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第98話 迫る異変

 トラックのエンジンが唸りを上げ、悠真は「佐倉農業機械資材店」の駐車場に車を滑り込ませた。

 「和央さーん! お世話様です!」

 店先で使い古したトラクターの整備をしていた和央が、油まみれの顔を上げてニカッと笑う。

「おう、悠真。最近やけに店に来るな?」

「ええ、なんだか胸騒ぎがして。予備をもう一セット……いや、4セット分、ブルーシートとシルバーシートをお願いします。あと、結束バンドの特大サイズと、強力な防水ガムテープも箱で」


 和央は作業の手を止め、少しだけ真面目な顔で悠真を見た。

「……シルバーシートか。遮熱性と反射率が高いやつだな。ありゃあ、災害現場じゃ体温を逃がさないシェルター代わりにもなる。いい目利きだ」

「ありがとうございます。……和央さん、これ、もしもの時に役立つ気がするんです」

「商人の勘ってやつか。いいぜ、在庫は全部出してやる。おまけに、この前試供品で入ってきた『高強度ナイロンロープ』も一巻きつけてやろう。これなら象が暴れても切れないらしいゾ」


 和央の軽口に救われながら、悠真は手際よく追加の資材を積み込んだ。ブルーシートやシルバーシート、さらには土嚢袋どのうぶくろの束。日本の工事現場や農家の必需品がトラックの荷台を埋め尽くしていく。


 15時過ぎ。

 商店街に戻った悠真は、汗を拭いながらトラックから店内に荷物を運び入れた。

「ふぅ……。これで一通りは揃ったかな」

 静まり返った店内で、悠真は何気なくカウンターの奥にある『龍の額縁鏡』を覗き込んだ。

 「……えっ?」

 鏡の向こう、エデンベルクの街並みが映し出された瞬間、悠真の指先が凍りついた。


 いつもなら穏やかな午後の光が差し込み、露天商の呼び声が聞こえてくるはずの北壁沿いの路地。そこを、金属鎧を鳴らした衛兵たちが、血相を変えて走り抜けていた。その数は一人や二人ではない。十数人の小隊が、重厚な盾と槍を携え、北の城門へと急いでいる。

 「なんだ……? 訓練じゃない。あの空気、まるで戦場だ」

 鏡越しでも伝わってくる、ひりつくような緊張感。市民たちも戸惑ったように足を止め、不安げに城壁を見上げている。昨日、バルガスと別れた時のあの険しい顔が脳裏をよぎる。

 (まさか、本当に何かが起きてるのか……?)


 悠真はすぐにでも「あっち」へ飛び込みたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえた。今はまだ、こちら側での「準備」が必要だ。店主として、向こうで何が起きても対応できるように、この場所を整えておかなければならない。

 悠真は自動ドアの電源を入れ、出しっぱなしにしていた「休憩中」の札を裏返した。そして、半分閉めていたシャッターをガラガラと音を立てて全開にする。

 その直後だった。

「おーい、悠真くん! 開いてるかい?」

 聞き慣れた威勢の良い声と共に、一人の小柄な老紳士が店に飛び込んできた。駅前商店街の会長を務める『矢田時計店』の矢田さんだ。

 「矢田さん、お疲れ様です。どうしたんですか、そんなに慌てて」

「どうしたもこうしたもないよ! さっき美紀ちゃん……縁プロダクトの女の子が、鼻息荒くうちに来てね。『悠真さんが隣の空き店舗で新しい商売を始めるかもしれない!』って、ものすごい勢いでまくし立てていったんだよ」

 悠真は思わず天を仰いだ。美紀ちゃんの仕事の早さと「期待値の高さ」が、とんでもない誤解を生んでいる。

「……矢田さん、落ち着いてください。美紀ちゃんからパンフレットはもらいましたけど、話を聞いただけですよ」

 矢田さんはカウンターに身を乗り出し、眼鏡の奥の目を光らせた。

「話だけ?いやいや、商店街としては大歓迎なんだよ! あの仏具屋の跡地、ずっと空いてて物騒だったからね。もし悠真くんがあそこで、あの……なんだ、コ○トコだかリセールショップだかをやってくれるなら、組合としても家賃の交渉や保証人の件、全面的にバックアップするつもりだよ!」

 「いや、矢田さん。やりませんよ」

 悠真はきっぱりと、しかし穏やかに首を振った。

「えっ? やらないのかい? あんなに景気の良さそうな話なのに」

 「今の僕には、この『おみやげのながもり』を守るだけで精一杯なんです。隣を借りて事業を広げるよりも、今扱っている商品を、本当に必要としている人たちに確実に届ける。それが僕の今の仕事だと思っていますから」

 悠真の言葉には、迷いがなかった。

 エデンベルクで必死に生きる子供たち、そして今まさに危機に直面しようとしている冒険者たち。彼らにとって必要なのは、巨大な店舗よりも、一粒のキャンディーであり、一枚のブルーシートであり、一足の頑丈な手袋なのだ。


 矢田さんは、悠真の真っ直ぐな瞳を見て、少しだけ拍子抜けしたように肩の力を抜いた。

「……そうか。まあ、悠真くんがそう言うなら仕方ない。でも、もし気が変わったら一番に私に言ってくれよ? 商店街の若手が頑張ってくれるのは、私たちにとっても一番の誇りなんだから」

「ありがとうございます。その時はぜひ、相談させてください」

 矢田さんが「またね」と店を出ていくのを見送り、悠真は再び鏡に視線を戻した。

 鏡の中のエデンベルクでは、さらに空の色が不気味な紫に染まり始めていた。

 (……待っててくれ、みんな。今、最高の『備え』を持っていくから)

 悠真はレジ横に置いていた、自分用の前掛けの紐を締め直した。


 日本の商店街の誇りと、和央さんの信頼、そして子供たちの笑顔。

 それらすべてを背負って、悠真は再び、異世界という名の「現場」へ足を踏み出す準備を始めた。

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