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「汽車男」筑豊篇  作者: アニー・ヨシムラ
第一部 第二章
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第伍話  Colour me your car , darling

 この時代の日本はまだ、地理的な吸心力からできあがる国家初期の軸すらみられず、未だそれぞれの小規模な領地単位の集合が、絶えず領地と収穫物を求め互いを飲み込み、それが分裂し、さらに併合しあうような流動的な段階にしかなかった。


 刀と馬持ってる奴らにはかなわない。昔からこうだからしょうがない。生まれてきたから生きている。天気に文句をいうようなもの。それよりも今日の食い物をどうするか考えろ。という生き方しか選ぶことができない民草。それでもまだ血縁という引力で繋がっていられた者たちや、それらの集まる集落に住む者たちはまだ、さらに下の階層に属する人々を差別することで、その閉塞感を見ないことにし、明日が来るあきらめをまぎらわせていたのかもしれない。


 つくねバーグを頬張り、串についた魚の脂を舐めとりながら、断片的に身の上を語るおもえの言葉から俺は、そんな教科書的な歴史の一ページに添えられた脚注のような共感しか抱けなかった。


 おもえの境遇を簡単に例えるなら、東と西の強国に挟まれたこの小国で、長い年月に渡り幾度も蹂躙された土地と人は、地理的にも精神的にも引力を失い、あらゆる絆が完全に分断されてしまっているということだ。

 なりゆきで戦災孤児が集まった、下は2歳から上は10歳のグループに行き場なく属して今日を生きている。それがおもえの今日と昨日と、それ以前だった。

 血のつながりのない弟たちが妹たちがいるという。いつの間にか廃寺に吹き寄せられた孤児たちが、互いに助け合い労わりあうコミューンができつつある。その年長者の一人が私なのだと、おもえは串をしゃぶりながら、こともなげに言った。

 道具も何もない。死んだ侍からはぎとった胴丸の切れ端で、魚を追い込み、小魚でもすくえたらと思って用足しのついでに今日も川へ来た。


 陽は中天から傾きかけ、葦の茂みの根本に影を落とし微妙な陰影をつけることで、涙で歪んだ俺の目に映る風景に、奥行きと現実感を添えていく。泣いちゃったよだって可哀想なんだもん。時代も国も違っても子供たちが本来的に持っている健康的な活力、自己保身にはしらないスリムな精神に偽りが入り込む余地はない。涙を流すだけの俺。

 今、俺がおもえにしてやれることは何がある。何ができる。なんの力がある? ハードボイルドに生きてきた俺は果たして、俺の旅を通して何を学んでどんな力を得たのか。


 焼けたつくねバーグの串をもう一本差し出しながら「おもえちゃん…」俺は吐き出すようにそう呼びかけた。

「ンっ?」そう応え顔を傾けるおもえのざんばらの髪が、陽の光を受けてキラキラとみがきたての銅線のように輝く。

「パ、パンツ見せてくれないかなぁ?」

「ぱんつ?」

「うん、パンツ。お願い!」

「うまイもん食べさせてくれたから、もえ、もうなぁーンでも見せテあげるけド、でも残念ですがパンツは今、はいてないんですなー」

 おもえは膝上までの擦り切れた麻の布地を体に巻き帯代わりの荒縄で〆ているだけだった。もちろん素足で草鞋すら履いてはいない。そうだった。ならばパンツなんて贅沢品を履いていようはずもないではないか?


 高鳴る動悸に後押しされながら

「なしなし。今のはナシね。じゃあさ、そのー、ハ、ハグさせてもらえないかな」

 そう言いながら俺はセグウェイのサービスハッチから、とっておきの加工オキアミペーストのウェハーを取り出す。

 それを目で捉えたおもえは

「エ? はぐ? ぅ~、うん、お返しだからナそんくらいなら、こ、こうか?……」と言いながら両腕を耳につくように頭上に真っ直ぐに伸ばして顎を上げ、背筋を反らして空を見上げる。

「は…、剥(は)いで、イィよ…」

 俺はセグウェイをゆっくりと進めおもえに近付き、諦めてその腹に顔をうずめた。


 軟らかく肩を抱き、ついでに髪の毛に頬を少しだけでもうずめられたならそれで満足だった。

 ……けれどセグウェイの上に上半身をポンと置いただけのような俺の状態ではそれは叶わない事に、今気づく。


 泣いた子供が姉に抱きついているような、あるいは若い娘に狼藉をはたらこうとしてタックルをしかけているような、おかしな絵面になっている事だろう。だがこの温もりは、最後に生萌を抱き抱えたあの夜の、今や遠くなってしまった記憶に重なる。


 見上げるとおもえは、午後の柔らかい光を跳ね返した髪の毛をきらきらと輝かせ、その表情は影になっていて読めない。


 おもえは自分の胸に右手を当てると、ゆっくりとまさぐるように動かす。

 その呼吸が次第に荒くなっていき、上半身が大きく一度、二度、揺れた。


「……?」


「ぐ、ぐぅ…」突然おもえが顔をそむけて嘔吐し始めた。


 うかつにすぎたのだろう。

 その時はまだそれが夾竹桃(きょうちくとう)の毒によるものだと気づけずにいた俺の後頸部にひんやりとした固いものが押し付けられた。

 俺はおもえの腹に顔をうずめたまま、一体どうするの、俺?と思っていた。

(次回予告)

はたして俺の身に何が起ころうとしている?

俺の後軽部に当てられたのははたして、銃口か、それとも悪魔の唇か?

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