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第74話 隠れ家デート ②

 イタリアンレストランの扉を開けると、カウベルの乾いた音が響き、にんにくとオリーブオイルの焦げる芳醇な香りが二人を迎えた。

「いらっしゃいませ。二名様ですね、こちらへどうぞ」

 店内の柔らかな暖色系の照明が、美咲の瞳を優しく照らしている。


 悠真は椅子を引きながら、ふと自分の掌を見た。ついさっきまで、この手は異世界の金貨を握り、そして次元を越えてやってきた同胞の涙を見ていた。

(……美咲を目の前にすると、あの店で起きたことが全部、精巧に作り込まれた白昼夢のように思えてくる)


「悠真? メニューはい、何にする?」

 美咲の声で現実に引き戻される。

「あ、ごめん。……そうだね、美咲の好きな渡り蟹のパスタにしようか。あとはマルゲリータを一枚。それと、今日は少しお祝いしたい気分なんだ。グラスワインを二ついいかな」

「お祝い? 何かいいことあったの?」

 美咲が不思議そうに目を丸くする。悠真は「商売繁盛の兆しが見えてきたからさ」とはぐらかしながら、運ばれてきた白ワインで乾杯した。


 冷えたワインが喉を通り、アルコールがじんわりと脳を解きほぐしていく。美咲は今日あった仕事の愚痴や、最近のドラマの話を嬉しそうに語っている。その「何でもない話」が、悠真にはたまらなく愛おしかった。


「そういえば美咲。さっきすれ違ったあの三人連れ……どんな風に見えた?」

 悠真は、どうしても気になっていたことを口にした。

「え? うーん、そうだね。奥さんの方は髪が不思議なシルバーグレーで、すごくお洒落だなって。旦那さんも、なんて言うか……輩っぽい?!、ちょっと凄みがあるかっこよさだった。あ、女の子は天使みたいに可愛かったよ。三人とも、どこか遠くの日本じゃない空気を持ってた気がする」


「……そうか。そう見えるんだな」

 悠真はワインを一口飲み、視線を落とした。

 美咲の認識は間違っていない。だが、彼女はその「遠い場所」が、物理的な距離ではなく、次元を隔てた別世界であることを知らない。そして、自分だけがその二つの世界を繋ぐ結び目になっていることも。

「悠真、最近なんだか少し疲れてない? 回覧板で見たけどパトロールの連絡係も引き受けたんでしょ? あんまり無理しないでね」

 美咲の細い指が、悠真の手の甲にそっと重ねられた。その温もりに、悠真は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

(いつか、美咲に全てを話すべき日が来るんだろうか。うちの店が『向こう側』と繋がっていること……)


 だが、今この瞬間、彼女をあちら側の泥濘に引き込むわけにはいかなかった。フィアネスが警告したように、あちらの世界は「澱んで」いる。権力、魔獣、そして歪み。美咲のような純粋な「日常」に生きる人を、その濁流に晒したくはなかった。


「大丈夫だよ、美咲。ただ、ちょっと大きな仕事が入りそうで、気合が入ってただけなんだ。明日、定休日だけど、午前中は三ツ谷さんのところへ行ってくる。精肉について色々と相談をしたいんだ」

「三ツ谷精肉店? あそこのおじさん、ちょっと

怖そうな顔してるけど、お肉やお惣菜は美味しいもんね。 そういえば、息子の「真翔(まなと)」君と私は高校の同級生なんだ。悠真も知ってるでしょ?。」

 と言われたが、いまいち顔がピンとこない。


「ほら、希実の披露宴にも来てたでしょ。背も高いけど横も大きい男の人」

 そういえばそんなのいたかな?と思いつつ、美咲の無邪気な会話に付き合う。

「この前、悠真と一緒に食べたカリ梅の話をしたらお父さんも食べたいって言ってたよ」

 アルテミシアの冒険者ギルドにブルーシートとポリ手袋を納入を頼まれている。和央さんの店に買い行くついでに持っていこう。


 三ツ谷さんから上質な和牛を仕入れ、奏多さんたちに届けること。それと、店の商品の発注もしないと。


 食事が終わり、夜風に吹かれながら二人は、悠真が自宅に帰るタクシーを拾うため駅へと向かう。

 夜空には、ただ一つの月が凛と輝いていた。

 エデンベルクで見た三つの不規則な月とは違う、見慣れた、孤独な、けれど絶対的な母性を持った月。

「おやすみ 美咲、気を付けて」

「ありがとう。……ねえ、悠真。今日、すれ違ったあの三人の家族、なんだかすごく『幸せそう』だった。悠真のお店で何か素敵なものを見つけたんだろうね。……なんだか、私まで嬉しくなっちゃった」

 美咲が見せた笑顔は、悠真にとってどんな魔道具よりも強力な加護となった。


 時刻は午後10時30分。明日はいよいよ、三ツ谷精肉店への「商談」だ。

 日本側での信頼を築き、アルテミシア側での「日常」を支える。


 タクシーに乗り込んで自宅に戻り、ベッドに倒れ込む。

 目を閉じると、シャッターを下ろす寸前に見たエデンベルクの、夕暮れの街並みがまぶたの裏に浮かんだ。

(奏多さん、玲奈さん。……いい肉を持っていくから。待っててくれよ)

 その夜、悠真は久しぶりに深く眠った。

 夢の中で、彼は三つの月と一つの月が同時に輝く、不思議な夜空の下で、美咲と奏多の家族が、一緒にバーベキューを囲んで笑い合っている姿を見ていた。


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