目覚め〜旅立ちの時〜
「氷魚、お昼できたわよ?あら、部屋に行ったのかしら?氷魚ーっ?」
一歩、階段に足をかけて、氷魚を呼ぶ。しかし、返事は、なかった。
「いいわ、気が向いたら、降りてらっしゃい」
「氷魚、氷魚」
薄闇の中、中音の、男の声が響く。
「ん、誰…?あたしを呼ぶのは」
氷魚は、眠たい目を擦り、顔を上げた。
「やーっと起きたかよ、俺だよ、俺!」
視界を廻らせると、瑪瑙が机に座っていた。
「あら、さっきの猫ちゃんじゃない」
「瑪瑙だっ、記憶力ないのかっ!」
氷魚は、つっこむ瑪瑙をシカトする。
「で?何なのよ、例の【お迎え】?」
「話をそらすんじゃねぇ、それもあるが、教えてやりに来たんだよ」
「何を?」
氷魚は、訝し気に眉をひそめた。
「お前…今夜死ぬぜ。だから、思い残しがあるなら、早いうちに済ませとけよ」
一瞬、思考が、止まった。
「ち、ちょっと!死ぬってなに!?なんなのよっ、てゆうか、あんた、ひとっ言もそんな話しなかったじゃない!いきなり現れて、そんな事言うんじゃないよっ」
氷魚は、瑪瑙の襟首を、ガクガクと引っ張りあげて怒鳴った。
「まっ、待てっ!ヒトの話は、最後までちゃんと聞けって…続きがあるんだよ」
「え?」
氷魚は、動きを止める。
瑪瑙は、襟元を直しながら、話し始めた。
「別に、命自体が消えるわけじゃない、言い方が悪かったな、ごめん…被っていた人の皮が破れて、孵化する、これは目覚めなんだ。まだ時間もあるし、挨拶くらいしてこいよ、もう、会えなくなっちまうぞ?」
氷魚は、瞠目した。
「会え、なくなる?」
「あぁ。人として生きた記憶は、そのまま残る、相手も、お前を忘れない。だけどな、俺たち魔属というのは、人間の目には見えないんだ。例え、目の前にいてもだ、姿も見えずに、声も届かない」
「そんなっ!どうして?!」
氷魚は、瑪瑙をふり仰いだ。
「それが、決まりだからだ」
「ねぇ、時間…あと、どのくらいなの?」
「日没…日が、沈んですぐに変化はくる。行くんだな?だったら母親に言っておけ、暗くなったら、絶対に外に出るなと。いいな?」
「分かった…」
氷魚が、部屋を出ていってから瑪瑙は、悲しげに、ぽつりと呟いた。
「可哀想だが、仕方ないんだ…」
階段を下り、廊下を抜けて、氷魚は居間に入った。
「ねぇ、お母さん」
台所を片付けている、母の背中に話しかける。
「あぁ、氷魚?お昼なら冷蔵庫の中よ?」
「ありがと。ねぇ、お母さん…あたしがいて、良かったって思ったこと、ある?」
「もう、どうしたの?あるに決まってるじゃない。変な子ねぇ…」
「うぅん、何でもない。ありがと、お母さん」
氷魚は、泣きそうになるのを、笑って誤魔化した。
「氷魚、最近のあなた、おかしいわ?もしかして、どこか病気なの?」
母親は、氷魚を心配そうに、見上げて言った。
「何でもないの、お母さん…今日は、もう外には出ないでね?危険だから」
「氷魚?」
「絶対だよ?」
「え、えぇ…」
母親は、何がなんだか、分からないという顔をしながらも、頷いた。
「元気でね、お母さん…バイバイ」
すれ違う時に、氷魚は、そっと囁いた。
「ちょっと、氷魚…なんなの?一体」
氷魚の、部屋のドアが閉まる。
「あ、氷魚…」
入ってきた氷魚に、話しかけようとして、瑪瑙は動きを止めた。
彼女は、泣いていた。
溢れる涙を、拭いもせず、声を殺して、泣いていた。
「もう、全部渡した…あたしは、一人ぼっちだ」
瑪瑙は、慰めるように、彼女の背中を叩いて言った。
「日が沈む。時間だ…氷魚」
「どうなるの?あたし…」
開け放しの窓から入った風が、カーテンを大きく揺らす。
氷魚は、風を纏い、青白く光り始めた。
「きれい…不思議ね」
風を纏いながら、彼女の容姿は変化していく。
黒く、艶やかな髪から、燃えるような、赤みを帯びた銀髪へと。
「氷魚、言っておかないとならん事がある」
瑪瑙は、ひどく言い辛そうに口を開いた。
「なんなの?」
瞬いた彼女の瞳は、深い青色に変色してした。
「俺は、親友に、お前を捜して守るよう頼まれた…」
「親友、て…その人が、なぜあたしを?その人は、今どうしてるの?」
「ここに来る4日前に、死んだんだ…そいつは、氷魚、お前の兄だよ」
「あたしに、兄がいた?!死んだって言ったわね、一体なにがあったの?話して!?」
「…あれは」
彼は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あれは、丁度4日前のことだった」
