第1章 些細ないざこざ
単調な目覚まし時計の音で目が覚める。片手で止め、いつものように朝の支度をする。自動車に乗って研究所に向かうが、途中で水素が足りないことに気づき、水素スタンドで補充する。駐車場に車を止めた時、友子の声がした。
「おはよう」
馴れ馴れしい挨拶ではない。公私混同はしないと、お互いに決めているからだ。そのおかげで、今はまだ山田にも気づかれずに済んでいる。噂をすれば影、とはよく言ったもので、研究所に入ったとたん山田が声をかけてきた。
「所長、今日の議題はなんでしたっけ?」
『所長』という言葉に皮肉を感じ取れた。まあいつものことだ。どうやら、自分よりも十歳以上も若い私が所長になって不服らしい。聞く話だと、もし私が居なければ彼が所長になっていたとか。想像したくもない。
「所長、どう致しましたか?」
山田は嫌な奴だが、馬鹿ではない。今日の議題だって知っているに決まっている。恐らく、私が答えられなかったら陰で馬鹿にするつもりなのだろう。
「今日の議題は、水素の確保状況についてと、ブラックホール発電における送電の効率化についてだ」
山田と歩きながら話している内に、会議室に着いた。他の研究員は全員準備が出来ているようだ。友子の姿も見える。
「今から、エネルギー源についての会議を始める。まずは、水素の確保状況についてだ。友広研究員、とりあえず百年分の目星はついたか?」
会議は順調に進んだ。水素はひとまずの目標としていた百年分の確保が終わり、まだまだ生産できるし、ブラックホール発電の送電効率は従来に比べて飛躍的に上昇した。何も問題になるようなものは無かった。会議を閉会しようとしたその時――
「所長、少しお耳に入れたい話があるのですが。」
山田が声をかけてきた。全く、めんどくさいやつだ。
「それは会議に関係のあることか?」
「この研究所に関係あることです。最近、我々が……」
聞き飽きた。どうせ陰謀論が流行っているというお決まりのネタだ。根も葉もない噂など、目立つものには付き物だというのに。
「閉会!」
「所長?」
「その話は聞き飽きた。どうせ根も葉もない噂だ……警告しておこう。これ以上そんなことを吹聴すれば、私は君を首にする」
久しぶりに、自分の本音を吐き出したような気がする……それもかなり強い口調で。まあいい。たまにはこういう事も必要だ。所長としてのリーダーシップを発揮するためにも、な。これでいい、と自分に言い聞かせて、私は会議室を後にした。