第28話『吸血騎士は日向に立つ』
「エルンスト!」
血を吐くような叫び声を上げるアッシュ。
金色の猛火が、空を裂いてアリアのほうへ迫る。
だが、エルンストの狙いは、アリアではなく飛竜だった。
爆音とともに、飛竜の上半身が消し飛ぶ。
力を失った飛竜の足からアリアが離れ、地上へと落下し始めた。
「なっ!?」
まさか、エルンストが動くとは思わなかったのか、ヴォルガンも指示を出しそびれたようだった。
「アリア!」
アッシュは瞬時に翼を生やし、目にも留まらぬ速さで彼女のもとへと殺到する。
だが、その隙に、
「堕ちろ、蝙蝠野郎――!」
咆哮。
魔力をはらんだ人狼の叫びが実体をなし、砲撃となってアリアもろともアッシュへ迫る。
「くそっ……!」
悪態をつきながら、アッシュはアリアをかばって背中で咆哮を受ける。
巨人の拳で殴りつけられたような衝撃。
脳が揺れ、全身の骨が悲鳴を上げる。
「がはっ……!」
咳き込んだ吐息の中には、赤いものが含まれていた。
それでも、なんとか地上へ降り立ち、アリアをそっと地面に降ろす。
爪で蜘蛛の糸を引き千切り、彼女に自由を取り戻してやると、アリアは泣きながら謝罪を口にした。
「ごめんなさい、兄さん。私のせいで……」
「いいんだ。喋るな」
見れば、アリアの腹には深い傷が穿たれていた。
恐らく、飛竜に握られていたときについたものだろう。
こみ上げる怒りをぐっと抑え込み、アッシュは立ち上がる。
ちょうどそこへ、エルンストがやってきた。
「無事か」
「エルンスト。貴様……!」
「恨み言はあとで聞く。……もう【浄火】は撃てん。自己強化も切れた。あとは任せたぞ」
悪びれもしないエルンストを、一瞬殴り飛ばしたい衝動に駆られたアッシュだったが、彼の言葉は正論だった。
「……なんとかしてやりたいところだが、もう時間がない」
「どういうことだ」
「朝が来る」
見れば、東の空は明らみ、群青色に染まっていた。
すでに曙光が地平線から覗き、朝の訪れを今か今かと待っている。
「思ったより手間取っちまったが……へっへへ! これでわかっただろう! 人間ども! 吸血鬼の正体は、『銀氷姫』アリアの兄! アッシュだ!」
変身が解け、人間に戻ってしまったアッシュを指差し、ヴォルガンが高らかに告げる。
戦いを見守っていた街の住民たちは、言葉を失った。
「そいつは人間の味方でもなんでもねえ! 妹が可愛いだけだ!
現に! さっき奴はオレを倒すことより、アリアを助けることを優先した! お前ら全員の命より、妹のほうが大事ってことだ!
どうだ!? こんな奴に命を預けていいのか!? よく考えてみろ! ええ!?」
ヴォルガンは、こちらの士気をくじくために、わざと悪しざまに物を言っている。
それがわかっていても、アッシュは心をえぐられるような思いがした。
自分の行動は間違っていたのか? アリアを犠牲にしてでも、ヴォルガンを倒すことを優先すべきだったのではないか?
しかし、ヴォルガンを自由にしたあとでも、アリアを取り返す方法はきっとあったはず。だから、自分は間違っていない。
そう必死に言い聞かせながらも、アッシュの身体からは力が抜けていった。
それは、日光に当てられたからというだけではなかった。
「ほらね、言ったでしょう!? 吸血鬼は悪なのよ! この街から追放すべきだわ! 私だって、あいつにひどい目に遭わされたんだから!」
ヴォルガンの演説に乗っかるように、金切り声を響かせる者がいた。
マチルダだ。
口から泡を吹きながら、盛んに喚き立てる。
「出ていきなさいよ、この悪党! 出・て・け! 出・て・け! 出・て――ごぶっ!」
シュプレヒコールを煽動しようとしていたマチルダが、不意に間抜けな悲鳴とともに卒倒した。
その背後には、分厚い本を振り下ろした体勢のクレアが、息を切らしながら立っていた。
アッシュは顔を上げた。
「アッシュさんは、悪党なんかじゃない! あの人は、ずっと私たちを守ってくれてたんです! 人面獅子を倒してくれたのもそう! この間、ヴォルガンを撃退してくれたのもそう!
アッシュさんがいたから、私たちは無事でいられたんです! なんでそれがわからないの!?」
「クレアちゃんの言う通りだ!」
ちょうど戦いの場に参戦したダンが、大声を張り上げる。
「吸血鬼の正体がアッシュの野郎だったってんなら納得だ! この世でたった一人の肉親を大事にして、なにが悪いってんだ!
