表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

作者: 白崎なな
掲載日:2026/03/02

 私は知っている――愛する貴方が、コソコソと女と会っていることを。

 泳がせていたのは、敢えてのことだって。貴方はきっと気がついていない。そもそも私が浮気に気がついているとは、知らないのでしょうけど。



 彼とは付き合って三年。節目とも言われる年でもある。恋から覚めるが早いか、愛に目覚めるが早いか。その分岐点。


 彼は二個下の、後輩だ。

 明るくて人懐こい、誰からも好かれるような人。嫌な顔をせず、書類を受け取ってサッと仕事をこなす。

 そんな彼には、ファンクラブと呼ばれるものが存在した。



 それぐらいに、出来る男。




 何よりも、端正な顔立ちをしているのに柔らかく微笑むものだから……それはもう、自分の武器を知っているのだろう。



「上原先輩」

「なに」

「これってどういうことですか?」

「そんなのも分からないの?」



 対して私は、可愛げもない。

 なんなら、上司にしたくないナンバーワンとさえ言われる。威厳を保つためには、どうしたらいいのか。それを考えた結果が、この強い女だったのだが。


 別に、好かれたいとは思ってないからどうでもいい。



 それなのに、この彼は臆することなく付いてくる。もし犬ならば、喜んで尻尾でも振っているいるだろう。



 その度に、コソコソと陰で囁かれる。



「上原先輩って、どんな人も従えるんだね」

「原くんの弱みでも握ってるんじゃ……」



 聞こえてるわよ。



 でも、そこは女だ。わざと、私に聞こえるようにしてきている。そんなのは、考えなくても理解できる。



 分厚めのファイルを机に置いて、こちらも()()()音を立てた。


 噂話をしていた彼女たちは、肩を震えさせて散っていく。



 仕事しろ。仕事を。



「今日この後って、時間あります?」

「なんで」



 今し方、持ってきたファイルを開く。

 なんてこともないような内容で、必要だからという理由で確認作業をしている。



「今日、華金ってやつじゃないですか」

「……」



 めんどくさい。



 それに仕事を進めたいのに、わらわらと寄ってくる女がめんどくさい。うるさく喚くな、とすら思う。

 だからこそ、ここ(職場)でそういう話はよしてほしい。



 現に、周囲の女どもは聞き耳を立てている。



 もし二人で飲み会だというのであれば、阻止しようと試みているのだろう。


 そんなのは、バレバレだ。



 小さくため息をついて、横に座る彼に視線を移した。



「いいじゃないですか」



 まさに、おやつを強請る子犬。

 彼は、私がこの顔に弱いことを知っているのだ。



 弱みでも握られているんじゃ? どっちが握っているんだか。



 眉を歪ませ、顔を逸らす。

 この顔を見ていたら、縦に首を振ってしまいそうで仕方がない。



 私は怒っているんだから。



「原くん?」

「はい!」

「今仕事中」



 話しかけるな。



 線引きをしっかり引かれて、彼は諦めたようだ。

 ほっと肩の力を抜けば、就業のチャイムが鳴り響いた。



 彼が言ったように、華金。

 早く帰って溜めていたドラマを観ようとする人や、飲みにいく人。今日は、残業をしたい人はいない。



 私もできれば、したくない。いや、今日がというよりも、残業が。



「上原先輩」


 また来た。君も懲りないね?



「仕事終わりましたよね?」

「だから?」



 鞄にまとめ、サッと立ち上がる。

 それに着いてくる彼は、本当に飼い主に従順な犬だ。



 私が身長が低いせいなのもあり、背伸びをしても彼の頭に触れられない。上から見下ろされているのに、圧を感じないのは、彼の人柄の良さだろうか。



 ……でも、私は知っている。そんな彼も、裏の顔がある。ふわふわと見せる笑顔が、悪魔のような笑顔になる瞬間を。



「ねぇ。聞いてんの?」



 誰も居なくなったエレベーターホール。

 壁に曲げた腕をついて、顔寄せてくる。笑顔は消えて、真っ直ぐ私をいるこの瞳。


 いつものように顔を背けたら良いのに、この瞳に捕まったら反らせない。



「……聞いてる」

「美優は、俺のこと何で無視すんの」

「べつに。仕事だったんだもの」



 うそ。仕事以上に、貴方に嫉妬している。

 ふわふわとした柔らかい笑みをばら撒いて、いろんな女の視線を掻っ攫っていくのに。



 しかも、どこぞの知らぬ女と会っているのだ。

 許せるわけがない。



 でも、まだ証拠が不揃い。泳がせておくが吉。



「美優」



 大きな体を屈めて、耳朶をはむ。低音の声が耳に直接吹き込まれ、脳が痺れる。

 甘く囁かれたのは、私の名前だけ。それなのに、ズンッと痺れが溜まる。



「行くよな」


 有無を言わさぬ物言い。この声には、抗えない。



「……いく」




 その言葉で良しとしたのか、解放をされた。

 近づいていた温度が消え、いつも見せる柔らかな微笑みを浮かべた彼と目が合う。


 うっ。


「早くして」



 ここでこれ以上は、嫌だ。自分がおかしくなる。



 ◇


 休日を経て、また職場。

 なぜ、週休二日しか休みが無いのだろう。もっとゴロゴロとさせて欲しい。



 こんなにも身を粉にして働いているのだから、少しぐらいゆっくりしてもバチは当たらないだろう。



 帰ったら、プリンでも食べようかな。



 そんなつまらないことを考えていた矢先、例のエレベーターホールで彼が女と抱き合っていた。

 真っ赤なネイルをして、七センチはありそうなピンヒール。身長は元から高いだろうその女は、彼の肩に顔を埋める。



 まぁ、昼間っから。堂々と?



