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第67話 日本との再会

「閉店作業? ……何言ってんだ、あんた」

 奏多の声は、低く、困惑に満ちていた。

 彼の目には、たった今シャッターを開け、看板を出し、ゴミ袋を提げて出てきたばかりの青年が映っている。どう見ても「開店」の動きだ。


だが、目の前の青年――長森悠真は、玲奈の尋常ではない号泣ぶりに完全に気圧され、防衛本能的に「閉店」と口走ってしまったのだ。

 「あ、いや……その、すいません。あまりに激しく泣いていらっしゃるから、何かうちの店で不手際でもあったのかと……。あ、ええと、怪我か何かされましたか?」

 悠真がおそるおそる発したその言葉に、玲奈の肩が大きく跳ねた。


 玲奈は、見えない壁が消失したことを悟ると、崩れ落ちるように店内のタイルの上に手をついた。アルテミシアのゴツゴツした石畳ではない。少しひんやりとしたリノリウムの床。

 鼻を突くのは、埃っぽい異世界の空気ではなく、微かな洗剤の匂いと、段ボールの香り、そして棚に並んだお菓子の甘い匂いだった。

 

 奏多はサングラスを外し、射抜くような鋭い視線を悠真に向けた。顔にあるケロイド状の酷い火傷の痕が尚さら凄みを感じる。

 「あんたが悠真か。ガルドたちから話は聞いてる。『日本の肉』をあいつらに持たせたのはあんたなんだな?」

 悠真は、奏多の鍛え抜かれた身体、鋭い眼光から放つ圧倒的な「玄人」のオーラにたじろいだ。

 

 「は、はい。長森です。ガルドさんたちの知り合い……ですか?」

 「宿屋『守護の炎(ガーディアン)』の店主、奏多だ。こっちは妻の玲奈、それと娘の奏音」

 奏多がそう名乗った瞬間、悠真の顔に驚きと親近感が広がった。


 「『守護の炎(ガーディアン)』の! ああ、ガルドさんたちに依頼を出した方でしたか。すごく料理の上手い主人がいるって聞いています。」


 悠真は慌ててゴミ袋を隅に置き、開いたばかりの自動ドアを大きく手で示した。

 「立ち話もなんです。どうぞ、中に入ってください。……奥さん、大丈夫ですか? とりあえず、座ってください」

 玲奈は、奏多に支えられながら店内のパイプ椅子に腰を下ろした。


 店内を見渡す彼女の瞳からは、次から次へと涙が溢れてくる。

 棚に並ぶ地域限定『じゃがりこ』のカップ。

 色鮮やかな『ハイチュウ』の袋。

 ご当地キャラのストラップ。

 壁に貼られた黄ばんだ「召喚士アルテミス☆」のアニメポスターでさえ、彼女にとっては涙が出るほど愛おしい「聖典」の一部だった。


 悠真は戸惑いながらも、バックヤードから冷えたペットボトルを取り出し、三人の前に並べた。

 「あ、あの。これ、良かったら。麦茶です」

 奏多は無言でそれを受け取り、キャップを捻った。パキッという、小気味良い感触。

 「……本物だな」

 奏多は一口飲み、深く、深く溜息をついた。

 「玲奈、落ち着け。……悠真さんだったな。驚かせて済まない。実は俺たちは、数年前に異世界――アルテミシアに飛ばされて、ずっとあそこで生きてきたんだ。娘の奏音はこっちで産まれたんだ。まさか、ゼノスたちが日本に行ったことでこんな形で、日本の店そのものに出会うなんて夢にも思ってなかった」

 玲奈は震える手でスマホを取り出し、画面に文字を打ち込んだ。

 『夢じゃない。……本当に、お土産屋さんだ。長森さん、ありがとうございます。お店を開けてくれて本当にありがとう』

 合成音声が店内に響く。悠真はその機械的な声の裏にある、彼女の切実な想いを感じ取り、ようやく緊張を解いた。

 「……ゼノスが僕にこちらの世界でスマホを使っている人がいると教えてくれたんです。あなただったんですね。僕も、ちょっと前にこの店がアルテミシアに繋がっちゃって、パニックだったんです。でも、こうして同じ境遇……いや、大変な苦労をされた方たちに会えて、なんだか少し安心しました」

 悠真は、カウンターの椅子に腰を下ろし、地元の出来事を話し始めた。


 日本の商店街でのパトロールの調整、農家の高橋さんとの打ち合わせ、野生動物への警戒。

 奏多は、悠真が語る「日本の日常」の話を、一言も漏らさぬよう真剣に聞き入っていた。

 「パトロール、か。言葉自体懐かしいな……。農家の盗難、野生動物。ああ、そうだ。日本はオークやワイバーンじゃなく、森や山にいるのは熊や猪、鹿だったな。」


 奏多は自嘲気味に笑い 「悠真さん。あんた、自分がどれだけ危険な場所に店を構えてるか分かってるか? 昨夜、あんたが渡した肉や道具のせいで、エデンベルクのギルドは大騒ぎだ。ガルドたちは喜んでるが、権力者たちはあんたの店を『魔法の宝庫』か何かだと勘違いし始めてる」


 悠真は背筋を正した。

 「……フィアネスさんにも言われました。だから僕、しっかりしなきゃって思って。今朝も商店街の連絡係として動いてきました。それで考えたんですよ。日本の秩序を、こっち(アルテミシア)に持ち込むことで、自分や店を守れるんじゃないかって」

 「……あんた、面白いな」

 奏多は初めて、悠真に対して親愛の情を含んだ笑みを見せた。

 「普通の奴がこの状況で商売のことを考えるか?。異世界に来たら恐怖でどうにかなっちまう。だが、あんたは『パトロールの連絡係』としての義務を果たしてから、こっちにも店を開けた。その『当たり前の真面目さ』が、この世界じゃ一番の武器になるかもしれない」


 玲奈は、少し落ち着いたのか、奏音を連れて店内の棚を回り始めた。

 奏音は、初めて見るカラフルなパッケージに目を輝かせている。

 「ママ、これ、かわいい!」

 奏音が手に取ったのは、小袋のカッパえびせんが繋がっているものだった。

 

 「あ、あの! それ、奏音ちゃんにあげてください。」

 悠真が慌てて言うと、玲奈はスマホを操作した。

 『ありがとうございます。……でも、私たちはお客さんとして来ました。奏多さん、買い物をしましょう? 私たちが忘れていた本当の味を、奏音に食べさせてあげたいの』

奏多は立ち上がり、懐から銀貨の袋を取り出した。 

 そして「俺の店『守護の炎』に、精肉店かスーパーで買った肉や野菜を卸してくれないか。俺は日本の食材を使って、この世界に『本当の和食』を根付かせたいんだ。概念じゃなく、形だけでもなく、心に響く味をな」

奏多の瞳に、料理人としての情熱が宿った。


 悠真は、その言葉に強く心を打たれた。

 目の前の男は、自分よりもずっと過酷な環境で、ずっと長く、日本への想いを守り続けてきたのだ。

 「……分かりました。奏多さん。ぜひ、協力させてください。僕も、奏多さんの料理が食べてみたいです」

 その日の午後、悠真の店は、これまでで最も不思議な空気に包まれていた。

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