第86話 カレーライス
『守護の炎』の食堂内は、熱気と湯気で真っ白になっていた。
そこにいたのは、いつもの冒険者たちではない。
「わあ! カナタおじちゃん、おかわり!」
「こっちも! この黄色いドロドロ最高においしい!」
小さな机を並べ替え、夢中でスプーンを動かしているのは、孤児院『希望の家』のアリアを始めとした子供たちだった。シスターたちや院長先生もいる。もちろん、玲奈と奏音も食べていた。さらには、商業ギルドで『概念工房』の窓口を担当しているディンケルという名の真面目そうな官吏と、その部下である若い職員たちまでもが、子供向けと大人向けで辛さを変えているのか顔を赤くして皿を空にしていた。
厨房から、白いエプロンを羽織った奏多が、巨大な鍋を抱えて現れた。
「おう、悠真さん。いいところに来たな」
「奏多さん、これ……カレーですか?」
「ああ。あんたが持ってきてくれた和牛。そのまま焼くのもいいが、せっかくの祝宴だ。和牛の筋と端材をじっくり煮込んで、あんたがゼノスの土産で買った『カレールー』を分けてもらって、取り寄せたコメを使って仕上げた。
今日は『抱きしめる声』を作ってくれてる子供らへの日頃のお礼の夕食会なんだ。それといつも骨を折ってくれている商業ギルドの担当のディンケルたちへの接待も兼ねてな」
奏多は悠真にここにいる人たちについて紹介してくれた。
奏多の言葉通り、子供たちは生まれて初めて食べる日本のカレーに、もはや言葉を失っていた。和牛の脂が溶け出したルーは、アルテミシアのどんな料理よりも濃厚で、優しく、そして力強い。
「……信じられん。この『コメ』という穀物、家畜のエサだと聞いていたが…。だがこの複雑な香辛料の辛味と混ざると極上の味だ。ユウマ殿、あなたの故郷は、これほどの贅沢を日常的に食しているのか?」
異世界の食べ物だと聞いたのだろうか。商業ギルドのディンケルが、眼鏡を曇らせながら感激に震えていた。彼のような堅実な役人がここまで取り乱すほど、日本のカレーと和牛の組み合わせは、この世界において「味覚の破壊兵器」だった。
ガルドが「俺たちの分はないのか!」と騒ぎ出す中、フィアネスは悠真から預かっていた報酬の入った革袋をテーブルに置いた。
「さあ、まずは仕事の話を終わらせましょう。」
悠真はフィアネスに促され、分配作業に入った。
魔石と素材の買取報酬、そしてギルドが買い取った資材の代金。税金と手数料を差し引いても、悠真の手元には金貨14枚弱という大金が残った(リリエッタたちが日本でもてなしてくれたお礼だと一枚づつくれた)。日本の貨幣価値に直せばそこそこの額だ。
「……ありがとう。でも、金貨4枚はもらい過ぎだ。せめて半分はこちらでの道案内兼護衛費用として返すから受け取ってください」
悠真がもらった金貨二枚を返すため言うと、ゼノスは笑って首を振った。
「いや、護衛は俺たちが好きでやったことだ。これはあんたの『商売』の利益だ。しっかり持っておけ。……その代わり、また美味いもんを持ってきてくれりゃあ、それでいい」
宴は夜更けまで続いた。子供たちが満腹で眠たげな目を擦り始めた頃、悠真は立ち上がった。
「さて……そろそろ僕は、店に戻ります。明日は日本側での『仕入れ』があるんです」
「ユウマ。改めて礼を言うよ。あんたのおかげで、この街の連中の顔に、久しぶりに本物の『希望』が灯った」
奏多が、濡れた手をエプロンで拭いながら握手を求めてきた。
「いいえ、僕こそ。この肉を最高のカレーにしてくれて、ありがとうございます。三ツ谷さんも喜びます」
リリエッタとフィアネスに見送られ、悠真は再び赤いキャリーワゴンを引いて、暗くなった北の城壁沿いを歩いた。
夜風は心地よく、三つの月が青白い影を石畳に落としている。
店にたどり着き、黒い『会話の腕輪』をそっと撫でる。
自動ドアのロックを解除し、中に入ると、そこには見慣れた光景が広がっていた。
静まり返った店内で、悠真は深く椅子に腰掛けた。
店内の時計を見れば、日本ではまだお昼前だ。こちらではほんの数時間しか経っていない。
「……さて、まずはスキルを使ってお金を日本円にして店の売上げにしないと。」
悠真は、ポケットに残っていたいちごミルクキャンディーを一つ口に放り込んだ。
甘酸っぱい味が、張り詰めていた心を優しく解きほぐしていく。
「……明日は美紀ちゃんが注文品と新作のお菓子を持ってくる。それと、店を閉めた後キャリーワゴンを見に行こうかな」
一人で苦笑いしながら、悠真はレジの精算機を立ち上げた。
この86話で第三章終了です。ストーリーがなかなか進展せずすみません。
第四章までしばらくお待ちいただけますようよろしくお願いします。




