第1章第2話「主様と猫耳、運命の抱擁」
【異世界:プェサの館・大広間〜執務室】
「ですが、その格好だと、異世界の者だと色んな方々に知られてしまいます。主様の威厳を保つためにも、此方のお召し物にお着替えください。」 そう話すと、着替え用の薄いエメラルド色のワンピースを愛梨に渡す執事頭ベリト。
「わかった」 愛梨はワンピースを手に取り、その生地の滑らかさや、異世界では当然とされるデザインの繊細さに思わず息を呑む。
「では、廊下にてお待ちしていますので、お召し物を着られたらお声掛け下さい」 頭を下げ、一度退室するベリトとアイム。
「綺麗なワンピースね。フリルとか、こんなに繊細な刺繍が入ってるなんて……」 大広間の個室で一人着替える愛梨は、鏡越しに初めて見る異世界の自分に少し緊張していた。 (本当に、私、この世界の『主様』なんだ。夢じゃないんだ……)
「主様、如何でしょうか?」 廊下から、ベリトの落ち着いた声が聞こえる。
「はーい」 ワンピースを着終わり声を掛ける愛梨。
「では、失礼致します」 ベリトが言うと、個室のドアを開けるベリトとアイム。
「見違えるほどお似合いですよ、主様。このプェサの館の光景にも馴染んでいらっしゃいます」 微笑むベリト。
「お手をどうぞ、主様」 ベリトとアイムが、愛梨に手を差し出す。
「あ、ありがとう」 愛梨は気恥ずかしそうに二人に連れられ、2階の執務室に向かう。胸は、異世界に来た興奮と、これから会うであろう大勢の執事への緊張で高鳴っていた。
《執務室前》
「そういやぁ、ベリトが主様連れてくるんだってよ!」 「へー、どんな人なんでしょう?楽しみですね!」 「へへっ、さっきベリトさんと一緒にいるの見たけど、可愛い子だったな」 執事たちの期待に満ちた声が賑やかに漏れていた。
「執務室です。皆さん、いらっしゃっていますよ。主様をお迎えするんだと、皆さん張り切っていました。あ、そうそう。主様、猫ちゃんはお好きですか?」 ベリトはドアの前で立ち止まり、穏やかに尋ねる。
「好きだけどどうかしたの?」 「いえ、実は、猫の姿をした悪魔執事が二名ほど居ますので。それなら良かったです。彼らはフォカスくんとフォラスくんです。」
「名前を呼んであげたらいいかしら?」 「もちろんでございます。きっと喜びます。そういえば、アイムはこの館の料理人なんです。作って欲しい物があったら彼に頼むといいですよ」
「今それを言うのかよ、ヘヘッ」 ベリトに反発しては、愛梨を見て恥ずかしそうに微笑むアイム。
「それでは参りましょう」 ベリトとアイムに手を取ってもらい、愛梨は執務室のドアの前に立つ。 扉の向こうからは、執事たちの高揚した話し声が波のように押し寄せてくる。愛梨は、これから自分が立つ場所の重要性を改めて感じ、小さく息を呑んだ。 (私が、本当に皆の主様なんだ。ちゃんと、役割を果たせるかな?)
