ゆーしゃサマ、Lv0.1
「あなたは勇者です」
勇者といえばそう、英雄と同一視される存在であると思う。
勇敢なる者、ごく一般的な人々には到底出来ないような事を、やってのける人に与えられる称号。
「ですから、あなたは勇者なのだと先ほどから幾度も言っているでしょう!」
英雄物語などの叙事詩に歌われ、脚色されたり美化されたりしつつも、概ね壮大な冒険や戦いの様子が伝説の存在として後世に伝わっていく人だ。いや、格好良いね、うん。
「現実逃避はそこまでです」
パンッ! と、発生源が耳元近くだったせいで、やけに大きな音があたしの鼓膜を直撃する。
殆ど人の眼前で派手に両手を叩いた、金属製の重鎧を身に纏った大男は、真顔でこちらをしげしげと覗き込んでくる。
「勇者様、目が覚めましたか?」
「お兄さんこそ、そろそろ人違いだと認めて下さいませんか?」
先ほどから延々と繰り返される、堂々巡りの問答に、そろそろお互いに疲れてきた感が否めない。いや、向こうの方が明らかに体力がありそうであるからして、こちらが断然不利か。
あたしの名はミザリー、田舎も田舎な僻地、サーフ村の司祭の娘だ。断じて、職業や称号や通称や愛称に、『勇者』などを選んだ覚えはない。
あたしは殆ど拉致紛いに連れ込まれた、神殿の祈りの間と隣接する白で統一された質素な一室、そのイスの背もたれにぐったりと体重を預け、彼の言い分を吟味してみる。
曰わく、五年ほど前に、魔の存在が世界を席巻しだした。
曰わく、勇者様は三年前に、辺境にひっそりと存在していた田舎のサーフ村から旅立たれた。
曰わく、長い旅路の途中、数々の魔物を討伐し、人々から勇者と認められだした。
曰わく、数時間前、託宣に従い神殿にて神の洗礼を受けたところ、勇者様の姿が変化してあたしになった。
うん、最 後 が 意 味 分 か ら ん !
いやね、一番最初の魔王が現れたんじゃね? 的な噂話は、あたしにも覚えがあるんですよ。
そう、村で商家をやってる友人からそんな話を小耳に挟んで、次の瞬間には神殿でハッと目が覚めていたと、そんな次第だ。あたしがきょとんとしながら周囲を見渡しただけで、神殿のお偉い神官の方々が泡吹いてバタバタ倒れたり「これは何事か!?」と叫んでいたが、何が起こったのか聞きたいのはこちらの方だ。
「もう三年も、あなたと旅路を共にしてきた俺が、どうして勇者様を見間違えると仰るのですか。ましてや、あなたから目を離してさえいないと言うのに」
そんな状況下からあたしを抱えてこの部屋に運んできたのが、このお兄さんだ。勇者リジムの仲間、聖騎士バルドと自己紹介された。
それにしてもこの人、本当にブレないな。
「よーく、ご覧になって下さい。あたしは女です」
「そのようですね」
「お兄さんが仰っている『勇者様』は、男の人だったのでしょう?」
「そうですよ」
「もうその時点で、別人である事は明らかじゃないですか!?」
「いいえ、あなたが勇者様なのです」
埒があかない。
あたしは論理的かつ、合理的な観点から、『自らが勇者ではないという根拠』を述べている。
たいして、重たそうな上に暑苦しそうな鎧を纏ったままの聖騎士のお兄さんは、『勇者様がいらした場所にあなたが居た。だからあなたは勇者様だ』と、言い張ってやまない。
手っ取り早く考えると、『勇者様とあたしがなんらかの理由で入れ替わった』筈なのだが、いったい今頃本物はどこに居るのだろう。良い迷惑だからはよ帰って来い。
そもそも、『勇者リジム』なる少年はあたしと同郷らしいのだが、詳しい人物像を聞き出してみても、該当する人物に全く心当たりが無い。
となると、偶然同じ村名の出身者か、出生を偽っているのか、もしかしたらあたしが場所だけではなくて時間まで移動してしまった可能性もある。あらイヤだ、ここってば未来の世界?
「あたしが思いますに、勇者リジム様はあたしが元々居た場所と入れ替わったのではないでしょうか?」
「と言いますと?」
あ、食い付いてきた。
「ほら~、魔王を倒す為に、まだ魔王が力をつける前の過去に勇者様を飛ばして、災いの芽は早いうちに摘め! とか」
「なるほど……有り得ませんな」
バルドさんは、無表情のままあっさりと否定してきた。こら待たんかい貴様!?
「勇者リジム様が、過去に魔王を退けたのであれば、何故今もって魔王は健在なのでしょうか?」
「……なんででしょうね?」
いや、それ言われちゃうと、困るんだけど。なんでいきなりマトモな事言い出してんの、この聖騎士サマ?
