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第四話 博徒と父

予定より遅れて申し訳ないです。

第四話です

 静寂が、痛いほどに鼓膜を圧迫していた。

 俺の拳が貫いた空間には、もうあの哀しい青年の姿はない。

 ただ、世界を構成する粒子がキラキラと舞い、夜の闇に溶けていくだけだ。


「……終わった、のか」


 拳を開く。

 手のひらに残る感触は、肉を殴ったそれとは違う。もっと不明瞭で、けれどズシリと重い、魂のようなものの手触り。

 俺はそれを強く握りしめ、大きく息を吐き出した。

 肺が酸素を求め、心臓が早鐘を打っている。アドレナリンが引いていくにつれ、全身の筋肉が軋みのような悲鳴を上げ始めていた。


「ッ、そうだ……星羅!」


 勝利の余韻に浸っている場合じゃない。

 俺は瓦礫の山へと視線を走らせた。

 破壊された家庭科室の壁際。そこに、黒い制服の少女が力なく横たわっている。

 俺はもつれる足を叱咤して駆け寄った。


「おい、しっかりしろ! 生きてるか!?」


 抱き起こした体は、驚くほど軽かった。

 タイヤ引きで鍛えた俺の腕力からすれば、羽根のような重さしかない。だが、その軽さが逆に不安を煽る。

 透き通るような白い肌は土埃に汚れ、額からは赤い筋が流れていた。

 規則正しい呼吸はある。だが、浅い。

 俺を庇って受けたダメージは、決して浅くないはずだ。


「くそっ、俺がもっと早く覚悟を決めていれば……!」

 

彼女はエリートだと自称した。俺なんかよりもずっと、この世界のことを知っていて、戦い慣れていたはずだ。

 それなのに、素人の俺を守るためにボロボロになって。

 

「……救急車か? いや、怪我の説明ができねぇ。どうすりゃいいんだ……!」


 俺が焦燥に駆られ、彼女の脈を取ろうとした、その時だった。

 俺は弾かれたように顔を上げた。

 瓦礫で埋まった廊下の向こう側。暁の陽を背に、一人の男が立っていた。

 ヨレヨレのスーツに、無精髭。首からは社員証のようなものをぶら下げ、片手には派手な装飾のついたスマートフォン。

 そこから流れる軽快なファンファーレが、シリアスな空気をぶち壊していく。


「……誰だ、あんた」


 俺は星羅を庇うように身構えた。まだ敵か?

 だが、男からは殺意どころか、休日の公園にいるオッサンのような脱力感しか感じられない。

 男はスマホの画面を名残惜しそうにタップしながら、大げさに肩をすくめた。


「いやぁ、悪い悪い。ちょっと様子見に来るつもりがさぁ、まさか『牙熊』の確変が3万発も吹くとは思わなくてよ。連チャン止まらねえのなんのって」

「……は?」

「だからパチンコだよパチンコ。右打ちが止まらなくて、台から離れられなかったわけ。わかるだろ? 確変中に席を立つのはギャンブラーの恥だからな」

 

男はニカっと笑い、白い歯を見せた。

 俺は開いた口が塞がらなかった。

 学生が命懸けで化け物と戦っている間に、この大人はパチンコを打っていたと言うのか。しかも、それが遅れた理由だと?


「ふざけんな! あんたが監督官か何か知らないが、星羅が……あいつが死にかけたんだぞ!」

「おっと、そう怒るなよ青年。結果オーライだろ?これでも取り切らずに急いだんだぜ。」


 男は飄々とした足取りで瓦礫を乗り越え、俺たちの前まで歩いてきた。

 そして、俺の腕の中で気絶している星羅を一瞥すると、ふっと真面目な顔つきになり、彼女の額に無造作に手をかざした。


「……はぁ、派手にやりやがって。これじゃあ自力での回復は無理か」


その男の手のひらが、淡い光を帯び始めた。

 それは温かな光のようでいて、どこかデータの修正作業を見ているような、無機質な感覚も伴っていた。


「――『再創(リクリエイト)』」


 男が短く呟くと、光が星羅の体から溢れてていく。

 すると、彼女の苦しげだった呼吸が、見る見るうちに穏やかなものへと変わっていった。

 顔色は白紙のように青白かったのが、微かに赤みが差してくる。

 だが、額の傷や制服の汚れはそのままだ。


「……傷は治ってないぞ?」

「ああ。外側の傷なんざ後回しだ。今は内臓と神経の修復を優先した」


 男は手を離し、億劫そうに肩を回した。


「本来なら、こいつら創造者ってのは、自分の魂に刻まれた()()()()()の情報を元に、傷ついた肉体を上書きして治せるんだよ。それが『再創』だ。意識がありゃあ、自分で勝手に治るんだがな」

「自分で、治す……?」

「そう。だが、今のこいつみたいに意識が飛んでると、こうやって他人が外から干渉してやるしかねえ。……ま、他人の魂の情報をいじるなんざ、効率が悪すぎて骨が折れる作業だがな。命に別状はないところまでは戻した。あとはこいつ自身の治癒力待ちだ」

 

なるほど、と俺は納得するよりも先に安堵の息を吐いた。

 魔法のような回復だが、万能というわけでもないらしい。だが、少なくとも星羅は助かった。

男は俺が星羅を抱え直すのを見届けると、我藤は立ち上がると、今度は興味深そうに俺の右手を覗き込んだ。


「星羅がダウンしてて、化心体は消滅してる。でお前のその右拳だ。……状況証拠だけで十分だな」


 男は俺の拳を顎でしゃくった。

 言われてみれば、俺の右手はまだじんじんと痺れ、殴った時の衝撃で赤く腫れ上がっている。


「その顔は何だ。人を救ったはずなのに、人殺しでもしたようなツラしてやがる。……初めてか殺したのは?」

 

