第23話『秘密の共有』
「ここが、俺の家です」
人気のない路地裏にある、小さな家の前に、アッシュはクレアを降ろした。
鍵を開け、中に招き入れる。
質素だが、清潔に保たれた一軒家。
壁には、アリアの冒険者としての働きを称する表彰状が飾られている。
「ただいま」
「ん。おかえ――」
そして、ソファにはあられもない姿で仰向けに寝そべっている、アリアの姿があった。
逆さまになったアリアと目が合い、思わず目をそらすクレア。
「「…………」」
お互いに、色んな意味で気まずい沈黙が流れる。
しかし、そんなことにはまったく気づかず、アッシュはキッチンに立って茶の用意を始めた。
やがて、
「……ちょっと、用事思い出したから、出てくる」
わざとらしく棒読みでつぶやきながら、ソファを立ったアリアに、アッシュはなんの気なしに問いかけた。
「そうか。いつ戻る?」
すると、アリアは呆れ果てた様子で、にぶい兄をにらんだ。
「……普通、そういうこと聞く?」
「ああ、すまん。腹の調子でも悪いのか?」
「じゃなくて!」
「?」
ガシガシと後頭部をかいていたアリアだったが、なにもわかっていないアッシュの困惑顔と、必死に首を振るクレアの顔を見て、気が抜けたように肩を落とした。
「あーもう、わかった。そういうアレじゃないんだね」
「よくわからないが、そうだ」
「わからないならそうとか言わないで。
……ごめん、クレア。騒がしくして。座って」
「あ、うん。お邪魔するね……」
アリアに案内され、彼女の対面に腰掛けるクレア。
革張りのソファはふかふかで、ギルドの椅子とは比べ物にならないほど座り心地がよい。
しかし、座面が低く、受付嬢の制服であるタイトスカートだと、まくれてしまって少々座りづらいと思っていたところ。
「これ、使って」
女性特有の悩みをいち早く察したアリアが、ブランケットをよこしてくれたので、さっそく脚に巻きつけて露出を隠す。
と、アリアが不安げにクレアへ耳打ちした。
「いちおう聞くけど、本当にそういうアレじゃないんだよね?」
「う、うん。大丈夫。結構いま、大変な感じ」
言いながら、胸元からエルンストに渡された聖銀のアミュレットを取り出すと、アリアは「なるほどね」と言いながら、犬歯を強調するようにツンツンとつついた。
「じゃあ、兄さんがアレなことも知ってるんだ」
「うん。アレだよね」
「そう」
アリアは腕と足首を組み、何度かうなずいていたが、少ししてニヤッと笑った。
「……かっこいいでしょう? 兄さん」
顔に熱が集まったのを感じたクレアは、うつむき加減になりながらうなずいた。
「……うん」
「だよね。だよね。ふふふ」
嬉しそうに身をくねらせるアリアを見て、クレアのほうまでくすぐったい気持ちになってしまう。
(ずっと、誰かと話したかったんだろうな……)
兄が吸血鬼であるという秘密を、たったひとりでかかえたまま生きるのは、さぞ息苦しかったに違いない。
ようやく、同好の士と巡り会えたことに感激しているのか、アリアは見たこともないくらい上機嫌だった。
「やっぱり、二の腕がいいと思う。ゴツゴツしてて」
「う、うん。わかる」
クレアは、吸血鬼状態のアッシュにお姫様抱っこされたときのことを思い出し、とっさに緩んだ口元を隠した。
あれは、確かによかった。
同意を得られたことでギアが上がったのか、アリアは自分の身体を抱きしめながら、陶然と頬を染める。
「その気になったら、私なんて布切れみたいに折り畳めるんだろうなって思うと……ドキドキする」
「ごめん、それはわからないかも」
じゃっかん引き気味のクレアに、アリアは『やれやれ』と言わんばかりに肩をすくめた。
