第24話『月下の聖戦』
夜の街路に、アッシュの足音だけが響いていた。
クレアに化けた姿で歩き続けて七日目。
今夜が、エルンストが定めた期限となる。
石畳を踏みしめながら、アッシュは周囲の気配を探る。
エルンストと、その配下がどこかから監視しているはずだ。
闇に沈むクラウンヘイムには、いつの間にか夜霧が漂い始めていた。
(このまま、何事もなければいいが)
魔力灯に背中を預け、腕組みをしながらアッシュは待った。
やがて、弓のように細い下弦の月が、暗雲の中に消える。
そのときだった。
「もはや、隠すつもりもないか。クレア嬢。
いや――吸血鬼」
前方の路地から、白い外套姿の男が、ゆっくりと姿を現した。
エルンストだ。
魔力灯の薄緑色の光に照らされた彼の姿は、まるで処刑人のように不気味で冷たいオーラを纏っていた。
顔の半分を覆う赤い包帯の下から覗く瞳が、じっとアッシュを見据えている。
「貴様の擬態は申し分なかった。外見、歩き方、立ち居振る舞い、そのすべてがクレア嬢そのものだった。
だが……あの走り方はなんだ。あれでは、成り代わっていますと喧伝しているようなものではないか」
「そのつもりだが」
「なるほど。最初から、クレア嬢と共謀して私を釣り出すつもりだったと。
だとすれば、この状況は貴様の目論見通りというわけだ。面白い」
くつくつとエルンストが笑い声を漏らす。
だが、すぐにその笑みはかき消えた。
「……舐めるなよ、吸血鬼風情が。
一級審問官たる私と正面から戦って、勝てるとでも思ったか?」
「それは戦ってみなければわからんが……一つだけ、訂正させてもらおう。
クレアは俺が一方的に利用していただけだ。彼女にはなんの罪もない」
「嘘をつくな」
エルンストの言葉に、初めて感情がにじんだ。
「吸血鬼は皆そうだ。言葉巧みに人心をもてあそび、好き勝手に利用して、最後にはボロ雑巾のように捨てていく。
貴様らは悪だ。なまじ我ら人間のフリができる分、魔族どもよりも、なおタチの悪い邪悪……!」
「そうだ。俺は人間のフリができる。人間のように振る舞い、人間が築いた社会の中で暮らしていける。
そんな俺だからこそ、できることもある」
「なんだ。言ってみろ」
「人間を、人間以上の力で守ることだ。いま、この街を狙っている脅威は、人間の力だけでは対処できない。だから、俺が必要だ」
「思い上がるな! 貴様のような穢れた存在の力など、誰も必要としていない!」
いきり立つエルンストに、アッシュは肩をすくめた。
「別に求められたいわけじゃない。俺が、必要だと思っているからやっているだけだ。
それに……あまり恩着せがましいことは言いたくないが、実際に吸血鬼は人の役に立っている。
先日、この街を襲った人面獅子や、冒険者一行を襲った飛竜を倒したのは俺だ。目撃証言だっていくつもある。
もし、俺がいなければ、彼らはどうなっていたと思う?」
「…………」
エルンストは迷っているかのように黙り込んだ。
それらの被害報告は、もちろん彼も見聞きしていた。
アッシュが人間と敵対しているのなら、ありえない行動だ。
やがて、エルンストが口を開く。
「……なにが目的だ? なぜ人間の味方をする?」
「守りたい者がいるからだ」
「そうか。私も同じだ」
言って、エルンストは懐から一冊の分厚い本を取り出した。
重厚な装丁の表紙には『白翼教典』と記されている。
ビリ、とその中の一ページを破ると、
「【死を穿て】
見る間に紙片が一本の長大な槍に変化した。
「貴様の善悪は私には判別できん。
よって、主の裁きに委ねることとする」
「敗れたほうが悪、か。まあ、わかりやすくていい」
戦闘態勢に入ったエルンストに対し、アッシュもまた姿を変える。
黒い霧がアッシュの全身を覆ったかと思うと、一瞬ののちに黒い外套と白い仮面を被った吸血鬼の装いに転じた。
「だが、休戦の申し出はいつでも受けよう、審問官」
「ほざくな」
瞬きほどの静寂。
二人の間に、張り詰めた緊張が満ちる。
やがて。
「ふっ――――」
一息でアッシュの間合いに潜り込んだエルンストが、射るような突きを見舞う。
狙いは心臓。不死の獣をも屠る聖典の一突きだ。
だが、死を喰らう槍の穂先は、幅広な処刑人の剣の腹で止められた。
返す刀で、アッシュが剣を振り払う。
聖典の槍を受け流し、審問官の胴を袈裟に裂く一振り。
しかし、敵もさるもの。
刃が振り抜かれたときには、すでにその間合いにはいなかった。
薄皮一枚切られ、血が滲み出した頬をぬぐって、エルンストはアッシュの視界から消える。
続けざまの連撃。
四方八方から襲い来る刺突の嵐を、アッシュはその場から一歩も動かずに捌き切ってみせた。
「くっ……!」
体勢を整えたエルンストの身体には、いくつもの生傷が刻まれていた。
都合十数合の剣戟を交えた末に、与えた手傷はゼロ。
対して、彼の被害は甚大。
すでに、彼我の実力差は浮き彫りになっていた。
「まだやるか?」
圧倒的な強者の自負をもって放たれる降伏勧告。
それを侮辱と受け取り、エルンストは歯噛みして吠えた。
「【此方より彼方へ。彼岸におわします主よ――】」
ズズ、と空気が軋み、白光を放つ魔法陣がエルンストの周囲に展開する。
だが、その高速の詠唱が終わる前に、アッシュが肉薄し、エルンストを無造作に掴み上げた。
「ぐあっ……!」
「さすがに悠長に待ってられんな」
土手っ腹に打撃を入れようと、アッシュが拳を腰だめに構える。
一発もらうのを覚悟し、エルンストが防御を固めたそのときだった。
「オオオオオン――!」
「……!?」
地鳴りのような咆哮が遠方から轟き、アッシュの注意がそれる。
その隙に、エルンストは拘束から抜け出したが、エルンストもまた咆哮のほうに注目せざるを得なかった。
街の外れ。外壁の方角。
そちらのほうから、なにかが急速に近づいてくる。
巨大で、強力な何者かが。
ドスン!