重厚な木製の扉が開く。
「只今戻りました、主様をお連れ致しました。」 ベリトが声を張り上げ、愛梨の手を取り、執務室に入っていく。
愛梨は一瞬、目を細めた。執務室は、想像していた何倍も広大だった。高く装飾された天井、磨き上げられた巨大な机、窓からは柔らかな夕陽が差し込み、部屋の中央に立つ十数名の男性たちの影を長く伸ばしている。 その光景に、愛梨は改めて**「異世界に来た」**ことを実感し、圧倒された。
「主様!」「主様!」 ベリトとアイムの2人と手をつないで入ってきた愛梨の姿を見て、一際歓声を上げたのは、猫耳と尻尾を持つ二人の男の子だった。フォカスとフォラスが愛梨の前に勢いよく飛び出てくる。
「うわーい!初めまして、主様!」 もふもふの大きな猫耳と、柔らかそうな毛並みの二人に抱きつかれ、愛梨は思わず体勢を崩しそうになる。その身体は想像以上に温かく、愛梨の緊張を一気に解いてくれた。
「ふふっ、初めまして。貴方達お名前は?」 愛梨は戸惑いながらも、優しく2人を撫でる。その手触りは、現実世界のどんな猫よりも柔らかく、愛らしい。
「僕はフォラス。こっちの子は、弟のフォカスです。」 主様を見て説明するフォラス。
「そう。初めまして、私は櫻 愛梨と言います。よろしくね」 愛梨はしゃがみ込み、二人に目線を合わせて微笑む。
「彼らは?」 立ち上がり、ベリトに問いかける愛梨。
「はい。彼らは元、孤児でございます。我々はブローチの力で彼らを見つけましたが、ブローチは割れかけておりました。魔除け石のブルーゴーストストーンを持たせていますが、いつ悪魔化するかわかりませんので、執事が必ず一人ついて共にすることになります。」 ベリトの言葉に、愛梨はフォラスとフォカスを見つめる。二人の無邪気な笑顔の下に、そんな過酷な運命が隠されているのかと、胸が締め付けられた。
【ブローチの秘密と主様の役割】
ベリトは声を潜め、愛梨に真実を告げる。
「主様。ブローチは私たち悪魔執事の命と直結しており、力を使いすぎると、このように割れてしまいます。この状態が続けば、彼らは存在を失ってしまうでしょう。しかし、貴女の『ハートの指輪』、すなわち世界を救う主様の温かい心が、このブローチの消耗を防ぎ、私たち悪魔執事の心の闇を浄化する唯一の力なのです。」
「私の心が、皆の命を……」
「ええ。貴女こそが、この世界を悪魔王の圧政から救う、私たち執事全員の希望でございます。ですから、貴女の安全と秘密を守るため、決して『主様』であることは館の外部には知られてはなりません。よろしいでしょうか?」
「わ、わかったわ……。必ず秘密は守る」 愛梨のその純粋な優しさに満ちた言葉に、フォラスとフォカスは安堵したようにベリトを見つめた。ベリトは愛梨の善良さに目尻を下げて感謝を込めた視線を送る。
「割れてしまうことがあるのね。可哀想に。怪我はしていないのね?」 「はい、大丈夫そうです。その際の付き添いの執事は私かアイムくんです。」
「そうなのね。これからは、私も見回りに参加するね!彼らを一人にしないで済むし」
「いえ、行けません。主様の手を煩わすようなこと……それは私たち執事の最大の務めに反します。」 ベリトは困惑した表情を浮かべるが、愛梨は真剣な瞳で首を振る。
「いいのよ?手伝わせて?ね?私だって、ただのお飾りでいるつもりはないんだから」
「主様、いっしょに寝てくれるの?」 とフォラスが言い、
「ごほん読んでー」 と愛梨の手を引っ張り無邪気に部屋へと招き入れ、愛梨をベットに座らせるフォラス。
「あらあら……。フォラスくん、フォカスくん、主様はお母様ではありませんよ。本なら私が読んで差し上げますから、眠ってくださいね。」 そう、フォラスとフォカスを諭すベリト。
「えーだってぇー……べつのせかいからくるあるじさまは、おかあさまみたいって……。」 泣きそうな顔してベリトに言うフォカス。
「そーだそーだ!」とフォラス。
「何方から聞いたんでしょう。困りましたね...」 うーんと困り果てるベリト。
「誰から聞いたの?」 愛梨は目線をフォカスとフォラスに合わせ、にこりと微笑む。
「え、えと……」 オドオドとした表情のフォカスとフォラス。
「アイムお兄ちゃん」 オドオドしながら話すフォカス。
「ありがとう、教えてくれて」 愛梨はフォカスを優しく抱き締めた。
「あ、狡いですよー!」 抱きしめられているフォカスを見て嫉妬し、愛梨とフォカスの間に割って入るフォラス。
「よしよし……」 愛梨はフォラスの頭も撫でた。 フォカスを抱きしめたままの愛梨に、フォラスがへそを曲げて抗議する。 フォカスとフォラスの温かさが、愛梨の心をじんわりと満たしていく。 この子たちを守りたい、という思いが芽生え始めていた。
「ねえ、ベリト。私、この館のために何かしたい。まずは小さなことだけど、自分でハーブを育ててみるのはどうかな?アイムさん、料理人なんだから、きっと役に立つわ」 愛梨の突然の決意に、フォラスが驚いて目を丸くする。
「主様が!?本当ですか?ハーブなら、アイムさんが詳しいですよ!」
「うん。じゃあ、アイムに話を聞きに行きましょう。キッチンも見てみたいし!」 愛梨はそう言うと、フォラスとベリトに手を差し出し、笑顔で1階のキッチンへと向かった。