心臓を、直接掴まれたような感覚だった。


「……人じゃ、ない。あれは、化け物でした」


 俺は絞り出すように答えた。

 そうだ。あれは人間じゃない。理屈では分かっている。

 けれど、拳に残る感触は、確かに温かかった。


「でも、心があった。最後に……『ありがとう』って、言ったんです。俺に消されることを、救いだって」


初めて会ったそれも嫌悪感を持った男にだ。たが、震える声での吐露が止まらない。

救うということは、ただ綺麗事だけじゃない。相手の痛みも、終わらせる罪悪感も、全部飲み込むことなんだ。


「……そうか」


男は短く答え、ふうと煙草を吸う真似をして、何もない虚空へ息を吐いた。


「化心体は人の情念の塊だ。元がただの噂だろうが、そこに心が宿っちまえば、殺す感触は人と変わらねえ。……むしろ、純粋な分だけタチが悪い」

「救うことがこんなにも苦いものだと思わなかった。」


 拳の痛み。消滅させた時の、あの哀しい感謝の言葉。

 全てが重く、胃の腑に溜まっている。まるで、泥を飲んだような後味の悪さだ。


「だろうな。正義の味方ってのは、いつだって貧乏くじだ。だがま、お前はそのクジを引く覚悟を決めた。そうだろ?」


「隠蔽処理と星羅は俺がやっとく。お前は帰って寝ろ。……ああ、それと」


男は背を向け、ひらひらと手を振った。


「俺は我藤だ。お前が()()に来るならまた会うだろう。」


♦♦♦


 家に帰り着いたのは、日付が変わる直前だった。

 玄関を開けると、静寂が出迎える。

 いつもの家の匂い。

 激闘の後だからこそ、この変わらない日常がひどく愛おしく、同時に少しだけ遠いものに感じられた。


「……遅かったな」


 リビングの灯りがついていた。

 父が、食卓で新聞を広げたまま待っていた。テーブルの上には、冷めきった夕飯と、空になった発泡酒の缶。

 母さんが死んでから、男手一つで俺を育ててくれた父の背中は、昔よりも少し小さく見えた。


「父さん。起きてたのか」

「ああ。お前が部活以外でこんなに遅くなるなんて珍しいからな。……飯、温め直すか?」

「いや、いい」


 俺は食卓の椅子を引き、父の向かいに座った。

 普段なら、今日あった些細な出来事を話しながら飯を食う。ラーメンのスープの出来や、後輩の筋肉の仕上がり具合について。

 だが、今日は違う。

 俺は胸ポケットから、あの黒いカードを取り出し、テーブルの上に置いた。


「父さん。話がある」


 父の視線が、新聞からカードへ、そして俺の顔へと移る。

 俺の制服はボロボロで、顔には煤がついている。喧嘩の帰りだと思われても仕方がない格好だ。

 けれど、父は何も聞かなかった。ただ、じっと俺の目を見据えていた。


「俺、進路を変えたい」


 普通の大学に行って、公務員になって、安定した生活を送る。それが父の願いであり、俺もそうするつもりだった。

 危険な世界に飛び込むなんて言えば、反対されて当然だ。


「この学校に行きたいんだ。天令っていう……特殊な場所だ。詳しくはいえないけど、普通の勉強だけじゃなくて、もっと……大事なことを学ぶ場所なんだ。でも危険なことになるかもしれない」


 抽象的な言葉しか出てこない自分がもどかしい。

 だが、父は静かに目を伏せ、ため息を一つついた。


「……母さんに、似てきたな」

「え?」

「お前がその顔をする時は、誰が何を言っても聞かない。母さんもそうだった。一度こうと決めたら、テコでも動かない頑固者だったよ」


 父は立ち上がり、仏壇の方へと歩いていった。

 遺影の中で微笑む母に、線香をあげる。

 紫煙が揺らぎ、部屋に白檀の香りが漂った。

 父は振り返り、俺に向き直った。

 その表情は、厳しくも、どこか誇らしげだった。


「輪。俺には、お前が今から行こうとしている場所がどんな所かは分からん。もしかしたら、俺の手の届かない、危ない場所なのかもしれない」

「……ごめん」

「謝るな。漢が一度決めた道だ。……ただ、約束しろ」


 父の太い指が、俺の鼻先を指差す。


「絶対に、死んで帰ってくるなよ」

「……え?」

「生きて帰って来い、なんて当たり前のことは言わん。どんなにボロボロになってもいい。這いつくばってでもいい。死んだ顔をして帰ってくるな。……最後は、笑って帰って来い。お前の好きな、ハッピーエンドってやつでな」


 胸の奥が熱くなった。

 父は、全部お見通しなのかもしれない。

 俺が背負おうとしているものの重さも、リスクも。それでも、俺の「好き」を信じてくれている。


「……ああ。約束する」


 俺は親指を立てて、力強く頷いた。


「必ず、笑って『ただいま』って言うよ」


 父は満足そうに頷くと、「風呂入って寝ろ」とぶっきらぼうに背を向けた。

 その背中が、震えているように見えたのは、きっと――

 俺はカードを握りしめ、心の中で母さんにも誓った。

 行ってくるよ。俺の理想を叶えるために。


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