遠征のとき、飛竜をやっつけてくれたのもアッシュだぞ! 誰がなんと言おうと、アッシュはいい吸血鬼だ!」
「そうだそうだ!」
「あんなオオカミ野郎なんかの言うことに惑わされるな!」
「アッシュを守れ!」
意気軒昂に押し寄せる冒険者たち。
その姿に、アッシュは胸が熱くなった。
自分のやってきたことは、無駄ではなかった。
そのことを、彼らが教えてくれたのだ。
「ちいっ! 魔族のくせに、人間なんぞにチヤホヤされやがって! 胸糞わりんだよ!」
両手剣を携え、アッシュへ飛びかかるヴォルガン。
だが、彼らの間に割って入る者たちがいた。
「合わせろ、ドーガン!」
「おう、隊長どの!」
ガギィン!
巨大な盾を持ち、俊敏な動作で盾を構えたブリジットとドーガンが、ヴォルガンの凶刃を防いでみせたのだ。
「吸血鬼の噂、耳にはしていたが……貴様が正体でよかったと思うぞ、アッシュ。
貴様のまっすぐな心根は、この私がよく知っている! 貴様となら、肩を並べてこの街を守っていける!」
「おうとも! 隊長どのが信じてらっしゃるんだ! 俺もあんたを信じるぜ、アッシュ!」
「ちいいい、虫けらどもがあああ!」
力こぶを膨らませ、二人の盾を押しつぶそうと力むヴォルガン。
だが、彼らは一歩も引きはしない。
その背後に、守るべき者がいるのだから。
アッシュはようやく立ち上がると、アリアへ頼んだ。
「アリア。……十秒でいい。夜を作ってくれ」
アリアは痛みに顔をしかめながらも、力強くうなずいた。
「【太陽なんていらない、|あなたに夜と、わたしのすべてをあげる《エテン・ライラ・ラ=アヒ》】」
アリアの足元から、氷の結晶が生まれ始める。
それは瞬く間に成長し、地面を覆い、壁となり、天へと成長していく。
バキバキバキッ!
凄まじい音を立てて、巨大な氷の壁がアッシュやヴォルガンたちを覆い始めた。
地面から空へ、弧を描いて伸びる氷の柱。
それらは互いに接続し、組み合わされ、やがてクラウンヘイム全体を覆う氷のドームが完成した。
「なんだこりゃ……!」
「すげえ……」
人々が驚愕の声を上げる。
明け方の空から差し込む日光は完全に遮られ、ドームの中には擬似的な夜が生み出されていた。
「決着をつけよう、ヴォルガン。殺しが好きなんだろう?
ならば殺してみろ、この吸血鬼を!」
「舐めンなよ、半端モンが! 魔族のくせに、人間に尻尾振って生きてるような甘ったれが、このオレに勝てると思うな――!」
両者が形態を変化させる。
片や、黒の外套に処刑人の剣を纏った巨躯の吸血鬼。
だが、その顔にはもう、正体を隠す白い仮面はつけていない。
赤く煌めく瞳と、長く伸びた犬歯をそのままに、素顔を晒して剣を振るう。
片や、筋骨隆々の人狼。さらに、首の両脇から、新たな頭部が生え、さながらケルベロスのような怪物へと変貌する。
右の首は業火を吐き、左の首は雷を放つ理外の獣。
ヴォルガン本体は怒りに目を血走らせ、骨をも砕く咆哮を上げながら、猛然とアッシュへ斬りかかる。
秒間数十合を超える神速の剣戟。
吐き出される炎雷を霧と化して回避し、必殺の斬撃を放つ。
「ぐおっ……!」
逆袈裟に胸元を裂かれ、苦悶の声を漏らすヴォルガン。
「頭は増やさないほうがよかったんじゃないか? 剣が精彩を欠いているように見えるが」
「抜かせ!」
突如、左右の首が一気に伸長し、アッシュの肩口に食らいつく。
飛び散る血潮。
完全にアッシュの動きを封じたところで、ヴォルガンは得意げに牙を剥いた。
「心臓を突かれると死ぬんだったな、吸血鬼!?」
槍のごとく水平に構えた剣を、アッシュの心臓へ突きたてようとするヴォルガン。
だが、すでに勝負は決していた。
「やはり、頭はひとつでよかったな。部下の末路を聞いていないのか? 俺の血を体内に入れるとどうなるかを」
アッシュが呆れたように鼻を鳴らす。
「【|私は育つ。君を喰らって、君の中で《マイン・ブルート・プラッツェン】」
ボゴッ! とヴォルガンの腕が血煙を噴き出しながら爆発した。
クルクルと空中で回転した剣が、やかましい音を立てて地面に落下する。
「……あ?」
なにが起こったのか理解できないのか、ヴォルガンは愕然と欠損した自らの右腕を凝視する。
そして、諦めたように嘆息した。
「仕方ねえ。オレの番が来たってことか」
「【|やがては赤い花を咲かすだろう《トーデスブルーメ・エクスプロジオ》】」
ボッ!
