第10話『銀氷姫の決意』
「――つまり、魔王軍側も吸血鬼の野郎の正体はわかってなくて……」
「俺たちの中にいるんじゃないかと疑って、襲撃を仕掛けてきていたわけだ」
強い日光を避けるため、大樹の陰に隊の実力者たちが集まり、情報共有を行っていた。
各々、地べたに座ったり、木の幹に寄りかかったりと自由にしているが、その面持ちはどれも厳しい。
当たり前のことだ。
自分たちが、皇道十二神将に目をつけられていると判明したのだから。
ダンが切り株に腰掛け、腕組みをしたままアッシュに問いかける。
「つーことは、今この瞬間も、俺らは魔族どもに見張られてるってことなのか?」
「それはないな」
日陰の中にいてなお、止まらない汗をぬぐいながら、アッシュは答えた。
彼の断言に、ダンが眉根を持ち上げる。
「なんでそう言い切れんだよ」
「四六時中、俺たちを監視していれば、誰がいつ吸血鬼に変身したのか――あるいは、誰も変身していないかくらいはわかるはずだ。
だが、奴らはそうしなかった。できないだけの理由があるってことだ」
実際には、アッシュが秘密裏に眷属を動かし、片っ端から斥候を潰し続けているのだが、むろん口には出さなかった。
アッシュの回答に対し、ダンは難しい顔をした。
「いや、斥候を出してはいるが、吸血鬼の野郎がぜんぶ狩ってるって可能性もあるぜ」
「……そうだな」
バカだアホだと言われがちだが、こと実務に関して、ダンはなかなかに頭が切れる。
安易な誘導は、逆効果になるかもしれない。
そう考え、アッシュは方針を切り替えた。
「その場合、吸血鬼は自身の正体が魔王軍側に露見することを嫌っていることになる。
となると、可能性としては二つ。
一つは吸血鬼が人間側のパターン。
魔王軍側に素性が知られれば、自動的に俺たちにも伝わることになるからな。そうなれば、教会が来たりなんだりと面倒なことになる」
ダンとは別の冒険者が、疑念を呈する。
「ん? なんで俺たちにも伝わるんだ?」
「『誰それは吸血鬼だ』『教会にお前たちが不死者を匿っていたと密告するぞ』とかなんとか言やあ、いくらでも脅しに使えるだろ?」
「そんなの無視すればいいんじゃねえのか?」
「アホかお前! それで本当に教会が来たらどうすんだよ。
皆殺しだぞ、俺ら全員!」
「マジかよ!」
「だから、もし、俺らの中に吸血鬼が居たとしたら、ぜったいにこっちから告発しないといけねえんだ」
「でも、そいつが本当に吸血鬼かどうかなんて、確かめられんのか?」
いい具合に話がそれてきたので、アッシュもその流れに乗って補足した。
「巷では、メリエルの偶像を押し当てるとか、日向に晒したりすれば、吸血鬼は判別できるとされている。
……が、厳密には違う。成りたての新米ならともかく、それなりに年を経た吸血鬼が、その程度で音を上げることはない」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
「教会がよく使う手は、聖別した――宗教的に清めた釘や杭をそいつの手足に打ち込むことだ。
そうすると、肉の感触でわかるらしい」
「うへえ。想像したら気分が悪くなってきたぜ」
「俺、ぜったい疑われないようにしよう」
そこまで知っている吸血鬼は、それも対策しているんだけどな――と心の中でアッシュはつぶやく。
ダンが総括するように大きな声を出した。
「要するに、魔族どもが妙なことを言ってきたとしても、身の潔白を証明する方法はあるってわけだ」
「そういうことになる」
「ならいい! みんな、わかったな!?
……よし。人面獅子の出どころはわかったし、『黒い砂漠』まで行く必要はなし!
引き返すぞ! 三十分後に出発だ!」
おう、と野太い返事が響き、会議はお開きになった。
議論が見事に望んだ方向へ着地してくれたので、アッシュは内心ほくそ笑む。
と、そこへダンが背中をバシンと叩いてきて、思い切りつんのめった。
「お前のおかげで、余計な心配せずにすんだぜ! たまには役に立つじゃねえか!」
「……まあな」
叩かれた箇所をさすりつつ、アッシュはやっとのことで返事をした。
「しかし、お前やけに吸血鬼に詳しいな。
もしかして、実はお前……」
疑わしげな目を向けてきたダンを、アッシュは鼻で笑い飛ばした。
「よせよ」
「なーんてな! はっはっは! お前みたいなひ弱な奴が、吸血鬼野郎のわけねえか!
