第3話『吸血鬼対策会議』
「皆も知っての通り、人里から離れれば離れるほど、出現する魔物は強くなる傾向にある」
バサッとギルドマスターが、広間の大机に地図を広げた。
そこには、ギルドの周辺地形と、出現率の高い魔物のランクが記載されている。
「逆も然り。人里に近い距離では、比較的弱い魔物しか見られない」
「へっ! そんなの当たり前じゃないっすか、ギルマス! なにを今更そんなこと」
ダンが大げさな身振りで『やれやれ』と肩をすくめてみせる。
「ほう、ならダン。理由を説明できるか?」
「え、り、理由? えっと……俺の、冒険者としての、勘?」
「話にならん。――アリア、お前ならわかるな?」
水を向けられたアリアは、しばらく黙っていたが、ギルドマスターが『早く答えろ』と言わんばかりに眉毛をくいっと持ち上げたのを見て、しぶしぶ口を開いた。
「……魔力濃度の、地理的分布の違い」
「その通りだ」
満足げにうなずくギルドマスターと、対称的になにもわかっていなさそうなダン。
ダンはキョロキョロと辺りを見渡し、理解できていないのが自分だけだと悟ると、ヒソヒソ声でアリアに尋ねた。
「魔力濃度の……ちりてきぶんぷってなに? アリアちゃん?」
「…………」
「頼むよ、教えてよ~」
耳元で猫なで声を出すダンに、アリアは仕方なく説明した。
「……大気中の魔力濃度は地域ごとにまばらで、魔物は濃度の濃い場所に好んで生息する。
私たち人間は逆。生存競争に負けた弱い魔物しかいない、濃度の薄い場所を本能的に選び取り、住処としてきた。大きな街の近くに強い魔物が出ないのはそれが理由。
わかったら、私から離れなさい」
「おお! さっすがアリアちゃん、あったまいいー!」
凄むアリアにもひるまず、能天気に称賛するダン。
アリアはギルドマスターと顔を見合わせ、二人してため息をついた。
「……まあ、そういうことだ。昨夜、クルトとエレナが人面獅子と遭遇したエリアに出る魔物は、高くてもEランク。
新人二人でも、逃げおおせるくらいはできる程度の魔物しか出ないはず」
そこで、ギルドマスターは言葉を切ると、深刻そうに眉間のシワを深くした。
「だが、そこにAランクの人面獅子と……推定Sランク相当、あるいはそれ以上の吸血鬼が出た。
これは由々しき事態だ」
「Sランクの上ってことは……規格外ランクってこと!?
ちょいちょい、ギルマス。買いかぶりすぎじゃないっすか?」
「敵の戦力を高く見積もって損をすることなど一つもない。逆はいくらでもあるがな」
「まあ、そりゃそうですけど……」
茶々を入れてきたダンに、ギルドマスターがそっけなく返す。
「でも、変な話っすよね。特別ランクが、そもそもAランクってくくりじゃ収まりきらない奴らを示す指標だったのに、さらにその上のEXがあるって」
「仕方ない。魔物は年々強くなってきているからな。
それに合わせて、我々冒険者側も物差しを更新していかねばならん」
ギルドマスターが、いかめしい顔をさらに引き締め、厳かにつぶやいた。
「来たるべき、魔王討伐のその日に向けて」
魔王討伐。
その言葉の重みに、ごくり、と誰かが生唾を飲み込む音がした。
魔王と呼ばれる存在が、配下たる魔族――人間と同等以上の知性を持つ魔物――と魔物を率い、人類の領域たるエカトリオン大陸へ侵攻を開始してから、はや数百年。
魔族が巣食う極東の島『百龍列島』に端を発した戦火は、瞬く間に大陸中を覆い尽くした。
奪われた人命や家畜は数知れず。
領土を蚕食され、国家としての体裁を失った国も、両手の指に余るほどある。
(この大陸にいる限り、誰一人として、明日の平穏は保証されていない。
人類は今、そういう局面にいる)
アリアの脳裏に、自分というときにだけ見せる、アッシュの優しい微笑みが浮かんだ。
(二度と、誰にも奪わせない。絶対に)
固く拳を握りしめるアリア。
ここにいる誰もが、大なり小なり、アリアと同じ思いを抱えていた。
