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第一部 第一章 第十五話 あびる優で~す、ダルビッシュ有で~す、ふたり合わせてUU(ダブルユー)~!

 俺は漂う難破船。行く当ても、たどり着くべき港も、鉄の精神も、ぜーんぶ失くしてしまった。何の手立ても打てず、流されるままの俺は立派に海の藻屑士官候補生。

 共に苦しい旅をつづけてきた仲間も、船も、復讐の相手をすら見失ってしまい、ただこうして流氷の塊が作る隘路を流れるまま。


 とりあえずはセグウェイのタイヤからチューブを取り出し、首を通したのはいいもののこれからの見通しがまったくたたないまま、ただ後悔の逆波に巻かれ航海するだけで、ひたすらに漂うことしかできないまま、あれから三日がたった。

 喉が渇けば小さな流氷の破片をスチームボールの熱で溶かして口にし、腹が減ったらアザラシを撃ち、喉を裂き血を飲み、肝臓をスチームボールでボイルして、海鳥のフンとイチジクでちょっとソースを作り、脳の薄切りをバターでソテーし、どうだいクラリス、我が伯爵家に代々伝わる金の羊の叫び声はまだ聞こえるかい?と自分をごまかして、ぱくぱくとそれを食んでしのいできた。体は無慈悲な女王の内股のようにカッチカチに固まってしまい、どこまでが海でどこまでが自分の体なのか、もうわからない。そろそろ極点に近いあたりにまで流されてきているだろう。


 しかしその時の俺は、まだジムが死んだことを知らずにいた。

 片腕をヘリの操縦桿から離し、俺に手を振ったまま操縦不能になり、そのままヘリの素人のヤツでは体勢をたてなおす努力すら空しく海面に落下し死んだ。「無茶しやがって!」なぜそれを知ったか。

 俺は最近、夢を見た。

 北極海に沈むジムの体。情を知らぬ冷たい水はただ必要以上の不純物を寄せ付けず、海の掟を冷徹に律する故に美しく昏い。厚い氷をやっとくぐる光はわずかで、そのすぐ下は底知れぬ深い色をしている。

 かすかな光のベールに包まれ、ゆっくりと沈んでいくジムのその左の薬指を、美しい鱗をした魚が食いちぎり、さっと身をひるがえし、すぐに見えなくなるほど、さらなる深みへと潜っていった。

 その魚が指をくわえ込む一瞬前、生萌の指輪がキラリと弱く光ったのを俺はその夢で見た。


「生萌…」


 夕暮れ。廃坑のそば。廃墟になった炭積場。雑な支柱に渡され雑に組まれた赤サビだらけのH鋼と、横に渡された鉄パイプ。屋根にはられた波状のトタンはあちこちに穴があき、そこから力ない光の薄帯が救いの手を天に延ばそうとしている。

 手ごろなパイプを鉄棒のように逆上がりをしかけ、中途で自信なくあきらめて、逆さまにぶらさがったまま放課後の校庭で時間の止まってしまった小学生のような俺。

 世界は俺を、俺たちを押し付けて身動きさせないように、息すらさせじと頭上から覆いかぶさってくる。息苦しさと逃げ場のないもどかしさと、自分の卑小さに涙が止まらない。いいか、敵は足元、つまり俺の下にいるんだ! そのことを忘れるな>俺。


「オにぃチャーんっ、やっパここにいたンだー」生萌の声だった。


 俺たちを押しつぶそうとしている空の磐石に、生萌は足を踏みしめ、昇る夕日を背に、すっと迷いがなくぶらさがっていた。下校途中でここに来たまま、制服も鞄も短いチェック柄のスカートも、べっ甲のメガネもショートカットでパラパラとした髪も、白い肌、ほんのり赤い頬、大きな目、長く切ない眉毛、なめらかな唇のういういしい薄皮。いつもの生萌。でも逆光のせいでスカートの中はじれったく見えない。


「んー? コレはどうしたことか。オにぃチャんの目から不思議の水がこんこんと湧き出ておるぞっ。何たるマジック!」

 首をかしげ膝を折りながら、生萌がアゴをやや27度傾け顔を近づけてくる。

「んれ? あにチャン、コレはなーぁンたることダ! これでは民草が水害で難儀しよう。知った以上みすみす放ってはおけん。わらわがすべて飲み干してみせようぞ」

 そうおどけてみせて、生萌の軟い色をした生硬い舌が、そっとなめるように、優しく俺の瞼から額へ流れる涙の筋を下からたどり、そして、その唇の先で巧みに、俺の涙をずっとずっとついばむようにすすってくれた。

「何たるコイツはおバカな、意地っぱり屋さん……。辛いのかい?辛いよね…。ちょっとだけ、あたし、ゴメンって、言っても、イイかナ、ぁ」

 切れ切れにそう漏らし、唇と舌を使い、吐息まじりに。

 そしてその時の俺たちの、互いの舌にすがりつくようなくちづけは切なげだった。


 あまりの寒さに俺は現実に、叫びをあげる肉体に、現在へ引き戻された。

 遠くに見える何だろうあれは。大きな大きな指輪が氷面から半分突き出したような。

 例えていうなら何かのゲートのような。


 吸い寄せられるように吸い寄せられて俺は、それへと引き込まれていく……。


(次回予告)いよいよ第二章突入!

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