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第71話 瞳に映る前世の残滓 ― ミミリアの回想 ―

 エデンベルクの夜風は、猫獣人となったミミリアの鋭い耳を優しく撫でる。孤児院への帰り道、弟レオの小さな手を握りながら、彼女の意識は深い記憶の底へと沈んでいった。


 前世の名前は「和千 美嘉(かずち みか)」。日本のデザイン事務所で、連日深夜までマウスを握り、クライアントの無理難題を形にする平凡な工芸デザイナーだった。


 幼い頃から病弱で、病室の窓から外を眺めるのが日常だった彼女にとって、唯一の支えはアニメの世界だった。「絶対倒されねえ!!!」と叫びながら立ち上がる不屈のヒーロー。その台詞を、彼女は人生の座右の銘にしていた。


 35歳を目前にしたあの日、念願の係長昇進が決まり、彼女は「ひとり焼肉」でささやかな祝杯を挙げた。


「美嘉、よく頑張ったじゃん」

 独り言を言いながらビールを煽り、カルビを頬張る。大して食べられないくせに、その夜だけは贅沢をした。食後、少しでも摂取したカロリーを消費しようと、最寄り駅の二駅手前で電車を降りた。


 恋人いない歴は年齢だが、動物好きが高じて最近活動に参加している保護犬猫団体のそこそこ若そうな男性スタッフが、優しく微笑んで話してくれることに「ワンチャン(犬だけに……)あるかも」と淡い期待を寄せていた。


 しかし、運命は非情だった。

 ショートカットをしようと入った路地。信号が青になり、足を踏み出した瞬間、目の前を小さな黒い影が横切った。一匹の猫だった。


「危ない!」

 同時に、信号無視のトラックが猛スピードで突っ込んでくる。

 反射的に体が動いた。飛び出した猫が、あの優しかったボランティアスタッフの顔と重なって見えたのだ。

 鈍い衝撃、浮遊感。そしてアスファルトに叩きつけられた瞬間、美嘉の意識は暗転した。


 気がつくと、彼女は果てしない白い空間に浮いていた。

 目の前には、性別も年齢も不詳の、圧倒的な威厳を放つ「神」のような存在。

「美嘉よ、汝の命は尽きた。救おうとした猫の寿命もまた、そこまでであった」

 神は静かに語った。美嘉の体も魂も、修復不可能なほどボロボロであること。しかし、彼女が救おうとした猫の魂が、来世を捨ててでも美嘉を救ってほしいと願ったこと。

 二つの魂を繋ぎ合わせ、生き長らえる場所は、この「アルテミシア」しかなかった。


「人間としては無理じゃが、似たような種族がいる。汝に、過酷な世界で生き抜くための力を授けよう」

 与えられたのは、二つのユニークスキル。

 一つは『無病息災』。病弱だった前世への憐れみか、あらゆる疾病と怪我を無効化し、さらに「家族」と認めた者に驚異的な治癒力を分け与える慈愛の力。

 もう一つは『蠱惑こわく』。相手を魅了し、共依存と認識のすり替えを引き起こすという、使い方を誤れば毒となる力。


「前世の記憶を、残してほしい……」

 消え入るような彼女の願いに、神は静かに頷いた。

「あやつのようにさせないために、幼い頃はスキルとは分からぬようにしておく。いずれ発動するからな」

 再び目を開けた時、美嘉は「ミミリア」という名の猫獣人の赤ん坊になっていた。


 温かい毛並みを持つ両親。しかし、このアルテミシアという世界は、彼女が愛したアニメのように甘くはなかった。貧困、戦争、魔物の脅威、そして差別。


 やがて両親を失い、血の繋がらない弟レオと共に孤児院へと流れ着いた時、ミミリアは確信した。

(絶対倒されねえ。アタシは、この世界で「家族」を絶対に守り抜いてみせる)

 猫の瞳に宿る知性は、前世のデザイナーとしての意地と、死を越えて受け継いだ命の炎を燃やし続けていた。

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