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『第三章スタート』【悲報】過疎ってる駅前シャッター商店街のおみやげ屋が異世界に転移したので、ご当地キティを売ってみたら大儲けした件  作者: 太陽唸り過ぎ-無-
第三章

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第65話 玲奈の帰還

 エデンベルクの正午の鐘が鳴り響く頃、石畳を叩く馬車の音と共に、玲奈が帰還した。

 数日間の商談を終えた彼女の表情には、一仕事終えた安堵感と、家族に会える喜びが滲んでいた。しかし、宿屋『守護の炎(ガーディアン)』の前に立つ奏多の顔を見た瞬間、玲奈の足が止まった。


 奏多は、まだ一言も発していない。だが、その瞳には、かつて新宿の火災から彼女を救い出した時のような、あるいは異世界で初めて奏音を抱き上げた時のような、尋常ではない熱量と複雑な「揺らぎ」が宿っていた。


『奏多さん、何かあったの? 奏音は?』

「奏音は無事だ。ゼノスのところで、ここでは珍しいお菓子をもらって、さっきまでご機嫌で遊んでたよ」

 奏多の声は低く、どこか震えていた。

「玲奈。落ち着いて聞いてくれ。お前がいない間に、とんでもないことが起きた」

 奏多は、厨房の奥に大切に保管していた「時雨煮の小皿」を玲奈の前に差し出した。


 玲奈は首を傾げながら、その一口を口に運ぶ。

 その瞬間、彼女の時が止まった。

 喉を通る、和牛特有の甘い脂。玲奈が記憶を頼りにルーン文字で再現した「概念」の味とは決定的に違う、圧倒的な細胞の密度、血の通った「本物」の旨み。


『これ……まさか……』

 フォークを持つ玲奈の手が、ガタガタと震え始めた。

「昨夜、行方不明だったフィアネスたちが戻ってきた。……日本のドン〇のパック詰めの肉を持ってな」

 奏多は一気に語った。霧降の深森から日本の森に迷い込み、日本人の青年との遭遇とオークとの戦い、アルテミシアに戻るために次元の狭間に立つ土産物屋へ行ったこと、そして店主・長森悠真のこと。


 玲奈の目から、大粒の涙が溢れ出した。彼女にとって、日本は「奪われたもの」であり、二度と触れることのできない「記憶の中の理想郷」だった。それが、すぐそばにあるという。


『今すぐ、行きたい。連れて行って、奏多さん!』

 奏多は強く頷き、奏音をしっかりと抱き上げた。

「ああ。行こう。俺も、自分の目で確かめなきゃ、まだ信じきれねぇんだ」

 三人は、北の城壁へと向かった。


 昼下がりのエデンベルクは、冒険者や商人で賑わっている。だが、城壁の影に入り、人通りが途絶えたその場所に、「それ」はあった。

 古びた石壁の質感とは一切調和しない、白く清潔な外壁。シャッターの降りた鉄の扉。そして、青い縁取りの看板に躍る、懐かしいフォントの日本語。


『おみやげのながもり』

「……っ!!」

 玲奈は奏多の手を振り切り、駆け出した。

 だが、建物の数10cm手前で、彼女の身体は「見えない壁」に阻まれた。空気そのものが硬化したような、絶対的な拒絶。朝、奏多が感じたあのバリヤーだ。


「玲奈、待て! そこから先は入れないんだ。物理的な断絶がある……」

 奏多の声は、玲奈の耳には届いていなかった。

 彼女は、シャッターの前に膝をつき、見えない壁を爪が剥がれるほどに掻きむしった。


『おみやげのながもり』。

 それは、火災で声を失う前、玲奈がまだ「神坂玲奈」として生きていた頃の、数少ない幸せな記憶の断片だった。


 聖地巡礼というプチ旅行、寂れた温泉街、自分で開催したイベント。そこで出会ったおじさん、おかみさん、希実ちゃん。本当の家族なら良いのにと思い通った駅前の「お土産屋さん」。

全ての思いを込めて描いた召喚陣コール


 この異世界に来て、絶望のどん底にいた夜、彼女は何度も夢に見ていた。

 自動ドアを通る時のチャイムの音、棚に並んだキーホルダー、地方限定のスナック菓子や地元の銘菓の箱。

 それら「日本の日常」のような光景に、どれほど魂を救われてきたことか。


『あけて……あけてよ……!!』

 声にならない悲鳴が、玲奈の喉を掻きむしる。

 火災で焼かれた声帯は、音を紡ぐことを拒んでいる。だが、彼女の魂は絶叫していた。

 今、このシャッターの向こうには、自分が失った「すべて」があるかもしれない。

 日本の空気が、日本の光が、そして——自分と同じ言葉を話す「誰か」がいる。


「玲奈……!」

 奏多が後ろから彼女を抱きしめる。玲奈は彼の胸の中で、子供のように声をあげて号泣した。

「あー、あー!!」と、かすれた、しかし震える魂の叫びが、無機質なシャッターに跳ね返る。

 アルテミシアの三つの月は、まだ高い空にある。

 だが、玲奈には、シャッターの隙間から漏れる微かな「日本の蛍光灯の光」が見えた気がした。

「大丈夫だ、玲奈。あいつは、ユウマは逃げやしない。昨夜、ゼノスたちに『またおいで』と言ったんだ。このシャッターは、必ず開く」

 奏多の温かい手が、玲奈の背中をさする。

 奏音も、母親のただならぬ様子に、不安そうに玲奈の服をギュッと握りしめていた。

 玲奈は、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、シャッターの表面をそっと撫でた。


 冷たい金属の感触。それは、この異世界に初めて現れた「本物の、触れられる日本」だった。

『概念』ではない。

『記憶』でもない。

 すぐそこに、生きている日本がある。

 玲奈は、震える指でスマホを取り出し、これまで一度も使ったことのない、最も強い「願い」を画面に刻んだ。

『……私は、もう一度、日本人になれるの?』

 奏多はその画面を見て、何も言わずに玲奈を強く抱きしめ返した。


 エデンベルクの城壁の影で、三人の日本人は、開かないシャッターの前で寄り添い続けた。

 その時、ガシャガシャ……と。

 不意に、シャッターの向こう側で、誰かが鍵を開けるような音が響いた。

 玲奈の心臓が、今日一番の速さで跳ねた。

 見えない壁の向こう側。

 自動ドアが、ゆっくりと左右に開く。

 そこから現れたのは、日焼けした顔に営業スマイルを貼り付けた、ごく普通の日本の青年だった。

「あ、いらっしゃいませ……。えっと、今日はもう閉店作業を始めようかと……」

 悠真は、店の前に佇む奇妙な三人組を見て、言葉を失った。

 黒髪の精悍な男。その腕に抱かれた幼い少女。

 そして、灰色がかった髪の下で、真っ黒な瞳を涙で濡らし、自分を「神」でも見るかのような形相で見つめている女性。


 玲奈の『隠遁の腕輪(コンセプト・リンク)』から『……生きてた。日本が、生きてた……っ!』という叫びに似た声を聞いた悠真は、持っていたゴミ袋を思わず落とした。

「え……? あなたたち……」

 エデンベルクの城壁の隣。

 ついに、二つの「日本」が交差した。

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