありついた。


「ルトが加護持ちだと、彼らも解っている筈なんですがね…」


ルルド聖教に属する聖職者には、明確な基準がある。その人が加護を持っているか否かであるかだ。それ故に、世界で最も数多くの信徒を持つ組織でありながら、聖ルルド教の聖職者への道は限りなく狭い。

また、政治的な意味合いもあって、本家のルルド聖教とは一線を画す各国教が発展したのだとされている。

教義を同じくしながらも、幅広く聖職者への道が拓かれている国教には、家を継ぐ必要のない貴族の三男、四男や庶子が多く在籍していた。


「だからルトも色紐を編み込むようにと、いつも言っているのに…」

「司祭様方からも言われているのだろう?」


リドやアスィールの髪に飾られた色紐は、その人が加護持ちであるという御印だ。

例外があるとすれば、ジルベールのように神殿騎士として聖職者を守る役職にいる者たちで、彼らは加護ではなく加護持ちを守る剣と魔術に優れた者という別の選別基準によって選ばれていた。神殿騎士は髪を飾らない代わりに、その右耳に色紐を使った耳飾りを下げている。



魔術とは、その原理を理解し、魔力を以て公式を展開する事で行使される事象である。火を生み、土を動かし、水を操り、風を起こすのが魔術であり、北の魔国に住む魔人や、大樹の浮島や大森林に住む長耳族(エルフ)が得意としていた。


魔術に対して、加護は奇跡の力と云われている。

この世界に存在する魔術とは、全く違う理に存在するのが奇跡〈加護〉だ。加護持ちが起こす奇跡は、その力の原理が未だ解っておらず、失った手足を生やしたり、流れ出た血液を再生する事は不可能だが、病気や怪我の治癒を早めたり、時には完治させる事もあった。

加護とは癒す事に特化し、病魔を払い、傷を治療し、穢れを清める奇跡であった。故に加護を持つ者は尊ばれるのだ。



リドとジルベールに問われ、困ったような笑顔を向けるルト。


「…短いから」


髪が短い。そう言ってしまえば、周りから「伸ばせ」を言われる。やはりリドからも「髪を伸ばしなさい」と注意された。


「…うん、ごめんなさい」


そう返事をしたが、伸びる前に勝手に髪を切る。いつものやり取りだ。

容姿に劣等感を持つルトは、目立つ自身の髪を伸ばすことを頑なに拒む。彼にとってコンプレックスともいえるその髪に、尊い加護持ちの色紐を飾るなどあり得いことだった。



離れた先から、ロバート・ダドリーが蔑むような視線を向けている。初めてルトに会う人もまた、ロバート・ダドリーと同じ目で見る者が多かった。


ルトは自分がこの国で異端な事を良く理解している。勿論、優しい人がいる事も知っているが、そうでない人も多い。


孤児だとか、異国出身だとか…それだけではない理由。

珍しい西方民族の褐色の肌、そして、濃い魔素を大量に浴びたことを意味する髪。

その髪は白みがかった灰色。

それは災悪と云われたアンサスの生き残りの証であった…




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