第一部 第一章 第十二話 求めるのは一万の罵倒より十万のほめ言葉
俺たちはホワイティの背に立ち尽くしていた。いや、俺たちではなく俺と俺のもう半身が。大変申し訳ないが、この情景を事細かに描写するのは差し控えたい。大人の世界と創作の世界ではいろいろと権利関係がうるさいのだ。まあ、映画化の際はすべてをプロデューサーの力量にまかせたい。
あらましをいうなら、シロナガスクジラの背に立つ俺は銀と黒の全身タイツにプロテクターをつけた耳のヒラヒラした変人だった。ただでさえ郷里の母には俺と生萌のことでしんどい思いをさせてきてすまないと思ってるのに、これはあんまりだ。とても口にすることはできない。
頭を抱える左目の俺に右目の牢獄からジムさんが言った。
「ホゥ、でかくなったな、小僧!」
どうやらジムさんはすべてを知っているらしい。ならば何故? ならば何ゆえにと俺は問いたい。なぜ俺に己のもてるすべての技を教え込んだのか。俺が何のためにボクシングを覚えたかったのか想像がつかぬわけでもないだろうに。
「あの世で散華せいっ!」
ブン!とうなりをあげ、ジムさんの放った俺の左拳が俺の右頬にめりこんだ。
「ウギャア」とジムさんが叫ぶ。
ジムさんが支配しているのは俺の右目から上、つまり右脳側だ。俺が支配しているのは左。交差神経が脳から体に伝わる命令を逆転させているのだ。
続けざまに、ビュ!と極北の冷気を切り裂き、今度は俺の左脚の旋風脚が俺の右側頭にめりこむ。
「ウゴャア」とジムさんが叫ぶ。
わかってない。ジムさんには脳と体のしくみがわかっていないのだ。所詮は奴隷の出の低学歴、まだ勝機はある。
「さらばお師さん……」
俺は松田先生直伝の必殺技、猛虎硬破山を放った。
「痛ァータタタッ!」俺の右肘が俺の左わき腹にめりこんだ瞬間、俺は絶叫し血ヘドを吐いた。
互いに奥義を出しつくし、互いに不死身の体となり、それが通用しないとなった今、俺たちはどう決着をつけるのだ。
それは一瞬の間、だった。
「……」
風がやんだ。
す。
俺の右手が伸びた。
腰の隠しに。
手触りがあった。
硬いものが指先に感じられた。
だが。
北極は寒い。
指がかじかむ。
「ぬ」
ジムさんは何かを察したようだ。
ひょう。
一陣の冷気というには夢枕に感じたほどの突風が吹きすぎた。
挿絵はない。
否。
挿絵はいらぬ。
待ってはいられぬと。
言うのだ。
印刷機を止めている、と。
コイン。
呪われたそれを宙に放る。
ズキューソ!
氷で作られた弾丸が。
飛んできた。
極北の冷気と、寒風と、重力のゆがみを読みきっている弾道。
チュイーン!
コインを弾いた衝撃で弾道はそれる。
そしてまっすぐに。
俺たちの額に向かってきた。
刹那。
俺は右にジムさんは左に飛んだ!
さいとう・たかをつながり。
その弾丸を発射した男は、さすがに極北の光から目を守るため細いスリットを入れたアイマスクをつけていた。シガリロを口に、しかし氷原の高みからすぐにその姿は消えた。紫煙と硝煙をかすかに残し。
俺とジムさんはは再び個人と個人に戻った。
とたんに喉が渇く。「水、水…」俺は水を求め、水筒を干した。
次回予告
そして激闘の果て、ジムの口から語られたのはタフネス大地に立つ!には思いもよらぬ真相だった。この陽の沈まぬ純白の地で明日はどっちにさがせばいいのか?