「そんなにすごい力があるのに、優しく扱ってくれるところがいいってこと」
「あ、それならわかるかも」
「でしょう?」
きゃあきゃあとガールズトークで盛り上がっているところに、紅茶を入れたアッシュがやってきた。
「ずいぶん楽しそうだな。なんの話をしていたんだ?」
「ふふ、秘密」
「秘密です」
「……?」
頭の上に疑問符を浮かべていたアッシュだったが、深く追求する気もないのか、すぐアリアの隣に腰を下ろした。
脚を少し広げ、太ももの上に肘をついて、前かがみになったアッシュの表情は、いつも以上に真剣だった。
それを見て、クレアも気を引き締める。
「アリア。もう知ってるかもしれんが、クレアさんに俺の正体を明かした。相談がなくて悪かった」
アッシュの謝罪に対し、アリアは端的に応えた。
「別にいい。兄さんが決めることだから」
「そうか。ギルドに審問官が来たことは?」
「クレアにアミュレット見せてもらったから知ってる」
「なら話は早い。審問官は、クレアさんを囮にして俺を釣り出すつもりだ。恐らく、ギルド内にも監視役がいるだろう。
だから、しばらくの間、クレアさんはうちで匿おうと思う。
下手に外を歩かせたら、審問官がなにをしかけてくるかわからないからな」
アッシュの提案に、クレアは一も二もなくうなずいたが、アリアが横槍を入れた。
「いいと思うけど、期間は? あんまり長いと仕事クビになっちゃうよ」
「エルンストさんには、囮役は一週間でいいとは言われてますから、その間だけでも……」
「いや、その一週間だけ行方不明になるというのは都合がよすぎる。かえって吸血鬼との関係性を疑われるだろう。
基本的には、審問官……エルンストといったか。そいつの監視下にいたほうがいい
となると、問題は夜。帰り道だな。エルンストが、ちょっかいをかけてくるとしたらそこだ」
「私がクレアの家まで付き添おうか? で、こっそり兄さんと落ち合って、ここに戻ってくる、とか」
「悪くないな。……いや、待て。エルンストがケチをつけてくる可能性がある。『Sランク冒険者が貼りついていては吸血鬼を炙り出せない』とか言って」
「む……」
アリアは口をへの字にし、なにか反論を考えていたようだったが、結局なにも思い浮かばなかったらしく、口を閉じた。
「よし、こうしよう。クレアさんには、毎日ちゃんと仕事に行ってもらう。
ただし、帰りは俺が代わる」
「代わる?」
不可解な表現に、クレアは首を傾げる。
いったい、何を代わってくれるというのだろうか。
「仕事が終わったら、ギルドの裏口に来てください。
そうしたら、俺がここまで連れてきます」
「でも、それだと帰り道だけいなくなることになって、不自然なんじゃ」
「そこを、俺が引き受けるんです」
アッシュは自信たっぷりに言った。
◆
翌日。
魔力灯の淡い光が照らす細い道を、クレアが一人で歩いていた。
怖がる素振りも、迷いもなく、スタスタと夜道を闊歩するさまは、はたから見ると少々奇妙に写ったかもしれない。
だが、そんな細かいことに気づくような者は、この場にいなかった。
「よう、クレア。どうしたんだよ、そんなに急いで」
「このへんは危ねえから、俺らが送ってやんよ」
どこからともなく現れたゴロツキたちが、クレアを包囲する。
好色な視線を無遠慮にぶつけられて、なお彼女に怯えの色はない。
それどころか、ゴロツキの人数だけを確認すると、ゆっくりとパンプスを脱ぎ始めた。
当然、ゴロツキたちは当惑して、顔を見合わせる。
「お、おい。クレア。なにしてんだ?」
その問いには答えず、地味なパンプスをカバンに収めたかと思うと、クレアはわずかに上体を前傾させ、脚を前後に開いた。
そして、
シュタタタタ!