あたし達がそんな押し問答を続けていた最中、不意にノックの音が響いた。若い男女が密室に2人きりという状況は避けてくれたのか、開け放たれたままのドアの側に立つ神官様が1人。彼は深々と一礼し、顔を上げると笑みを浮かべてあたしを見つめてきた。あら、なかなかの男前。田舎じゃあ滅多にお目にかかれない美男子だわ。眼福眼福。
「勇者様、先ほどは大変な失態をお見せしてしまい、誠に申し訳ありません」
お ま え も か !?
「ですから、あたしは勇者様ではありません」
どうして、別人だという事は分かりきっているというのに、あたしはさっきから同じ言葉を繰り返す羽目になっているんだろう? 本物今すぐ帰って来て弁解しろ。
「いいえ、あなたは勇者様で間違いありません」
「神殿に入ってきた勇者様と今目の前に居るあたしでは、姿形が変わっている事の判別もつかないのですか?」
かなり皮肉な言い方になってしまっているが、勘弁して頂きたい。何しろこちらは訳の分からない現実に、精神的に疲労しきっているのだ。
「わたくしはナーザと申します。
お嬢様のお名前を伺ってもよろしゅうございますか?」
「あたしはサーフ村のミザリーです。断じて、リジムなどという少年ではありません」
「そのようでございますね」
おいコラ。自他共に認める田舎娘であるあたしをお嬢様呼ばわりといい、美男子神官ナーザは、性格の方は今一つよくなさそうではないか。なんという事だ。
それにしても、神官さんが姿を現した辺りから、バルドさんがずっと沈黙したままなのが気にかかる。なんなのよ、お兄さん。人の事ジーッと眺めてきて。
「ではミザリー様。神官長様よりお話がございますので、お手数ではございますが、再度祈りの間まで起こし下さいますよう」
いや、祈りの間ってすぐ隣でしょう? 会話さえ筒抜けになりそうな距離を歩くのが手間とかって、人をバカにしてんの?
神官という職についている方々への尊敬の念が、ガラガラと崩れていくわね……あたしこれでも一応、彼らを見習う立場の聖職者の娘なんですけど。
面倒事なんか済ませて、早く村に帰りたいな~とか考えつつ、軽い足取りで祈りの間に入ると、恐慌状態から正気に戻った神官の方々が、ずらーっとこちらに向かってお辞儀してくる。
……これはあれよね。あたしの背後から影のごとく付いて来てる、バルドさんに敬意を表しているのよね。
神官長の煌びやかなローブを纏ったご老体が、顔を上げてあたしを真面目からしっかと見据えて……
「勇者さ……」
「違います」
不敬と知りつつも、あたしは神官長様のお言葉を遮った。
しかし、海千山千の老人は手ごわかった。
「おお、ワシの『勇者様ではないのですな?』との懐疑を即座に否定なさるとは、やはりあなた様は勇者様!」
なんだその屁理屈。
あたしが呆れて二の句が告げずにいる間に、神官長様は劇団の主演男優並みの張りのあるバリトンを張り上げ、注目を集める所作で天へと両手をそっと翳す。
「先ほど新たに、神より啓示が下されました。
『勇者の封印は解かれり』
即ち、魔の者の策略より確実に生き延びるべく、封じられていた勇者様本来のお姿を現されたのでございます!」
「……は?」
正直、あたしの頭の中は『何言い出しちゃってんの、この爺さん?』以外は真っ白になっていた。
「なるほど……それならば、俺が知る今までのリジム様の不可解な言動にも、腑に落ちる点がある」
固まっているあたしの背後から、バルドさんがスッと歩み出てあたしの前に跪いた。
「リジム様は決して、故郷の事や自身が経験なされてきた過去については、深く語ろうとはなさらなかった。
そしてこうも仰っていた。『僕は役目を終えれば消えるんだ。いいや、消えなくてはならない』と」
「待って、バルドさん。
それじゃあまるで、勇者リジム様があたしの……」
身代わりでも引き受けていたみたいじゃないか。そう言いかけて、ハッと口を噤んだ。
神官長様を始め、祈りの間に居並ぶ神官様方の眼差しが、無言のままそれを肯定してきている。
思わず一歩後退ると、いつの間に背後に立っていたのか、ナーザ神官の胸にあたしの背中が激突する。
ハッと彼を見上げると、あたしをしっかりと見据えたまま神官は重々しく口を開く。
「まさしく、あなた様もまた、神に選ばれし勇者なのですよ、ミザリー様」
神様。何か、あたしの常識では有り得ない事が起きています。
どう考えても、単なる村娘でしかないあたしの目を覚まさせるよりも、どうやってか男体になって魔物退治に励んでいたリジム様が魔王に挑む方が、勝率も求心力も高いと思います。
「ミザリー様、俺は変わらずあなたと共に参ります」
「ならば、わたくしもお供させて頂きます、ミザリー様」
目の前には跪く聖騎士、背後には肩に手を置いてくる神官。
……逃げ場、無し。
なんだかもう1人のあたしらしい勇者リジム様、お願いだから帰ってきて下さい!
あたしは単なる村娘であって、英雄にも勇者にもなれはしません!
封印解いてレベルダウンとか、神様はいったいナニ考えていらっしゃるの?