上空から降ってきたなにかが着地し、敷石が十メートル近くに渡ってひび割れる。
「月も出てねえシケた夜だと思ったが……」
砂煙をかき分け、一人の大男が現れる。
イヌ科の獣を思わせる、ぼうぼうの長い黒髪。
岩石のような筋骨隆々の肉体には、幾条もの戦傷が残っている。
満月のように金色に輝く両の眼。
耳まで裂けた口からは、獰猛な乱ぐい歯が覗いていた。
「戦り合ってんな? 戦り合ってんなあ!?
混ぜろよ、オレも! 面白そうじゃねえか、なあ!?」
狂喜に満ちた怒鳴り声が、辺り一帯の窓を震わせる。
アッシュが鋭く誰何した。
「誰だ」
「あ? おいおい、このオレの名を知らねえとは、新入りか?
まあいい。名乗ってやろう。それが礼儀だ」
大男の全身が、群青色の獣毛で覆われる。
隆起する筋肉。鼻先がオオカミのように長く尖り、指先や顎から凶暴な爪牙が生えた。
「魔王軍皇道十二神将第十二位。
『背教騎』ヴォルガンとはオレのことよ」
身の丈3メートルはあろうかという威容。
両手には騎士の両手剣を一本ずつ携え、背後は白翼教の紋章が刻まれた大盾で守っている。
その姿に既視感を覚えたのか、エルンストは糾弾するように毒づく。
「一度は主に忠誠を捧げておきながら、魔族に宗旨替えした、聖騎士団の面汚し……噂には聞いていたが、実在したとはな」
「ハッハァ! しょうがねえだろ、オレだって好きで人狼に噛まれたわけじゃねえのに、『不死者死すべし』の一点張りだもんよ、教会らは!
可哀想な被害者だぜ、オレは」
「抜かすな! 報告はいくつも上がっている!
貴様が嬉々として人を喰らい、娯楽のように殺戮を繰り返していたとな!
なにが被害者だ、反吐が出る!」
「それも仕方ねえんだって。人狼になっちまってから、とにかく、こう……ウズウズすんだよ。
食人衝動? 殺人衝動? 要するに本能ってやつが!
オレはただ、自分に正直に生きてるだけだ! その結果、周りの連中が多少迷惑を被るのは……すまん! って感じだ」
自分勝手な理屈をまくしたてるヴォルガンに、エルンストが額に青筋を浮かべながら、教典を取り出す。
「人狼になってから? 面白いことを言うものだ。
貴様は生まれながらの殺人鬼だろうが。人狼の血のせいにするな」
「おいおい、なにを証拠にそんなひでえことを……」
「騎士団時代から、貴様の周囲では殺しが多すぎた。
被害者の遺体に残された歯型はどれも、貴様のその汚い歯並びとよく似ていた
しらばっくれていたヴォルガンが、ニヤリと笑った。
「おっと、バレてたか」
「貴様は自分から望んで人狼になったのだろう。
人殺しの咎から逃れるために。救えない」
十数ページまとめて破り取り、唱える。
「【万死を謳え、原初の火】」
教典のページが変化したのは、五角形をした白い盾と、先端に剣のついた砲塔だ。
どちらにも白翼教のシンボルがしっかりと施され、不死殺しの加護を帯びている。
ヴォルガンが鬱陶しそうに唸り声を出した。
「げえっ! 教典武装使いかよ。
しかも、そこそこやるほうじゃねえか。
おい、吸血鬼! 共同戦線だ! 二人がかりで殺るぞ!」
「……共同戦線? いいのか? 俺なんかと組んで」
「この際、贅沢は言ってられねえ。働きぶり次第で、オレの配下に入れてやってもいい!
いくぜ、合わせろや!」
四つ足になって力を溜めたヴォルガンが、弾かれたようにエルンストへ飛びかかる。
巨体に似合わぬ速攻。
両手から繰り出された致死の斬撃が、大蜘蛛の顎のように、審問官を両断せしめんとして――。
「提案だ。エルンスト、共同戦線といこう」
ドゴォッ!
ヴォルガンの巨躯が、エルンストの目の前で横ざまに吹っ飛ばされる。
ヴォルガンをさらに上回る速度で、アッシュが飛び蹴りを見舞ったのだ。
近くにあった民家に激突し、街が一気に騒々しくなる。