「うおっ……!」
「なんだあ!?」
目にも留まらぬ速さで駆け出し、やすやすとゴロツキたちの包囲網を突破してみせたのだ。
当然、追いかけてくるゴロツキたち。
しかし、怠惰な食生活でにぶった彼らの足では、とうていクレアに追いつくことはできない。
「やべえぞ! なんだありゃ!」
「なんかに取り憑かれてるんじゃねえのか!?」
とはいえ、クレアはしがない受付嬢だ。
腐っても冒険者であるゴロツキたちをぶっちぎれるほどの健脚の持ち主とは思えない。
息を切らしたゴロツキたちが不気味に思い始めたところで、クレアは曲がり角からすっと姿を現し、
「ぜえー、ぜえー」
いかにも疲れていますという様子で、膝に手をついて汗まで流してみせた。
「……なんか、バカにされてねえか? 俺たち」
「クソッ! 舐めやがって。思い知らせろ!」
再び、クレアとゴロツキたちの不毛な追いかけっこが始まる。
この光景は、ゴロツキが完全にバテて、クレアを見失うまで繰り返された。
◆
数日後。
クレアが書類整理をしていると、ひそひそとこんな噂話が聞こえてきた。
「マジだって。時速百キロくらいは出てたぜありゃ。
馬よりはえーよ、あいつ」
「本当かあ? どうせベックの野郎のフカシだろ」
「いや、俺も見たぜ。靴脱いで素足で全力疾走してるクレア。
男4人くらいに追っかけられてんのに超無表情。マジ怖かった」
「ひえ~、女は見かけによらねえなー」
クレアは無言で書類を脇によけると、ツカツカと噂をしている冒険者たちのもとへ近づいた。
そのことに気づかず、のんきに冒険者たちは話を続ける。
「夜、あんだけ走ってんのに昼間、ぜんぜん疲れてる様子もねえの。
ありゃ魔族だぜ魔族!」
「足が速え女の魔族か……なんかいたっけ?」
「ダッシュババアとか?」
「あっひゃっひゃ! まだババアって歳じゃねえだろ、さすがに!」
「そりゃお前失礼! いくらなんでも!」
「そうですよー、本当に失礼ですよねえ、本人の聞こえるところでそんな大声でお話しされてたら、ね」
彼らの背後に現れたクレアが、最後の「ね」で睨みを利かせると、冒険者たちはたちまち真っ青になった。
「お、おお! クレア! 今日もべっぴんだなあ、ははは……」
「い、いつにも増して美人に見えるぞ。男でもできたか? ははは……」
「ええ、おかげさまで」
男たちの見え透いたおべっかを一言で切り捨てると、クレアはドスの利いた声を出した。
「次、くだらない話してたら、あなたがたの帰り道にもダッシュババアが出ますからね」
「わ、わかった。気をつける……」
「毎晩出ますよ。毎晩」
「わかったから、勘弁してくれ……!」
赤ベコのように首を振り続ける冒険者たちを捨て置き、クレアはフンと鼻を鳴らしながら席についた。
すると、後輩のひとりがクレアのもとに寄ってきて、真剣な面持ちで尋ねてきた。
「……あの、やっぱり本当なんですか? クレアさんが、ダッシュババアの末裔だって話」
クレアは大きく深呼吸をして怒りを抑えると、にっこり笑って言った。
「もう、そんなわけないでしょ」
◆
「そんなわけないでしょうがあああ――! 誰がダッシュババアだっつうの!!!」
その日の夜。
アッシュの家に帰宅したクレアは、アリアに思いの丈をぶちまけていた。
ジョッキをなみなみと満たしていた赤ワインを一息に飲み干し、ギリギリと歯ぎしりする。
ストレスが溜まったとき、クレアがよくやる悪癖だった。
どうどうと馬を鎮めるように両手をかざし、アリアがワインを注ぐ。
「まあまあ。人の噂も」
「七十五日! なに、流行ってるの? そのことわざ! あなたたち兄妹の間で!」
「別に流行ってはいないけど……」
「んも~~~アッシュさんには感謝してるけどちょっとやり過ぎ~~~今日なんてギルドマスターにまで心配されたし~~~」
頭を抱えてうずくまるクレアを、どう慰めたものかと困惑するアリア。
マチルダからの嫌がらせがなくなった代わりに、絶えず『クレア怪異説』を否定して回る羽目になり、クレアは大変に自尊心が傷ついていた。
なにが嫌って、怪異であっても不思議はない、と思われていたことだ。
「私、今まで周りからどんな目で見られてたんだろ……」
しょげるクレアの隣に腰掛け、アリアが優しい言葉をかける。
「クレアは隙がなさすぎたから、ちょっと欠点があったほうが、かえって親しまれやすいと思う」
「親しみやすさと引き換えに、ダッシュババアの末裔の烙印が押されたんですけど……」
