第8話『魔王軍七十二神将』
『魔王軍七十二神将が七十位。「怪嘯」シャルラッハである……!』
魔王軍七十二神将。
数多いる魔王軍の構成員の中でも、特に強力な七十二体に授けられる序列であり、称号。
そのうちの七十位が、今自らの目の前にいると知ってなお、アリアに動揺の色は見られない。
『ふーん、七十番台ってことは、新入りね。
前任者は誰だったっけ? イカ? タコ?
それっぽかったことだけは覚えてるんだけど』
すると、海王大蛸はわかりやすく体色を赤黒く変色させ、怒りをあらわにした。
『鉤爪烏賊だ……! あやつは古代より生き延びし、誇り高き一族の末裔であった。
それを、貴様のような小娘ごときに……』
ミシミシミシ、と触手の締めつけが強まり、アリアの骨が軋む。
激しい痛みが彼女を襲うが、おくびにも出さず、アリアは会話を続けた。
『そう、ベレムナイトね。ベレムナイト
確かに誇り高い……男だか女だか……まあとにかく誇り高い蛸だったね』
『烏賊だ! 間違えるな!』
『あ、そう。ごめんね。こだわりあるんだ、そこ』
『当然だ。貴様らとて、猿呼ばわりされれば腹が立つだろう!』
若干ずれているような気がしたが、本筋からそれるのでアリアは突っ込まないでおいた。
『わかったわかった、了解。気をつけるね。
……で、こんなに長々と、おしゃべりに付き合ってくれる理由はなに? 聞きたいことがあるなら答えるけど』
すると、シャルラッハは体色をもとの白に戻し、低い声で尋ねてきた。
『……人面獅子と飛竜を仕留めたのは、いったい誰だ?』
アリアは顔色一つ変えずに返答した。
『知らない。あなたたちのお仲間じゃないの?』
『違う。我らの一党に吸血鬼などおらん。
それどころか、他者の管轄区域で勝手に暴れ、同士討ちまでするような者など……カインドレイクめくらいか』
カインドレイク。
その名を聞いて、アリアの目の色が変わった。
『カインドレイクのこと、知ってるの?』
『知っているもなにも、あやつは新人のくせに、魔王軍七十二神将どころか、その上位十二体! 皇道十二神将の第二位にまで、あっという間に登りつめおった、忌々しい男よ』
舌打ちでもするように、シャルラッハがクチバシをカチカチと鳴らす。
皇道十二神将。
ただでさえ、一体一体が一個の軍に匹敵する魔王軍七十二神将の中でも、さらに上位十二体の呼称。
その正体は、未だにほとんど判明していない。
だが、百年以上前、大陸東部を支配していた大国が、この皇道十二神将の一人によって滅ぼされた、という噂が今でも残っている。
あくまでも噂だ。
その大国の生き残りは、誰一人としていないのだから。
(カインドレイクを殺すには、皇道十二神将に手が届かないと、お話にならない……)
ましてや、たかだか七十番台。
ただの神将風情に無力化されている程度では。
自分の前に立ちはだかる壁の高さに、目がくらみそうになるアリア。
『カインドレイクの話など、どうでもよい。
それよりも、吸血鬼めだ。
あやつはここ数年、クラウンヘイムの……いや、冒険者どもの周囲に姿を表す傾向があるとみた』
『ふうん。その根拠は?』
『昨夜、貴様らと同時にクラウンヘイムも飛竜どもに襲わせた』
『っ――!』
驚きに目を見開くアリア。
ニヤリとほくそ笑むように、シャルラッハが横長の目尻を下げる。
『安心せい。彼奴の眷属と思しきものどもに殺られたわ
だが、重要な情報が得られた。
吸血鬼めが現れたのはここだけだ。
つまり、彼奴の正体は冒険者!
