第85話『守護の炎』までの道中
商業ギルドの重厚な石造りの門を背にした悠真の耳に、再び赤いキャリーワゴンの「ゴロゴロ」という音が心地よく響き始めた。
緊張の糸が切れたせいか、足元が少しふわふわとする。だが、キャリーワゴンの中には先ほどローレンツから受け取った、重厚な真鍮製の『商業ギルド公式認定証』のプレートが入っていた。
「ふぅ……。正直、生きた心地がしなかったよ」
悠真が額の汗を拭うと、隣を歩くフィアネスが、その凛とした横顔に柔らかな笑みを浮かべた。
「ユウマ、あなたは謙遜しすぎです。あのローレンツを相手に、利益の独占を拒み、対等な優先契約を勝ち取るなど、並の商人では一生かかっても不可能です。あなたは今日、この街の経済の歴史に楔を打ち込んだのですよ」
時刻は悠真の体内時計でいえば、まだ午後三時を回ったあたり。日本の感覚なら、夕飯の献立を考え始める、穏やかな西日が差す時間帯だ。しかし、エデンベルクの空には、早くも三つの不規則な月がその輪郭を現し始めていた。
「フィアネスの言葉に(そんな大袈裟なと思いつつ……)まだ時間はありますね。宿へ向かう道すがら、この世界の、そしてエデンベルクの今の姿を教えてくれませんか? 商売をするなら、まずは相手を知れと言いますし」
悠真がそう言うと、リリエッタが嬉しそうに頷き、歌うような声で語り始めた。
「アルテミシアのこの地域は、冬は穏やかで雨が多く、夏は乾燥して日差しが強い。だからこそ、小麦そして良質な葡萄が育ちます。ですが、この平和な風景の裏では、少しずつ『澱み』が広がっているのです」
リリエッタの指差す先、遠くに見える険しい山脈の向こう側が、少しだけ灰色に霞んで見えた。
「最近、魔物の活性化が著しい。北の城壁を越えた先にある『深緑の迷宮』では、普段は見られないような強力な個体が観測されています。それが原因で『深緑の迷宮』へ入るにはC級冒険者以上しか許可されていません。
そのためダンジョンからの素材の流通が滞り、物資の価格が高騰している。どうしても必要な物資は他のダンジョンからの物資を輸送を含め高額で買わなければなりません。ローレンツがあれほど必死に、あなたの『未知の物資』を独占しようとしたのも、その焦りの裏返しでしょう」
「魔物の活性化……。だけど、フィアネスたちが狩猟に入った森には野生動物もいなかったって言ってたから食料の肉は手に入りくい。それだからギルドも、僕の持ってきたブルーシートやヘッドライトをあんなに欲しがったのか」
「あぁ、そうだな」ゼノスが、腰の短剣に手を置きながら言葉を継いだ。「遠征の質が変わってきてるんだ。今までは数日の狩りで済んだものが、今じゃ十日以上の野営を強いられる。清潔な水、確かな灯火、そして腐らない包材。ユウマ、あんたが持ってきたのは、単なる珍品じゃない。生存率を上げるための『戦略物資』なんだよ」
悠真は、自分の店に並んでいる千円札一枚で買えるような品々が、ここでは命を天秤にかける際の重しになっている事実に、改めて身が引き締まる思いだった。
「このエデンベルクという街も、かつては小さな宿場町だった」ガルドが街の中央を貫く大通りを見渡しながら言う。
「しかし、この地で『古代魔導の残滓』が見つかって以来、世界中から探求者と商人が集まる要衝となった。今やここは、王都からの干渉すら跳ね返す自由都市のような力を持っています。
その均衡を保っているのが、冒険者ギルドと商業ギルドの二大勢力。……そして今、そこにユウマの店『おみやげのながもり』が加わった。これは、非常に危うく、かつ刺激的なバランスだ」
キャリーワゴンの振動が、石畳から悠真の腕へと伝わってくる。
「土地の豊かな恵みと、環境の変化や迫り来る魔物の脅威……。そこに僕の持ってくる日本の知恵がどう入り込めるか、ですね」
一行がそんな話をしながら歩いていると、やがて見慣れた看板が見えてきた。




