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第96話 何をして生きるのか

改めて「休憩中」の札を店のガラス扉にかけ、悠真はふう、と深く息を吐いた。


 つい数分前まで、この店は子供たちの歓声と、魔法のような物語の余韻で満たされていた。アリアが誇らしげに抱えていった袋の重み、そしてリナが大切そうに胸に抱いていたあの「ヒーロー」に似たぬいぐるみの温かい気配が、まだ店内の空気に溶け込んでいる。


「……さて、こっちの仕事も進めないと」

 悠真は自動ドアの電源を落とし、店舗の奥にある私用のスペースへと続くドアを開けた。そこは、アルテミシアの石造りの風景とは対極にある、見慣れた日本の和室だ。


 壁の時計を見れば、日本ではまだお昼時。悠真はエデンベルクで纏った独特の「異界の匂い」を振り払うように顔を洗い、着古したジャンパーを羽織った。


 店の裏口から出ると、そこには自分の愛車であるトラックが停まっている。


 トラックのエンジンを始動させると、AMラジオから流れるニュースと、アイドリングの振動が日常を引き戻す。

 悠真が目指すのは、昨日目星をつけていた郊外の大型資材センター、あるいは専門店だ。

「三輪式カート……あれがあれば仕事は劇的に変わるはずだ」

 ハンドルを握り、車を走らせながら、悠真の意識は再び「あちら側」へと飛んでいた。


 エデンベルクの石畳。

 それは一見すれば情緒あふれる美しい景観だが、商売人や物流を担う者にとっては地獄の悪路だ。大小不同の石が敷き詰められ、あちこちに溝があり、段差が潜んでいる。

 キャンプ用の四輪ワゴンは、平地では優秀だが、あの街では一度溝にハマれば車輪を傷め、荷崩れの原因になる。

「向こうの環境をもっと深く知らないと、ただの『珍しいガラクタ』を押し付けるだけになっちゃうな」

 悠真は信号待ちの間に少し考える。


 例えば、あの子供たちがいる『希望の家』。

 彼らは手作業で内職をこなしている。アリアたちが話してくれた「縫製の魔羊皮(プロセス・マップ)」という魔導具の設計図は確かに完璧だ。しかし、子供たちの作業環境はどうだろうか。


 暗いランプの火の下で目を細め、硬い木の椅子に座って、何時間も針を動かしているのではないか。

 日本なら当たり前にある「LEDのデスクライト」や「疲れにくいクッション」、あるいは「指先を保護する高機能な指ぬき」。

 それらを持ち込めば、彼女らの仕事はもっと楽になるだろうし、彼女らの思いも伝わりやすいだろう。

「でも、ただ便利なものを持ち込むのが正解なのか?」

 悠真はバイパスに入り、アクセルを少し踏み込んだ。

 自分が持ち込んでいるものは、アルテミシアの技術体系を根底から壊しかねない危険も孕んでいる。

 ローレンツのような狡猾な商人は、悠真が持ち込む「品質の安定」と「未知の製法」に価値を見出した。だが、それは同時に、何代も続いてきた伝統的な職人の仕事を奪うことにも繋がる。


 使い捨てのプラスチックスプーンは衛生的だが、あちらの世界でも「分解されないゴミ」として永遠に残り続ける。

「誠実に向き合う……か。言うのは簡単だけどな」

 昨夜、腕輪を撫でながら自分に言い聞かせた言葉が、より重い意味を持って胸にのしかかる。

 パトロールの連絡係も、お土産屋の店主も、やることは同じ。


 それは「その場所の人々が、明日も笑っていられるように配慮する」ということだ。

 車は大型の物流センターの駐車場に滑り込んだ。

 悠真は車を降り、巨大な倉庫のような店内に足を踏み入れた。そこには、プロ向けの運搬台車や、過酷な現場で使われる資材が所狭しと並んでいる。

「あった、これだ」

 悠真が見つけたのは、アルミ製の三輪式階段昇降カートだった。

 一つの軸に三つの車輪が三角形に配置されており、段差に差し掛かると車輪が回転してスムーズに乗り越える仕組みだ。

 実際にサンプルを動かしてみる。カチカチと小気味よい音を立てて、人工的な段差を軽々と越えていく。

「これなら、エデンベルクの石畳の溝も、冒険者ギルドへの重い資材搬入も腰を痛めずに済む」


 悠真はさらに、その横にある『キャリー用のノーパンクタイヤ』に目を止めた。

 空気を入れる必要がなく、鋭利な石や鉄片を踏んでもパンクしないソリッドタイヤ。魔物がうろつく外壁付近や、整備されていない街道を往く商人たちにとって、これほど心強いものはないだろう。

「よし、まずはサンプルとしてこれを一台。それと、ガルドへの『お土産』に、あっちの環境でカスタマイズできそうなパーツもいくつか揃えておこう」

 悠真は店内のカートに次々と商品を積み込んでいった。

 三輪カート。

 ノーパンクタイヤの予備。

 荷物を固定する強力なバンジーコード。

 そして、子供たちが内職で使えそうな、疲れを軽減する最新のゲルクッション。

 買い物を終えて外に出ると、日本の空はすっかり高く、午後特有の穏やかな日差しが街を包んでいた。


 荷台に積み込まれた「日本の知恵」を眺めながら、悠真はふと、アリアたちがアニメを見ながら口出さんでいたあの歌を思い出した。

「……何のために生まれて、何をして生きるのか」

 あのアニメの主題歌は、日本では子供向けの歌として親しまれているが、異世界で生きる彼らにとっては、生存そのものに関わる問いかけだったのかもしれない。

 そして、自分にとっても。

「僕は、あっちとこっちを繋ぐことで、何ができるんだろうな」

 悠真はトラックの運転席に座り、再びハンドルを握った。

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