「ていうか、ダッシュババアってなに」
「調べてみたけど、極東由来の怪異っぽい。すごい速さで街道を走ってて、追い抜かれた馬車は魔族に襲われるとかなんとかっていうお婆さん」
「……けっこう怖い。確かに、そんなのと一緒にされるのは嫌だね」
「うええん嫌だよ~……私まだババアじゃないよ~……アラサーだよ~……」
「あ、そっちね……」
泣きついてくるクレアを、よしよしするアリア。
と、そこへ、クレアをダッシュババアたらしめた張本人が帰ってきた。
「ただいま。今日もうまくやってきたぞ、クレアさ」
「噂をすればあ!」
クレアから投げつけられたクッションを片手で掴み取り、アッシュは怪訝そうな顔をする。
「……なにが」
「『なにが』じゃなあい! 私が、いま! ギルドでなに呼ばわりされているかご存知ですか!?」
アッシュはギクリと肩を震わせ、そっぽを向きながら言った。
「……ダッシュババア」
「知ってるんかい! 自覚あるんかい! いや、全面的にお世話になっている身でこんなこと言うのもなんですけど……それでも嫌なものは嫌なんです!」
一気にそう言い切ると、またクレアはジョッキを一息で空にした。
アッシュがアリアのほうを見て苦言を呈した。
「ちょっと飲ませすぎじゃないのか?」
「そうだね。クレア、これで最後だから」
「はいぃぃ……」
アリアに持ち去られていくワインのボトルを、名残惜しそうに見つめるクレア。
彼女の前にどっかりと腰を下ろし、アッシュは慰めの言葉を口にした。
「まあ、人の噂も」
「七十五日! 聞きました! それはさっき!」
「……審問官に捕まるよりは、いいかと」
「……それを言われてしまうと、なにも言えなくなってしまうのですが」
「しかし、もとはといえば、俺がすべての元凶ですから。責任は取ります」
クレアはがばっと顔を上げた。
「そんなことありません! 悪いのはマチルダさんと、私です! 私が自分でなんとかできなかったから、アッシュさんの手を借りることになってしまっただけで……アッシュさんは悪くありません!」
真摯なクレアの訴えに、アッシュが頬を緩め、アリアは前髪を払いながらアッシュの隣に座った。
「もし、兄さんが悪いなんて言い出したら、追い出すところだった」
「さすがにそんなこと言わないよ。ダッシュババア呼ばわりは……かなり嫌だけど……」
「それは兄さんが悪い」
「けっきょく俺のせいなのか……?」
ともかく、と仕切り直すように言って、アッシュは一つ手を叩く。
「明日でエルンストの監視は打ち切りだ。
つまり、必ず奴はなにか大掛かりな手を打ってくるだろう」
「私も援護に出る。明日一日だけなら、たまたま通りかかっただけって言い訳も立つし」
「気持ちはありがたいが、当日は俺も正体を明かそうと思う。
だからひとりでいい」
「正体を明かす? なんで?」
「この一週間、クレアさんに化けていたのは俺で、本物は……そうだな。街外れの教会にでも隠していたことにしよう。
つまり、俺が審問官をおびき出すために、クレアさんを囮にしていた……という構図にするんだ。
これなら、クレアさんに余計な疑いの目が向くことはない」
「なるほどね」
アリアが納得したようにうなずくと、クレアは不安げに訊いた。
「でも、正体を明かしてしまって、大丈夫なんですか?
アッシュさん、この街にいられなくなるんじゃ……」
「……いずれはそうなるでしょう。審問官に目をつけられてしまった以上は、長居できない」
「そんな……」
「それまでに、やれることはやっていくつもりです」
悲壮な決意を宿し、窓の外を見るアッシュ。
それが、吸血鬼として生きると決めた代償なのだろう。
どれほど世のため、人のために尽くしても、決して真に受け入れられることはない、非業の定め。
無駄と知りつつも、クレアはアッシュを説得しようとした。
「私から、ギルドに働きかけてみます。なにか、大きな手柄があれば、アッシュさんの身柄を保証してくれるかもしれません」
しかし、予想通り、アッシュは首を振った。
「ギルドと教会は完全に別組織ですから。いくらギルドが認めたと言っても、教会は納得しません」
これで議論は終わりだというように、アッシュはテーブルの上を片付け始めた。
「そろそろ寝ましょう。明日に備えなくては」
寝支度を済ませ、アリアと同じベッドに潜り込んだクレアだったが、すぐには眠れなかった。
(なにか、ないのかな。私にできること)
ずっと、そのことばかりを考えていた。