当然のことだ。
冒険者とは、そういう人間の集まりを言うからだ。
みなの表情が引き締まったのを見て取り、ギルドマスターは重々しくうなずいた。
「まず、我々がやるべきことは、あの人面獅子がなぜこの街に現れたのかだ。
人面獅子は、魔物の中でも特に人肉を好む種だが、だからといって、本来の生息地から、単身でここクラウンヘイムまで足を伸ばしてくるとは考えづらい」
(人面獅子の生息地は、ここから遠く離れた『黒い砂漠』。
近隣には、クラウンヘイムと同等の村落はいくらでもあるはず)
アリアにとって、もっとも重要なのは人面獅子の出どころだった。
吸血鬼の正体などではなく。
「次に気がかりなのは、吸血鬼の正体についてだ。
なぜ、奴はこの街に執着するのか。
なぜ、奴は人を襲わず、魔王軍ばかりを狙うのか。
そこを明らかにする必要がある」
「そんなのは簡単」
珍しく、アリアは自分から口を開いた。
彼女は『何を当然のことを』といった風に、腰に手をやって言い放った。
「吸血鬼はいい魔族で、私たち人間の味方だから」
また始まったよ、と誰かがせせら笑った。
アリアの吸血鬼贔屓は、このギルドでは『いつものこと』だからだ。
すると、頭痛をこらえるように目をつぶっていたギルドマスターではなく、ダンが反論した。
「前々から思ってたんだけどさ、それおかしくねえ?」
「なにが?」
「吸血鬼はいい魔族ってさんざん言うけどさ、じゃあ、なんで正体を明かして、正式に協力を申し出ようとかしないわけ?」
痛いところを突かれたように、アリアが柳眉をしかめる。
「吸血鬼……不死者が自分から名乗り出るわけなんてない。
そんなことしたら、白翼教会が黙ってない」
白翼教会。
白翼の女神・メリエルを崇める、大陸最大の覇権宗教。
その白翼教会は、不死者をこう定義している。
尋常ならざる手段でしか殺し得ない存在。
主メリエルに賜らざる不死を掲げし不心得者。
必ずこれを討滅すべし、と。
高位の魔族などは、首を切っても、心臓を貫いても生きていることがあるため、不死者に該当する。
日光などの、特定の弱点を突かなければ死なない吸血鬼も、言わずもがなだ。
「でしょ? けっきょく打算じゃん。
我が身可愛さと人類の勝利を天秤にかけて、自分を選んでんだから」
「っ! そんな言い方……!」
にわかに気色ばんだアリアに、ダンは聞き分けのない子どもを見るような目を向ける。
「そりゃ、俺だってさ、吸血鬼の野郎が味方だってんなら楽でいいよ。
でも、現状そうだって言い切れる要素がないんだから、とりあえず奴は敵だってしとくほうが順当じゃねって話」
「…………」
黙りこくり、ものすごい目つきでダンを睨むアリアだったが、当の本人は鼻を鳴らすだけだった。
その様子を見て取り、ギルドマスターが話を進める。
「よし、それではこれより、人面獅子調査隊を結成する。
出立は明日の朝!
『黒い砂漠』まで足を運びながら、例の人面獅子の足跡をたどる、危険で過酷な道のりとなるだろう。
それでも、我こそはと思う者は挙手してもらいたい」
まず、真っ先に手を挙げたのは、アリアとダンの両名だ。
しかし、ほかの冒険者たちは、互いに小突きあうばかりで、なかなか立候補しようとしない。
「おい、行かねえのかよ、お前」
「いや、『黒い砂漠』はなあ……。Aランクの魔物がゴロゴロいて、Sも出るって話じゃねえか。
今の俺じゃきちいぜ」
「まあ、仕方ねえよな」
グズグズと言い訳を並べる男たちを、ダンが大声で嘲った。
「はっはー! 情けない奴らだぜ、アリアちゃんにいいとこ見せる大チャンスだってのによ! てめえらキンタマついてんのか!?」
「んだと……!」
「なめやがって……!」
にわかに殺気立つ冒険者たち。
しかし、ダンは引っ込むどころか、さらに煽り立てた。
「まあ、それも仕方ねえか。行き先が悪いもんな! うんうん、仕方ねえ仕方ねえ!
