第1話『穀潰しと銀氷姫』
新作です。
書き溜め15話ほどありますので毎日0時に投稿していきます。
「ドブ掃除……完了しました」
「了解しました。こちら、お受け取りください」
「はい……またよろしくお願いします」
素っ気ないギルドの受付嬢に頭を下げ、アッシュはカウンターを離れていく。
ロウのように白く、青い血管の透けた肌。
ざんばらの髪は色素が薄く、名前通りの灰色。
三白眼の目元には濃いクマが貼りついており、いかにも病的だ。
上背は成人男性の平均より高めだが、いかんせん肉付きが悪いので、ひょろりとした印象を与えてしまう。
ズズ、と右足を引きずりながら歩くアッシュを、食事中の冒険者たちがあざ笑う。
「見ろよ。『穀潰し』が昼間っからほっつき歩いていやがる」
「あの程度のドブ掃除なんかしたところで、自分の飯代にもならんだろうに」
「『銀氷姫』の兄貴がタダ飯食らいじゃ、格好つかねえんだろ」
「はっ! やってる感のためにあんなみっともねえ風体晒して、お天道様の下を歩く勇気は俺にはねえな」
「違いねえ!」
ギャハハハ! と下品な笑い声が響き渡る。
無論、それらの会話はアッシュの耳にも届いてはいるが、彼はまるで意に介さなかった。
(俺は穀潰しだし、妹の評判をこれ以上下げないためだけに働いている。全て事実だ)
アッシュは空いている席にゆっくり腰掛けると、水とパンだけを注文した。
それだけで、今日一日分の稼ぎは消えてしまった。
しばらくして、注文の品が届いた。
(いただきます)
ウェイトレスに頭を下げると、アッシュは焼き立ての黒パンを千切り、木製のジョッキに注がれた水に浸し、柔らかくしてから口に入れた。
顎の力が弱いので、硬い黒パンは噛み千切ることもできないのだ。
(ごちそうさま)
ただカロリーを摂取するためだけの食事を済ませたところで、一気にクエスト帰りの冒険者たちが、ギルドになだれ込んでくる。
汗と泥、返り血で汚れた荒くれ者たち。
その中に、一人だけひときわ目を引く者がいた。
「見ろ、『氷姫』のおかえりだ!」
「やっぱ、いつ見ても可愛いよなあ……」
衆目を集めていたのは、一人の銀髪の少女だった。
背中まで届く銀色の長髪を一つに束ねたさまは、まるで出来のいい人形のよう。
凛とした青い眼差しに、整った面立ちは、感情の見えない無表情であっても、見ているほうが怯んでしまうような美しさだ。
「おっかえりーアリアちゃーん! 今日はクエストどうだった? キツくなかった?
ほら、こっち席とってあるから来なよ! ……おら、どけよお前ら! ここはアリアちゃんの特等席なんだよ!」
「へっ、ダンのやつは相変わらずだな」
長身で茶髪の、ダンと呼ばれた冒険者の青年が、すでに座っていた新人たちを無理やり追い払う。
テーブルを追われた新人たちは、物言いたげにその場に留まっていたが、
「あ? なんだよ。この俺になんか文句でもあるってのか?
もう助けてやらねーぞ!? お?」
「……いえ、なんでもないっす」
「だったら失せろ! お前ら今日夜警だろ、さっさと行け!」
ダンに睨まれると、悔しそうにその場を去っていった。
そんな彼らを尻目に、ダンはえびす顔でアリアを自分の席に招き入れようとする。
(まあ、ダンもロクなやつじゃないが、冒険者にしちゃマシなほうだ。ああいう普通の付き合いも経験したほうがいいだろう)
そう思いながら、アッシュは最後の一口をポイと口の中に放り込んだ。
「ほら、座って座って。久々の遠征、疲れたっしょ? 俺がなんでも奢るからさ、愚痴でもなんでも聞かせてよ~」
「いい。私は兄さんと――」
そう言いながら、アリアがアッシュのほうを振り返ったとき。
すでに、そこにアッシュの姿はなく。
完食された食器類だけが残されていた。
◆
「ただいま」
「おかえり、どうだった。ダンとの酒は」
「くだらない」
数時間後。
質素な一軒家で、アッシュはアリアの帰りを迎えた。
玄関横の棚に、ガシャンと腰にさげていたレイピアを置くと、膝上まであるブーツも脱がず、アリアはソファーに倒れ込んだ。
その白雪のように透き通る肌は、薄っすらと赤らんでいた。
「珍しいな。飲んだのか?」
「……兄さんが、私のこと無視するから」
「いつも言ってるだろ。外で俺に絡むなって」
アッシュが出した温かい紅茶を、上体だけ起こしてすすりながら、アリアは口を尖らせる。
「でも、本当にくだらない時間だった。ダンの話はつまらないし、下品だし、酒臭いし。しょうもない愚痴ばっかり。
おまけに『今日は泊まってかない? 宿、とってあるけど?』だって。信じられない。最っ低」
「そりゃ許せんな」
「でしょ? もうあんなやつに付き合わなくていいよね?」
「ま、一回サシで飲んでもつまらんかったら、距離を置いてもいいかもな」
「だよね。今度からそうする」
別のソファに腰掛けたアッシュの膝の上に、わざわざ乗りにいくアリア。
太ももの間で器用に体を丸め、背の高いアッシュの懐にすっぽりと収まってしまう。
「やっぱりここがいい」
ぴょんとはねたアリアの髪が鼻腔をくすぐり、柑橘系の香油の匂いが漂ってくる。
(でっかくなったなあ……)
そうしみじみ感じながら、アッシュはわざとぶっきらぼうに振る舞った。
「重い。折れる」
「うわ、ひど。女の子にそんなこと言う?」
むっと口を尖らせながらも、アリアはアッシュの上からどこうとはせず、アッシュも無理にどかそうとはしなかった。
しばらくの間、アリアが紅茶をすする音だけがリビングに響く。
「……ねえ、兄さん。今度、ギルマスに言ってみようと思うんだけど」
「ギルドマスターな。……なにを?」
分かりきったことだが、いちおうアッシュは尋ねた。
彼の腕の中で、ぐるんと身をひねり、アリアが真剣な目つきで彼を見上げる。
「兄さんのこと」
想定通りの答えに、アッシュはため息をつく。
「……バカ言うな。教会がすっ飛んでくるぞ」
「でも、私嫌なの。兄さんがあんな風に扱われてるの」
「俺は平気だ。だから、お前も気にするな」
「気にするよ。兄さんだもん」
「聞き分けろ。子どもじゃないんだから」
アッシュはアリアを抱えて、元いたソファに戻すと、立ち上がった。
「ちょっと出てくる」
「何しに?」
「散歩だ。すぐ戻る」
そう言い残し、アッシュはバタンと玄関のドアを閉めた。
一人ぼっちになったアリアが、窓辺に立ち、夜闇に消えていく兄の背中を見つめる。
昼間と同じ、ひょろりとした頼りない背中。
でも――。
「……嘘つき」
アリアは知っている。
彼が、誰よりも強い男だということを。