ヴォルガンの全身が弾け飛び、盛大な血の花火を撒き散らした。
沈黙。
魔王軍皇道十二神将第十二位、『背教騎』ヴォルガンの、あまりに呆気ない最後だった。
やがて、
「勝った……」
「やった! やったぞ!」
街の人々や冒険者、守備隊の面々から大歓声が炸裂した。
アッシュは変身を解き、地面に膝をついて深く息を吐く。
全身が悲鳴を上げている。魔力はほとんど空っぽだ。
だが、生きている。アリアもだ。
「兄さん……!」
氷のドームを解除したアリアが駆け寄ってくる。
その腹の傷はまだ痛々しいが、致命傷ではなかった。
「アリア……」
アッシュは彼女を抱きしめた。
「すまない。無理をさせてしまって」
「私こそ、ごめんなさい……」
二人はしばらくそうしていた。
と、そこへ歩み寄ってくる者がいた。
エルンストだ。
彼の足音に、アッシュがアリアを背にかばった。
「……エルンスト」
「吸血鬼アッシュ」
エルンストが冷たい声で呼びかける。
歓喜に沸いていた周囲の者たちが、一斉に息を呑んだ。
アリアが兄の前に立ちはだかろうとするが、アッシュがそれを制した。
エルンストは教典を開いた。
「てめえ、エルンスト! アッシュをやろうってんなら、俺が相手になるぜ!」
「待て、ダン!」
エルンストに食ってかかろうとするダンを、アッシュが制した。
その騒ぎを尻目に、エルンストは教典のあるページを指さした。
「白翼教典、第三章第七節にこうある」
エルンストが静かに読み上げる。
「『主は仰せられた。
我が目に適う者は、その血統にあらず、その行いにあり。
不死なる者といえども、義を行い、弱き者を守るならば、
これを義人と認め、我が御許に在ることを許す。
されど、人の子らを害する者あらば、容赦なくこれを滅すべし』」
「つまり、どういうことだ?」
「白翼教会異端審問官エルンスト・フォン・シュターレンの名において、ここに宣言する。
アッシュ。貴様は不死者でありながら、人々を守った。
弱き者の盾となり、魔族と戦った。その行いは、主の御心に適うものだ」
アッシュが驚きに目を見開く。
「故に、貴様を『義人』と認定する」
エルンストの声が、朝焼けの冷えた空気に響く。
「ただし、条件がある。
一つ、人間を襲わないこと。
一つ、この街を守り続けること。
一つ、私の監視を受け入れること」
エルンストは教典を閉じ、アッシュに鋭い視線を向けた。
「この条件を破れば、そのときは容赦なく貴様を滅する。
教典にある通り、『人の子らを害する者は、滅すべし』だ」
「……俺は、ヴォルガンを倒すことよりも、アリアの命を優先した。
そのことは問題にならないのか」
「私も、ヴォルガンの指示を無視してアリア嬢を救出した。それでチャラだ」
「わかった。その条件、受け入れよう」
「ならば、話は終わりだ。家に帰って休め。日光は辛かろう」
踵を返すエルンストを、アッシュが呼び止めた。
「待て。……なぜこんなことを? お前は、不死者を憎んでいるんじゃないのか?」
エルンストは振り返らずに答えた。
「……憎んでいるさ。今でも」
その声には、深い悲しみが滲んでいた。
「だが、だからといって、貴様を滅することは人類全体の利益に反する。これは私情ではない。合理的な判断だ」
「……そうか」
それだけ言い残すと、エルンストは歩き去っていった。
やがて、クレアやダン、ブリジットが駆け寄ってきた。
「アッシュさん! よかった……!」
「クレア……」
「これで、アッシュさん、ずっとここにいられるんですね!」
クレアの笑顔に、アッシュも小さく微笑んだ。
「ああ、そうだな」
ダンがバシッと強めに肩を叩いた。
「アッシュ、この野郎! やりやがったな!
今まで『穀潰し』なんて呼んで悪かったよ! これからはお前も俺たちの仲間だ!」
「ああ、よろしく頼む」
ブリジットも笑顔でうなずく。
「これで貴様も、晴れて表舞台に立てるようになったわけだ。
ならば、冒険者らしく、二つ名があったほうがいいんじゃないか?」
「確かに。アリアちゃんが『銀氷姫』だから……『吸血鬼』 とか?」
「そのまんまだな……」
呆れるブリジットの脇から、ギルドマスターがぬっと顔を出した。
「よくやった、アッシュ! お前の活躍には、ギルドとしても最大の栄誉を与えてやらねばならん!