また今度、俺が程々の遠征先探してやっから、今回はお家でゆっくりしてろ! うん! お前らにはそれがお似合いだ!」
「あの野郎、言わせておけば……!」
「ランクに合わせた、適正のエリアってもんがあるだろ!
俺は、ただ安全マージンを取ってるだけで……」
「よせよせ、みっともねえ! こえーから行きたくねえんだろ? わかってっからこっちは!」
「なに!」
「だいだいよ、危『険』を『冒』してこその冒険者ってもんだろ!
安全マージンだの適正エリアだの、まあヘタレが好きそうな言葉ばっかり流行りやがって、反吐が出らあ!」
あまりの暴言の数々に、一触即発になりかけるギルド内。
収集がつかなくなると悟ったのか、ギルドマスターが雷を落とした。
「やかましい! チンピラじゃあるまいし、こんなところで騒動なんざ起こすものじゃない! 恥を知れ!」
「うるせえ、ジジイ! てめえは遠征にゃ来ねえだろ、引っ込んでろ!」
「なんだと貴様! もっぺん言ってみろ! 表に出い!」
「おーおー出てやろうじゃねえか!」
「後悔すんなよ!」
だが、どうやら焼け石に水どころか、火に油を注ぐだけに終わったようだ。
すっかりヒートアップしたギルドマスターとダンが、冒険者たちと胸ぐらを掴んで怒鳴り合いを始めてしまう。
このままでは、殴り合いに発展するまで秒読みだ。
(くだらない)
心の中で吐き捨て、ギルドを辞そうとするアリアを、慌てて駆けつけた受付嬢が引き止めた。
「ちょーっと待った! ごめん、アリア、お願い! 仲裁して!」
「やだ。そんな義理ないし。30分もしたらまた帰って来るから。離して、クレア」
「その頃にはギルド中ボロボロだよー! 今度、おいしいお菓子取り寄せるからさ!」
「……毎度毎度、甘いものに釣られると思ったら、大間違い。じゃ」
若干の葛藤の末、欲望を断ち切ろうとしたアリアだったが、とうとう受付嬢が殺し文句をつぶやいた。
「……アッシュさんの髪のケアによさそうな香油、見つけたんだけど」
すると、アリアの足がぴたりと止まった。
「……いくら?」
受付嬢ことクレアが、にっこりと笑う。
「もちろんタダだけど?」
「くっ……」
言外に、お前の働きぶり次第だと告げられ、アリアが歯ぎしりする。
やがて、
「……半端なものだったら、承知しないから」
「もちろん。安心して。いつもありがと」
取引が成立し、アリアが足音高くダンたちのもとへ戻る。
「ダン。うるさ――」
「ああ!? 事実だろ事実! てめえらがヘタレの雑魚なのはよお!」
完全に頭に血が上っているダンには、アリアの小さな声はまったく届かなかった。
ピクピクと口元を痙攣させながら、アリアはギルドマスターのほうを向き直った。
「……ギルドマスター。うるさ」
「年寄りだからって見くびるなよ! 貴様らごとき片手で捻り潰してくれるわ!」
すでに上着を脱ぎ捨て、戦闘モードに入っているギルドマスターに、言葉は通じなかった。
しばらくギリギリと奥歯を噛み締めていたアリアだったが、ついにレイピアをわずかに抜き、ささやいた。
「【凍ればいい】」
パキン――――。
凍結。
つかみ合いの怒鳴り合いを繰り広げていた、20人近いむくつけき男たちが、瞬時に氷像と化した。
ギルド内の空気が急激に冷却され、テーブルや床に霜が降りる。
あらかじめ避難していた受付嬢たちが、寒そうに手足をこすりながら、毛布やブランケットを羽織った。
キン、とレイピアを納刀し、アリアがすました様子でクレアに報告する。
「終わった」
「あの……大丈夫? みんな、生きてる?」
「大丈夫」
アリアは自信たっぷりに胸を張った。
「『銀氷姫』の名は伊達じゃない」
流し目で見栄を切ると、アリアはスタスタと氷像たちを置いて帰っていった。
こうして、会議は強制的にお開きとなった。
◆ ◆ ◆
「ねえ、これどうする?」
「邪魔だし、どけとこっか」
「そうだね」
読了いただきありがとうございました!