向こうの世界で、俺は、用事で村の外へ出ることになっていた。
『すまん、人手の足らないこんな時に出向くことになっちまって…母ちゃんが倒れたらしいんだよ、まったく仕方ねぇったら』 ついこの間、まだ一週間も経ってはいないだろう―‐他の天敵妖魔からの奇襲を受けたばかりで、村は、悲惨な有り様だった。
『行ってこいよ、そっちの方が大事だ。
村は平気さ、隣村にも人手を頼んでみるから』 『柘榴…』 『そんな顔しない、俺にとっても、お前の母さんは家族みたいなものなんだ、行ってこいよ』 後ろめたく思いながらも、俺は村を出ることにした。
たかが4日、そう思って… 『悪ィな、柘榴…4日で戻るから、村の方、頑張れよ?』 『分かってるさ、それと…瑪瑙、頼みがあるんだ』 『頼み?珍しいじゃねぇか、何だよ?』 『ヒトを、捜しているんだ…手伝って欲しい』 『ヒトねぇ…好きな女でもできたのかよ?』 『そんなんじゃないよ…女性にはかわりないけど』 『ふーん…そんで、手掛りとかあンのか?』『そうだったね、手掛りといっても…これくらいしか、ないんだった』柘榴は、ポケットからペンダントを取り出して、瑪瑙に渡す。
『ペンダント?お、何か入ってる』 瑪瑙は、ペンダントを開いて、首を傾げた。
『髪、みたいだが…』『うん、髪が発する妖気を辿ってくれ、その先に彼女はきっといる』『あぁ、それじゃあ行ってくる。
期待してろよ?』 『すまないな、気をつけて行ってきてくれ』『おうっ』 しかしそれが、元気な柘榴を見た最後だった。
丁度4日目に、村に戻った俺が見た光景は、あまりにも無惨なものだった。
折り重なる死人の山、崩され、焼き払われた家々。
俺は、必死で柘榴を捜した。
半狂乱で走り回っていた瑪瑙は、障害物につまづいて、地面に転げた。
『ってぇ…』 障害物は、背中にひどい傷を負った少年、見慣れた顔。
柘榴だった… 『柘榴、柘榴っしっかりしろ!何があったっ』 瑪瑙は、柘榴を抱えおこして聞く。
柘榴は必死に、震える腕を伸ばした。
その手には、ペンダントが握られている。
『め、のう…これをっ…やつらは、ずっと狙っていた!』そう言って、柘榴はひどく咳き込んだ。
『柘榴!これ以上喋るなっ、死んじまうぞ!』 『いい…言わせてくれ、頼むっ!』 『柘榴…』 『俺が、捜してたのは…妹なんだ、産まれてすぐに、下界に、俺が墜とした。
人間、の世界にいる、追わ…れることになる、あいつは、何も知らない…守って、やってくれ、俺、の代わりに…頼む、頼…む』 『分かったからっ、もう喋るな!?』 『す、まない…迷惑、かけ…て』 『なに言ってンだよバカ野郎!しっかりしねぇか!一緒に、探しに行くんだろ?なぁ!』彼が、笑ったような気がして、瑪瑙は、柘榴の肩を揺さぶった。
しかし、柘榴は…二度と、目を覚まさなかった。
『分かった、その約束…必ず守るぞ、だから、見ていてくれ、柘榴』
「氷魚、氷魚?聞いてたか?」
俯いたままの氷魚を、瑪瑙は覗きこんだ。
「うおっ!な、泣いてる!?」
数歩、後ずさる。
「だって、だってさ!泣くしか、できないじゃない」
「落ち着け氷魚、な?」
泣きじゃくる氷魚は、ふいに涙の溜まった瞳をしばたかせる。
「え?」
氷魚は、もう一度目をしばたかせてから擦る、瑪瑙の姿が変化していたのだ。
彼の髪は、青みのある銀髪。
目の色までは分からない、だが普通の色ではないのは確かだろう。
「瑪瑙?」
彼は、『しまった』という顔になってから、溜め息をつき、髪をかき上げた。
「あ〜あ、くそ…戻っちまったか。この姿、キライなんだよなぁ」
「どうして?別になんともないわよ、不細工ってわけでもないし」
「でもないけど…俺はやなの」
「あっそ…で、なに?話さなきゃいけないことって」
「たち直り早ぇな、いいか、よく聞け。俺たちは狙われてる。危険な旅だ」
「旅!?旅ってなにさ!どこ行くのよ」
「行くって、決まってんだろ?俺たちの故郷だよ、全部死んだってわけじゃないからな」
「ええー――‐っ!」
かくして、二人の危険な(?)旅が幕を開けたのだった。
初めまして維月です。今回は、瑪瑙の過去に少し触れました。彼、始めは脇役キャラだったのに、いつのまにか準主役に…(笑)動かしやすいです。読んでくださった皆さま、ありがとうございます。今後とも、どうぞよろしければご贔屓に。 維月 十夜