第93話 小さな来客
1話の話が長すぎたので2話構成にしました。
「休憩中」の札をひっくり返し、何気なく店の自動ドアをくぐり抜ける。一歩踏み出した先にあるのは喧騒ではなく、アルテミシアの清涼な朝の空気だった。
エデンベルクの朝は早い。太陽が地平線から顔を出し始めたばかりのこの時間帯は、大気の透明度が高く、深呼吸をすると肺の奥まで洗われるような心地よさがある。悠真は大きく伸びをし、肩を回してストレッチを始めた。日本での「店舗拡大」や「リセールショップ」といった胃の痛くなるような悩みも、この世界のどこか土の匂いが混じった風に吹かれると、少しだけ軽くなる気がした。
すると、向かい側の石造りの建物の陰から、小さな足音がいくつか聞こえてきた。
顔を上げると、6人の子供たちが一塊になって、おずおずとこちらへ歩いてくる。その中心にいるのは、昨夜、奏多の店でカレーを夢中で頬張っていた子供たちだ。一番年上に見える12、3歳ほどの少女が、代表して悠真の前に進み出た。
「あの……、ここのお店の人ですか?」
少女は不安そうに、しかし真っ直ぐな瞳で悠真を見上げた。悠真が「そうだよ、店主の悠真だ」と優しく微笑んで答えると、少女は目に見えてホッとしたように肩の力を抜き、後ろの子供たちを振り返った。
「よかった……。ほら、言ったでしょ? きっと開けてくれるって」
子供たちが一斉に明るい表情になる。少女は再び悠真に向き直り、深々と頭を下げた。
「あの……この前の夜、カナタおじさんのところでカレーを食べている時に一緒だったの覚えていますか? 私たちは城壁の近くの『希望の家』で暮らしています」
「もちろん、覚えているよ。 今日は何か買い物に来たのかい?」
悠真が問いかけると、子供たちは期待に満ちた顔で一斉に頷いた。悠真は店に戻って「休憩中」の札を外し、自動ドアの電源をオンにした。ウィーン、という小さな機械音と共にガラスの扉が開く。
「さあ、お入り。中は涼しいよ」
子供たちは「うわあ……」と声を上げながら、吸い込まれるように店に入っていった。エデンベルクにはない、白く明るいLED照明に照らされた店内。色とりどりのパッケージが並ぶ陳列棚を、彼らはまるで伝説の宝物庫でも見るかのようにキョロキョロと見渡している。
「それで、今日は何を買いに来たのかな?」
悠真がカウンター越しに尋ねると、年長のアリア(後で名前を聞いた)が緊張した面持ちで、小さな布袋をカウンターの上に置いた。ジャラリ、という鈍い金属音が響く。彼女が袋から慎重に取り出したのは、使い古された銅貨22枚だった。
「あのね……もうすぐ、シスター・マーサの誕生日なの。シスターはいつも私たちを自分の子供みたいに守ってくれるから。だから、みんなでお金を出し合ってお菓子と、シスターが喜ぶプレゼントを買おうって決めて……。でも、ここのお店、いつ開くか分からなかったから、朝からみんなで見張ってたの」
銅貨22枚。この世界の物価と悠真のスキルによる換金レートを考えれば、1万1000円弱という金額だ。孤児院の子供たちがこれだけの額を集めるのに、どれほど仕事をしたのか。悠真はカウンターに並んだ、手垢で黒ずんだ銅貨を見つめ、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……なるほど。シスター・マーサへのプレゼントだね。よし、店主の僕が最高のセットを見繕ってあげよう」
悠真は真剣に棚を選び始めた。まずは、シスターという職業柄、屋外を歩くことも多いだろうと考え、日本の技術の結晶である『ステンレス製の魔法瓶』を手に取った。
「これはね、中の飲み物をずっと冷たく、あるいは温かく保てる魔法のボトルだよ。こっちの世界の魔導具より軽くて使いやすいはずだ」
さらに、日本の情緒が詰まった『和柄の扇子』と、吸水性の高い『綿の手拭い』。合計で約7000円相当の、実用的かつ美しいギフトセットだ。
「これならシスターもきっと喜ぶ。あとの4000円分で、みんなで食べられるお菓子をたくさん詰め合わせよう。いいかい?」
「はい!」子供たちの返事が店内に響く。悠真はチョコや、ビスケット、飴玉などを大きな袋にテトリスのように詰め込んでいく。その合間に、彼はふと思いついて冷蔵ケースから『ヤマモト牧場』の牛乳で作られた飲むヨーグルトを6本取り出した。
「これは僕からのサービスだ。みんな、まずはこれを飲んでみて」
悠真はフタの開け方を丁寧に教えた。アリアが自分より小さな子のフタを開けてあげると、子供たちは恐る恐るその白い液体を口にした。
「……っ!」
一瞬の沈黙。その後、子供たちは声も出さず、目を見開いて夢中でボトルを傾け始めた。濃厚なミルクの甘みと、爽やかな酸味。アルテミシアの酸っぱいチーズや薄い山羊の乳とは次元が違う味に、小さな喉がごくん、ごくんと鳴っている。
その中で、一番小さな女の子が、片腕で一つのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめているのが悠真の目に留まった。
そのぬいぐるみは、なぜか悠真の目には『ア○パ○マン』に酷似しているように見えた。丸い鼻、赤い頬、マントの形までそっくりだ。
「アリアちゃん、その子が持ってるぬいぐるみは何だい?」
悠真が聞くと、アリアは少し悲しげな瞳をその女の子に向けた。
「それは『抱きしめる声』という魔道具です。……その子の、リナの形見なんです。お父さんはダンジョン探索の冒険者だったんですけど、去年の冬に亡くなって……。これが唯一の遺品で。ぬいぐるみを強く抱きしめると、お父さんの声で『大好きだよ、リナ』ってしゃべるんです。リナは、寝る時もずっとこれを離さないの」
悠真は言葉を失った。
さっきまで、自分が「冒険者になってダンジョンに潜った方が楽だ」なんて安易に考えていたことが、急激に恥ずかしくなった。この世界の冒険者にとって、ダンジョンは夢を掴む場所であると同時に、愛する家族との絆を断ち切る無慈悲な死地でもあるのだ。リナが抱えるその「ア○パ○マン」に似たぬいぐるみは、彼女にとっての父親そのものなのだ。
(そうか……この形は、偶然じゃないのかもしれない。どこかの世界で、誰かを守る象徴だったものが、この世界では形見として一人の少女を支えている……)




