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第六話 鎖の創造

合格発表の朝。俺は自室のベッドの上で、あの黒いカードを握りしめていた。

時刻が午前七時を回った瞬間、カードの表面にじわじわと銀色の文字が浮かび上がってくる。

『選抜試験結果:合格』

『入学に先駆け、合格者を対象とした先行儀式を執り行う。指定時刻に、カードを空間にかざせ』

「……受かったのはいいが、入学前にまだ何かあるのか」


独り言をこぼした直後だった。

手の中の黒いカードが突如として異常な熱を持ち、輪郭を崩してドス黒い光の粒子となって弾け飛んだ。

驚く間もなく、無数の光の群れは俺の身体を包み込み、着ていた衣服を侵食していく。数秒後、光が完全に収まると、俺の身体には黒を基調とした見慣れぬ衣服が纏われていた。

生地は軽く、それでいて奇妙なほど頑丈だ。これから俺たちが通うことになる、学校の制服なのだろう。


♦︎♦︎♦︎


指定された時刻ちょうど。

俺は自室の何もない空間に向かって、制服の袖口をかざした。

すると、目の前の空間が水面に石を投げ入れたように歪み、不可視の扉が口を開けた。その奥には、現実の景色とは全く違う、白亜の建造物の一部が見えている。

俺は意を決して、その歪みの中へと足を踏み入れた。

薄暗い空間のトンネルを抜けた先には、息を呑むような光景が広がっていた。

見上げれば、現実の空よりも遥かに高く澄み切った青空。そして、その下にそびえ立つのは、ガラスと白亜の石材で構築された巨大な建造物群だ。


ここが、創造者育成専門学校「天令」。

周囲を見渡すと、広場のような場所のあちこちで、空間が波打っては黒い制服姿の同年代の連中が次々と吐き出されてきているところだった。どうやら、学園へ至る入り口は共有ではなく、合格者一人ひとりに個別のゲートが用意されていたらしい。


「おはよう、輪。無事に受かってよかったよ」


爽やかな声に振り返ると、すぐ近くの空間の歪みから姿を現したばかりの悠真が立っていた。

長めの黒髪をすっきりとまとめ、学園の制服をモデルのように着こなしている。相変わらず、どこかの国の王子様のようなオーラだ。


「おはよう、悠真。お前も受かったんだな。……しかし、いきなり個別のゲートで飛ばされるなんて思わなかったぜ」

「本当だね。入り口の座標は一人ひとり別々に設定されていたみたいだ。入学前にわざわざ集められるなんて驚いたけど、どうやら僕たち合格者は、一般のカリキュラムが始まる前に特別な儀式を受けるらしいんだ」

「特別な儀式……『天啓の儀』ってやつか」


♦♦♦


先行して行われる儀式は、大理石で造られた荘厳な大ホールで行われた。

合格者たちが整列した壇上に、硬い靴音が静かに響く。

現れたのは、白を基調とした流麗なドレスコートを纏った女性だった。雪のように白い肌と、夜空を切り取ったかのような深い群青の瞳。

彼女が足を踏み出すたびに、ホールの空間そのものが歪み、不可視の圧力が軋むような錯覚を覚える。


「歓迎します、次代を担う選ばれし皆さん。私がこの、創造者育成専門学校『天令』の最高管理者――クウアです」


透き通るような、それでいて絶対的な権威を持った声が響く。斜め後ろには、俺をこの学園に案内した金髪の執行者、レイが壁に寄りかかりながら静かに控えていた。


「これより、あなた方を真の『創造者』とするための先行儀式、『天啓の儀』を執り行います。……あなた方は現在、理を書き換える力に目覚めただけの『覚醒者』に過ぎません。」


虚空から無数の光の粒子が湧き出し、それらが瞬く間に凝縮して、淡く発光する透明な球体――『天啓の種』へと形を変え、一人ひとりの目の前にふわりと浮かび上がった。


「配られた『天啓の種』を手に取り、触れなさい。種は自然とあなた方の魂に溶け込み、己の波長と最も合致する『創造神』とパスを繋ぎます。神との契約をもって初めて、あなた方の力は魂に定着し、明確な形を持つ。自分の能力が何なのか、どう使うのか……取り込めば、魂が理解するでしょう」 