じゃ、夜になったら、ちゃんと追いついてこいよ! 魔物に食われるんじゃねえぞ!」
自分の言葉でゲラゲラ笑いながら、ダンは自分の荷物を取りに行った。
「……侮れんな」
誰にも聞かれないよう、アッシュはぼそりとこぼした。
◆
その日の夜。
前回のように、吸血鬼と化して隊に追いつき、地上に降り立ったアッシュを待っていた者がいた。
「兄さん」
「アリア。どうしたんだ、こんな時間まで」
静かに燃える焚き火のそばに腰掛けていたアリアが、防寒用のマントを羽織ったまま立ち上がる。
その表情は物憂げで、なにか考え事をしていたことが伺えた。
しかし、アリアは兄を手招きしてかたわらに座らせると、
「寒くて、眠れなかった」
「……そんなに寒いか?」
「うん、寒い」
人間に戻ったアッシュの太ももの間に潜り込み、ちょこんと座り直した。
「そうか。なら、少し温まっていくといい」
アッシュは言葉通りに受け取ると、自らのマントでアリアの身体を包みこんだ。
(小さいな)
人目についてもいいよう、昼間の体格に調整したアッシュだったが、それでもアリアの華奢な肢体は、強く抱きしめれば、折れてしまいそうなほどにもろく感じられた。
「やっぱり、兄さんは温かいね」
「ああ。夜だからな。筋肉が発達しているから、その分発熱量も多くなって、体温も上がっているんだろう」
「……まあ、そうなんだろうけど」
アッシュの両腕を取り、ぎゅっと抱きかかえるアリア。
マントの中で、二人はお互いの手を探り合い、自然に握り合った。
「怪我はもういいのか?」
「うん。回復薬使ったから、すぐ治った」
「ならよかった」
回復薬とは、その名の通り、飲用した者の怪我を癒やす薬のこと。
骨折すら即日で回復させるという、驚異的な治癒力を誇るが、もちろんデメリットはある。
一つは、回復力は使用者の魔力量に依存すること。
アリアのように、莫大な魔力を保持していれば、どんな怪我も即座に治る。
しかし、常人であれば、折れた骨を修復するのに、数日は要してしまう。
これは、回復薬の自己治癒力強化は、使用者の魔力を消費して発動する魔法であるからだ。
そのため、魔力が枯渇している者が使ってしまうと、最悪の場合死に至ることもある。
もう一つは、高価なことだ。
治癒魔法は、適性者以外が詠唱しても効果を発揮しない。
そのため、治癒魔法と同等の性能を持つ回復薬は、一本あたり、庶民の平均的な月収ほどの値段がする。
これらの理由により、よほどの理由がなければ、回復薬を使わず、自然治癒に任せるものだが、今は危険な遠征中だ。
それも、最高戦力であるアリアを戦線復帰させるためとなれば、使用を惜しむよしもない。
パチパチと爆ぜる薪を眺めていると、アリアが唐突につぶやいた。
「今日、私、なにもできなかった」
「どういうことだ? 水妖馬は倒しただろう」
しかし、アリアは首を振った。
「私たちの敵は、あんなものじゃない。
奴は――カインドレイクは皇道十二神将の第三位。
たかが七十位のタコなんかに完封されてるようじゃ、一生かかっても、私じゃ倒せっこない」
「相性が悪かった。奴らはきっと、お前を対策して海王大蛸を投入してきたんだろう。仕方ないさ」
事実、そうだった。
アリアの凍結を警戒し、あらかじめシャルラッハは水と同化して潜伏。
水妖馬が倒されたあとの隙をついて、不凍の体液を散布し、万全の体勢を整えてから奇襲を仕掛けてきている。
いくらSランク冒険者とて、そこまでされて対処できる者は、ほとんどいないだろう。
それに、とアッシュは前置きして、アリアを元気づけるために言った。
「お前ひとりで倒せなくても俺がいる。あまり気負うな」
しかし、アリアの顔は浮かないままだった。
「……でも、私はきっと、これからも警戒されるし、狙われる。
そのたびに兄さんが来るのを待っていたんじゃ、いつか死んじゃう。
だから、このままじゃダメだと思う」
「……まあ、そうかもな」
肯定も否定もできかね、アッシュは曖昧に言葉を濁した。
たった一度負けたくらいで気にしすぎだ、といえばそうだし。
妹が強くなってくれるのはありがたい、といえばそうでもある。
兄として、どう慰めたものか。
アッシュが必死に脳をフル回転させていると、アリアがこう頼んできた。
「私にも、血液魔法を教えて。ていうか、血身魔法。
あれができるようになったら、すごく役に立ちそう」
だが、アッシュは難色を示した。
「やめておけ。血液魔法は、増血魔法――血液生成を自由にできる吸血鬼だから使いこなせるものだ。
普通の人間が使っても、すぐに貧血で倒れる」
「じゃあ、その増血魔法も覚えればいいんじゃないの?」
「増血は人体――特に心臓と血管に凄まじい負荷がかかる。
人間の身体ではとても耐えられないはずだ」
「でも、やってみないとわからないじゃん」
「それで死んだら意味がない。俺は今まで、増血魔法を使おうとして死んだ人間を三人知ってるが……まあ見れたものじゃない。
腐ったザクロを地面に叩きつけたような有り様だった」
その様子を想像したのか、アリアが気持ち悪そうに眉をしかめる。
「……じゃあ、やめとく」
「そうしろ。あんな魔法を使うのは、俺だけでいい」
そう言って、アッシュはアリアを立ち上がらせると、テントまで送っていった。
「さあ、もう寝ろ。お前にできないことは俺がやる。
お前は、俺にできないことをやってくれればいい」
「……うん」
納得いっていない様子のアリアは、背を向けてどこかへ行こうとするアッシュへ声をかけた。
「兄さんは? 寝ないの?」
「俺は朝まで周囲を警戒しておく。また襲撃があるかもしれんからな」
そう言い残すと、アッシュは夜の闇に消えていった。
吸血鬼の身になった彼には、睡眠は不要。
しかし、だからといって休息までいらなくなったわけではない。
(でも、夜目の利かない私がいたところで、足手まといでしかない……)
おまけに、回復薬の副作用――魔力を消費したことで、ふらりと立ちくらみを起こしたアリアは、仕方なく毛布に潜り込んだ。
いつか、夜であっても、アッシュの隣に立てるようになる。
そんな決意を胸に秘めながら。




