第80話 守護の炎と概念工房
悠真がエデンベルクの石畳にキャリーワゴンのタイヤを乗せた瞬間、背後で自動ドアが静かに閉まりました。
日本の初夏の瑞々しい空気から、乾燥したどこか獣の匂いが混じった異世界の朝へと世界が完全に切り替わります。
戸締りをした悠真は「……よし、行くか」と気合いを入れ、赤いワゴンは、三ツ谷精肉店の「精肉」と、和央さんの店で揃えた「資材」と商品見本を載せ、ゴロゴロと力強い音を立てて石畳を転がります。
その時、城壁の陰から、待ちわびていたような声が響きました。
「ユウマ! ようやく来てくれたのですね……って、何ですか、その真っ赤な『車』のようなものは!?」
駆け寄ってきたリリエッタが、目を丸くしてワゴンを指差しました。
「車……? いや、これはただの荷車だよ。魔力も何も使ってない」
悠真が笑って答えると、後ろから歩いてきたフィアネスが、ワゴンの太いタイヤを剣の柄でつつきました。
「ほう……この車輪、見たこともない柔軟な素材だ。この石畳の凹凸を、まるで飲み込むように進んでいる。これなら中の繊細な荷も傷まないというわけか。相変わらずあんたの持ってくるものは計り知れんな」
悠真が引く赤いキャリーワゴンは、エデンベルクの石畳の上で、この世界のどんな荷車とも違う軽やかな音を立てて進んでいきます。
「おいおい、ガルド、あんまり触るなよ。まだ運転に慣れてないんだから」
悠真が苦笑いしながらハンドルを引くと、ガルドはワゴンのフレームをまじまじと見つめ、
「ユウマ、この『赤い車』……。この滑らかな手触りといい、この頑丈な鉄の組み方といい、ドワーフの細工師が見たら腰を抜かすぞ!」
と興奮を隠せません。
宿屋『守護の炎』に到着すると、店の前ではすでに奏多が腕を組んで待っていました。
「……来たか。」
「ええ。これなら一度に100kgまで運べるんです。さあ、奏多さん。約束の『本物』、持ってきましたよ」
悠真はワゴンの上に積まれた発泡スチロールの蓋を、儀式のような手つきで開けました。
中から現れたのは、三ツ谷精肉店が誇る近江牛の血統、A5ランク和牛のブロック。保冷剤のおかげで、肉の表面にはうっすらと霜が降り、サシの美しさが三つの月の名残と二つの太陽の光を反射して、文字通り「宝石」のように輝いています。
「……っ!」
奏多が息を呑みました。隣にいた玲奈もその肉を凝視しています。
「さすが……日本の専門店の肉……。魔獣の肉にある『荒々しさ』が一切ない。純粋な旨味の結晶じゃないか」
奏多の震える指が、パック越しに肉に触れようとして止まりました。
「三ツ谷さんっていう精肉店が、奏多さんのために最高なところを選んでくれたんです。豚も鶏もいいものを揃えてくれました」
悠真が肉を納品し終えると、奏多は真剣な眼差しでその肉を冷蔵の魔導具へと収めました。
「悠真さん、最高の肉だ。今夜はこれで、玲奈と奏音と一緒に、この街で一番の贅沢をさせてもらうよ」
「喜んでもらえて良かったです。……あ、そうだ、リリエッタ。これ、借りていた『会話の腕輪』。本当に助かったよ」
悠真は腕から腕輪を外し、リリエッタに手渡しました。
そのまま隣にある玲奈の「概念工房」へと足を向けます。
魔導具店の薄暗い雰囲気の店内は、ハーブの匂いが漂っていました。店主の玲奈はいくつかの『会話の腕輪』を取り出し
「好みの色を選んで」と悠真に言いました。
悠真は黒い『会話の腕輪』を選ぶと、玲奈がスキル『概念具現』で設定します。
悠真は商品代の銀貨3枚をカウンターに置きました。
手に入れた新品の腕輪は、黒色の石が埋め込まれた黒皮で出来ています。。それを腕に巻いた瞬間、まるで自分の耳が新しくなったかのような、クリアな感覚が脳を駆け巡りました。
「よし……これで、誰とでも対等に商売ができる」
そして、いよいよ、リリエッタたちに導かれ、悠真は冒険者ギルド『剣と盾』の看板が下がった重厚な門をくぐりました。