それも、貴様の隊の誰かと踏んでいる。どうだ、心当たりはないか?』
『……ない』
『そんなはずはない。吸血鬼であるなら、どれほど高位の者であっても、日光は不得手のはず。
となれば、今貴様らがしているような日中の行軍は、相当に堪えるはずだ。
さあ、答えよ。誰が遅れている? 誰が辛そうにしている?』
パキン、と乾いた音と同時に、脳天を貫くような激痛がアリアを襲う。
(腕、かな。たぶん折れてる)
ぶわっと脂汗が吹き出すのを感じたが、水中なので顔には出なかった。
数呼吸置いてから、アリアは平静を努めて言った。
『そのくらい、調べればわかるんじゃないの? 私にわざわざ言わせる理由はなに?』
『わからんか。選択肢を与えてやっているのだ』
『選択肢?』
『貴様が素直に事実を吐露し、我らの手間を省いてくれるのなら……あるいは見逃してやってもいい。たとえ歯向かったとて、殺しはせん』
『見逃す? 殺さない? 冗談でしょ?』
『本当だ。取引で嘘をつく魔族はおらん』
だが、とシャルラッハは重々しい声で、触手の一端をアリアの顔に近づけた。
スイカほどもある巨大な吸盤が、うねうねと不気味に動く。
『もし、意地を張るつもりなら、顔を剥ぐ。
吾輩の吸盤にかかれば、人の子の顔面など、水底の小石をつまむようにはぎ取れるぞ。
さあ、どうする? 人間の美醜はわからんが、顔を失ってまで生き延びるのは辛かろう』
呼吸が辛い。頭痛がひどい。
頭の中で、割れ鐘を鳴らされているようだ。
腕の踏ん張りが効かなくなったせいで、締めつけもきつくなってきた。
アリアは息も絶え絶えになりながら、それでもシャルラッハを睨みつけた。
『……一息に殺しなよ。あんまりダラダラしてると、逆転されちゃうかもよ?』
『いいや、殺さん。
人間は死よりも、身体に不具を負って生きることをこそ恐れるものだ。
想像してみろ。目鼻口を失い、音も聞こえぬ暗黒の中で、生き続ける恐怖を。
四肢をもがれ、芋虫のように這い、他者に生活のすべてを委ねねばならん屈辱を』
メリメリメリ! と、左の肩口から嫌な音がし始めた。
あと数秒もしないうちに、腕がもぎ取られるだろう。
己の触手が行っている暴挙とは裏腹に、シャルラッハは気味の悪い猫なで声を出した。
『さあ、言え。言ってしまえ。大丈夫だ、誰にもわかりはせん。
自らの無事のために他者を売ることは恥ではない』
『……確かに、恥ではないかもね。保身に走ることは。生き物としては普通だし』
『そうだろう?』
酸欠のため、すでにアリアの意識は朦朧としていた。
しかし、なおもはっきりと彼女は言い切った。
『でも、罪だと思う』
『……罪?』
『そう。なによりも重い罪。どんな恥知らずでも恐れる、最悪最低のこと。
人はね、皆で生きるものなの。あなたたち魔族みたいに個々で完結できない弱い生き物。
だから、お互いを大切にして、想い合って生きなくちゃいけないの。
そうでないと、生きていけないから』
『何が言いたい』
『獣にあって人にないもの。それが罪。
私は人だから、罪は犯せない。兄さんの顔に泥は塗れない』
『そうか。ならば、絶望しろ、人間の娘よ。
これより貴様を待つのは、死ぬまで続く地獄の日々だ――!』
海王大蛸の吸盤が目前に迫っても、アリアは目を背けなかった。
それどころか、薄く笑ってさえみせた。
『地獄の日々? 兄さんがいれば、どんな場所でも天国だよ』
ザブン!
二人がいる泉に、新たな闖入者が現れた。
『誰だ!』
水をかき分け、今しがた飛び込んできた者が立てた気泡の中に、海王大蛸の触手たちが殺到する。
だが。
シュパッ!
一瞬にして五条もの斬撃が走り、迫りくる触手を細切れにした。
『なにっ!?』
『――うちの妹が、世話になったな』
驚愕するシャルラッハの目に映ったのは、一人の貧弱な男の姿だった。
汚水にたなびく灰髪。
ガリガリに痩せこけた手足。
だが、その黒い瞳には、子を傷つけられた親熊のような、途方もない怒りが宿っていた。
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