静まり返るホール。

皆が恐る恐る種に触れていく。すると、種は水滴が肌に染み込むように、彼らの手のひらへとすっと溶けて消えた。

数秒後、あちこちで感嘆の息が上がる。

皆、外見上の変化はないものの、その瞳にははっきりとした光が宿っていた。

静かに己の力と向き合い、脳内で能力を「知覚」しているのだ。

隣を見ると、悠真が静かに種に指先で触れるところだった。種が光の粒子となって彼に吸い込まれていく。

彼は目を閉じ、小さく息を吐いた。瞬間、彼の周囲の空気が、抜き身の刃のように鋭く冷たく澄み切っていくのを感じた。

ゆっくりと目を開けた悠真の瞳の奥で、鋭利な銀の光が瞬く。

だが、その端正な顔に浮かんだのは、いつもの爽やかなものではない。どこか自嘲気味で、ひどく悲しげな微笑みだった。


「……そうか。()、か。つくづく僕は、剣と縁があるね」

「悠真?」

「ううん、なんでもないよ。すごくクリアに視える。……輪の番だよ。大丈夫、リラックスして」


いつもの笑顔を作って促され、俺は手元の種を見つめた。

冷たいガラスのような感触。

これに触れれば、俺の力もはっきりする。化心体を殴り飛ばし、試験場の標的を粉砕した、あの得体の知れない熱と重圧の正体が。


俺は一息に、その種を手のひらで強く握りしめた。

瞬間。

脳髄を直接揺らされるような衝撃が走り、視界が急速に暗転する。

俺の意識は、光の届かない底なしの泥沼へと急激に引きずり込まれていった。

暗い。冷たい。そして、息が詰まるほどに『重い』。

水面に波紋が広がるような音が響き、俺は目を開けた。

そこは、鏡面のように足元が反射する、無限の暗闇の世界だった。

そして――俺の目の前には、一人の男が立っていた。


「……は?」


思わず声が漏れた。

そこに立っていたのは

身長百七十三センチほど。若干クセのある黒髪。

そして、地獄のトレーニングで鍛え上げられた、制服の上からでも分かる芯のある体躯。

どこからどう見ても、鏡に映った()()()の姿だ。

だが、決定的に違う場所が一つだけあった。

そいつの瞳には、一切の光が宿っていなかったのだ。まるで全てを飲み込むブラックホールのような、底なしの漆黒。

神などという神聖なものではない。もっと原始的で、凶悪で、抗いがたい質量の化身が、俺の姿を借りてそこに立っていた。

黒い瞳の『俺』が、ゆっくりと口を開く。

それは、数万の怨念が軋む金属音のように、頭蓋骨に直接響いた。


『――オマエハ、ナゼ繋ゴウトスル?』

「繋ぐ……?」

『鎖トハ、自由ヲ奪イ、縛ルモノ。……ソシテ、分カチガタク結ビツケルモノ。我ハ繋グ者。原初ノ絆ニシテ、断チ切レン重圧ダ』

そいつの背後から、重厚な鉄と鉄が軋み合う不気味な音が響き渡る。

それはまるで、世界そのものを縛り付けているかのような、恐ろしい質量だった。


「お前は、神……なのか?」

『我ハオマエ。オマエハ我ノ半身。……オマエノ魂ガ、本来此処ニ在ルベキデハナイ我ヲ呼ビ覚マシタノダ』


本来あるべきではない? その言葉の意味を反芻するより早く、黒い瞳の俺自身が、さらに深く問いかけてくる。


『我ハ問オウ。オマエノ、リソウハナンダ?』


理想。

その問いを突きつけられた瞬間、俺の脳裏に浮かんだのは、自分の根幹にある消えない渇望だった。

俺は、黒い瞳の俺自身を真っ直ぐに見据えて言い放った。

「俺の理想は……誰も泣かない、ハッピーエンドだ」


俺がそう答えた瞬間。

『俺』の顔が、歪に笑った。


『……ハッピーエンド。スベテヲ救オウトナド。オマエノ魂ノ器ハ、本来スベテヲ呑ミ込ム純粋ナ”黒”。ダガ、アノ日ノ激情ガ、我ヲ無理矢理ニヒキズリ下ロシタ』


『俺』は一歩だけ前に出ると、その冷たい手で俺の胸ぐらを掴み、耳元で低く囁いた。


『二ツノ魂ガ共存スルナド、理ニ反スル。故ニオマエノ鎖ハ、反発シ漆黒ニ染マッテイル。……ダガ、キミナラバ。ソノ歪ナ鎖デ、世界ノ理ヲ繋ギトメラレルヤモシレンナ』


そして、ドス黒い瞳が俺を射抜く。


『ナラバ、ソノオモサヲ、セオエ』


現実世界に引き戻された俺は、喉を掻き毟りながら絶叫した。