お前にSランク冒険者の肩書と、私から二つ名を授けよう!」
「うわっ、いたのかよギルマス」
「阿呆。さっきまでずっと戦っておったわ」
「いや、別に二つ名は……」
遠慮するアッシュに、ギルドマスターは構わず宣言した。
「吸血鬼でありながら、まさしく騎士のごとく人々を守り抜いた功績を称し! 『吸血騎士』! この名を貴様に与える!」
「……感謝します、ギルドマスター」
深々と一礼するアッシュのかたわらに、そっとアリアが寄り添った。
「名前なんて、なんでもいい。兄さんが、私のそばにいてくれるなら」
「ああ」
アッシュはアリアの頭をなでる。
「もう、どこにも行かない。俺はここで、お前とみんなとともに生きる」
「……うん!」
アリアが満面の笑みを浮かべる。
長い夜は明け、眩しい朝の光が彼らを照らす。
だが、もう恐れることはない。
アッシュには、守るべき者が、守ってくれる者がいるのだから。
◆
数日後。
クラウンヘイムは、ヴォルガン襲撃の傷跡から立ち直りつつ合った。
倒壊した建物は修復され、負傷者たちも回復に向かっている。
冒険者ギルドも、普段の賑わいを取り戻していた。
「おはようございます、アッシュさん!」
「……おはようございます、クレアさん」
笑顔で迎えてくれたクレアに、アッシュも小さな笑みで返す。
「今日の依頼は……」
「ドブさらいですね。いつもの場所をお願いします!」
「はい、わかりました」
依頼書を受け取り、アッシュは足を引きずりながらギルドの扉へ向かう。
「よう、アッシュ! 頑張れよ!」
「前までは悪かったな! 俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ!」
「ああ、ありがとう」
彼に浴びせられるのは、もはや嘲笑ではなく、温かなねぎらいと、これまでの非礼を詫びる声ばかりだ。
そのことを嬉しく思いながら、彼らに手を挙げて応えるアッシュ。
と、そこへダンが声をかけてきた。
「今日もドブさらいか? 相変わらずだな」
「昼間の俺にできることは、これくらいだからな」
「あんまり無理すんじゃねえぞ。お前にゃ夜、頑張ってもらわなくちゃならねえんだからな」
「わかっているさ」
ギルドを出て、階段を降りていると、ブリジットとばったり出会った。
いつも通りのかっちりした軍服姿に、ポニーテールがよく似合っている。
彼女の後ろには、ドーガンを始めとした部下を数人連れていた。
「いい朝だな、アッシュ。これから仕事か? 終わったら、今夜一杯どうだ?」
「ええ、ぜひ」
「えー、隊長! 俺らにもたまにはおごってくださいよ!」
「バカもの! この間もおごってやっただろう! 忘れたとは言わせなんぞ!」
「いっけねえ!」
朗らかな笑い声を響かせながら、ブリジットたちはギルドへ入っていった。
その光景を目を細めて見つめたあと、アッシュも仕事場に向かった。
◆
夜。
ブリジットと一杯やったあと、家に帰ったアッシュを待っていたのは、最愛の妹アリアだった。
「おかえり、兄さん」
「ただいま。今日はシチューか?」
「うん。兄さんの好物だから」
「ありがとな」
アリアが台所へ向かい、じっくり煮込んだシチューを木製のボウルによそう。
香ばしいホワイトソースの香りを嗅ぎながら、アッシュはソファに腰掛け、窓の外を見た。
漆黒の空には星がまたたき、煌々と満月が光を放っている。
いい夜だ、とアッシュは思った。
しかし、そのときだった。
アッシュの耳がピクリと動いたかと思うと、弾かれたように立ち上がった。
「……行ってくる」
「私も行く」
「その必要はない。雑魚だ。すぐ帰る」
「……うん、わかった。待ってるね」
手を広げて待つアリアをそっと抱き寄せてから、アッシュは家の外に飛び出した。
「アリアとの時間を邪魔した罪は重いぞ、魔物め」
そう毒づくと、アッシュは瞬時に吸血鬼に変身し、空へ舞った。
魔物の反応があったのは、街の南方だ。
高速で飛行するアッシュに、並走し始める者があった。
エルンストだ。
「さすが、耳が早いな、アッシュ」
「お前こそ、エルンスト」
「手早く片付けるぞ」
「無論だ」
エルンストは教典のページを破り、槍へと変じさせる。
アッシュはマントの中から処刑人の剣を取り出した。
「街の平和を乱す輩は――何人たりとも俺が許さん」
これにて完結です。
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