 職場では、二人の関係性を隠してきた。

 彼がフリーだと考えて、告白をしてくるなんてことはしょっちゅう。さらに、こうやって抱きつかれて……なんてこともある。



 でも、これは違う。



 女の勘がそう、訴えている。

 コソコソと女と会っているのを知っている、というのも先週の休日に指を絡ませて女とデートをしていたのを目撃している。



 驚きのあまり、少し付いて回った。

 何事もなく過ぎていくので、杞憂かと身を翻そうとした。その時――彼女の唇と合わさった。



 紛れもなくこれは、浮気。



 しかもこれが、女が無理に……というのであれば話は別。目撃したのは、彼からキスを落としたのだ。



 怒りを通り越して、涙が溢れてきた。

 それを無理に拭って、何とか家に帰ってきた。一人になれば冷静になるかと思ったが、そんなことはなかった。


 怒りに変わり、どう女を突き止めようか。そんなことに変わっていた。




 ふっと離された彼女は、紛れもなくあの時の女。



 やっぱりね。



 カツカツと、音を立てて歩みを寄せる。

 現場を押さえたら、もう言い逃れはできないはずだ。


 どんなにあの目をされても。

 どんなに柔らかい笑みをされても。

 どんなに低く溶ける声で囁かれても。



 許してあげないんだから。


 怒りに任せていて、関係性を隠していることなんてすっかり忘れていた。

 


「ちょっと?」


 ハッとなった女は、私の顔を見るなり青白くなる。

 そうなって当然。



 私に至っては、彼女とは反対に怒りで真っ赤に染まっていることだろう。

 女の顔はどうでも良い。

 ブスだとも思わないし、若い方がいいとも思わない。



 そんなことよりも、浮気に至った経緯が知りたい。


 睨み上げれば、彼は悦に浸るような顔をしている。それは睦言の時とは比べられないほど、悦びに満ちている。

 うっすらと開いた口は、赤い舌で唇をなぞった。



 なに?


 この人が何を考えているのか、全くわからない。



「美優。ここじゃ話せないだろうから、今夜……ゆっくりと」



 ◇



 シックで落ち着いた部屋。

 黒単色ではなく、差し色に白を使っているからか暗くない。



 そんな部屋で、机を挟んで腰を下ろしている。



 朝見たような表情ではなく、唇は引き結んで。

 子犬の尻尾は、だらんと垂れ下がっている。いかにも反省してます風の姿勢をとっている。



 ますます、彼の思考が読めない。



「ごめん」



 謝るなら、やらなければよかったんじゃないの?



 そう思うのに、声にならない。

 怒りなのか、はたまた、分からない彼への恐怖心か。



 突き止めてやる、なんて思っていたはずなのに。その先なんてまるで考えていなかった。

 突き止めて……別れたかった? そんなことはない。



 だって、愛してる。

 絶対に離してやるものか。




 徐に立ち上がって、ワインを持ってきた。

 大きな手には、二つのワイングラスとボトル。空気を含ませて注がれたワイングラスを一つ、私の前に置かれた。



 そんな気分じゃない。



 ジトっと舐めまわし、喉を嚥下させた。



「取り繕うっていうの?」

「違う」

「じゃあ、どうして――」



 そう言いかけて、目を見開いた。

 見下ろす彼の瞳には、光が無い。絶対零度の表情が、背筋を凍らせる。



 罪を犯したのは、彼なはずなのに。

 まるで私が悪いみたい。




 息を吸うのも制御されているようで、苦しくなってくる。金縛りのようで、体は動かせない。



「飲んで」



 ようやく動きを許されたと思えば、それだ。

 上司にしたく無いナンバーワンって、誰のことだったっけ。絶対に、私じゃない。



 重たい右腕を動かして、ワイングラスをとる。


 震える唇をつけて、ワインに口をつけた。

 味なんてこの状況で、分かるはずもなく喉を走らせて、胃に落とし込んだ。



 これ以上は、文句ないだろう。

 握ったグラスを投げるようにして、中の液体を彼にぶちまけた。



 真っ白で丁寧にアイロンをかけられたシャツ。

 擦り寄られて彼女の香りでも移っているのだろうそのシャツは、赤いシミを作っている。



 赤紫の液体は、じわじわと広がっていく。

 心を蝕む嫉妬のよう。




 うん?



 ポタリ、ポタリ……唇から滴るのは、生温かい液体。

 自分の唇を拭えば、ワインよりも赤い血。



 咽びかえる程の血生臭さに、襲われる。

 目の前が霞、白いフィルターをかけられていく。



 その先で、ふわりと笑う悪魔の笑み。




「美優、愛してるよ」



 形のいい唇が、ワイングラスにつく。全て煽り嚥下をしたかと思えば、大きな手のひらで頬を包まれた。



 この温かな、手のひらが好きだった。



「美優」



 この低音に響く声が、大好きだった。



 どこまでも離さない瞳が、愛おしい。



「どこまでも、一緒だから。嫉妬を見せる君は、世界一美しい」


 その声を聞いて、私の瞼は落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