熱い。体中が内側から引き裂かれるように熱い。

理想という名の『重圧』が細胞の一つ一つに無理やり押し込まれ、許容量を遥かに超えたエネルギーが暴れ狂っている。


「おい、輪!? どうした!」


悠真の焦った声が聞こえた。

だが、もう止められない。俺の意思とは無関係に、魂に刻み込まれた『それ』が、現実世界へと溢れ出した。

俺の背中から、胸から、両腕から。

皮膚を内側から突き破るような錯覚と共に、大蛇のような太さの『漆黒の鎖』が、尋常ではない量で物理的に吐き出されてきたのだ。

それはただの幻影ではない。圧倒的な質量と密度を持った、純粋な暴力の塊。

そして、その鎖はただの鉄色ではない。光を一切反射しない、全てを吸い込むような底知れない『黒』に染まりきっていた。


「な、なんだあれ!?」

「あいつの体から……鎖が!?」


悲鳴を上げて後ずさる者もいれば、相対そうとするもの者いた。

俺は必死に鎖を抑え込もうとするが、全身の筋肉が痙攣し、言うことを聞かない。莫大な生命力が、絶え間なく溢れ出す鎖の維持に凄まじい勢いで吸い取られていく。

主の制御を外れた数十本もの漆黒の鎖は、それぞれが狂乱する首長竜のようにのたうち回り、手当たり次第に空間を蹂躙し始めた。

大理石の床が飴細工のように容易く砕け散り、巨大な破片が宙を舞う。鎖が薙ぎ払うたびにホールの堅牢な柱が抉られ、天井から吊るされた巨大なシャンデリアが粉々に砕けてガラスの雨となって降り注いだ。

ただ鎖が床を這うだけで、その異常な質量によって石造りの床が陥没していく。振り回される鎖が巻き起こす暴風は、それだけで生徒たちを後方へと吹き飛ばすほどの凄まじい威力を孕んでいた。


「結界を展開しろ!」


職員たちが叫び、見えない壁がホールの周囲に展開される。だが、暴走する鎖の先端がその防壁に叩きつけられるたび、空間が軋むような危うい音が鳴り響き、防壁を維持する教師たちの顔が苦痛に歪んでいった。

パニックに陥るホールの中で、壇上のクウアだけは静かに、その群青の瞳で荒れ狂う鎖を見下ろしていた。


「……なるほど。これが事前の報告にあった異端ですか」


クウアは平然とした足取りで壇上から降りる。――いや、歩いたのではない。

彼女が一歩を踏み出した瞬間、俺と彼女の間にあった十メートル以上の距離が『折り畳まれた』ように縮み、気付けば彼女は渦の中心にいる俺の目の前に立っていたのだ。

俺の意思とは無関係に、数本の太い鎖が鎌首をもたげ、最高管理者に向かって凄まじい速度で襲いかかった。

防壁すら容易く砕くであろうその一撃。

だが、鎖はクウアの顔の数ミリ手前でピタリと止まった。彼女を覆う、見えない『空間の断層』に激突し、激しい火花を散らしている。


「――静まりなさい」


クウアがすっと華奢な白い指先を伸ばし、虚空を弾いた。

空間そのものに巨大なヒビが入る、甲高い破砕音が響き渡る。

圧倒的な空間の圧縮と断絶。あんなに暴れ狂っていた漆黒の鎖が、不可視の圧力によって強制的に捻じ伏せられ、悲鳴を上げるように俺の体内へと押し戻されていく。

鎖が完全に俺の中へと消え去り、暴走が収まった、まさにその瞬間だった。

莫大な生命力を搾り取られていた反動が、津波のように押し寄せてきた。

全身の神経を繋いでいた糸が強制的に断ち切られ、立っていることすらできなくなる。視界が急速に黒く塗り潰されていく。

床に崩れ落ちる俺の耳に、クウアの透き通るような冷徹な声が、ひどく遠くから聞こえた。


「……鎖ですか。」

「輪!」 


駆け寄ってくる悠真の焦った声が、微かに鼓膜を揺らす。

脳裏に焼き付いているのは、深淵で出会ったあの『光のない瞳の俺自身』の姿。そして、アイツが告げた言葉。

望んだような綺麗な力じゃなかった。制御もできない、危険で恐ろしい漆黒の鎖。

だが、この理不尽な重さを飼い慣らさなければ、俺の理想の結末には手が届かない。

使いこなして、やるよ。

薄れゆく意識の底で、ただそれだけを強く誓いながら。

俺は深い闇の中へと落ちていった。

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