第63話 一人の夜 ― 奏多の回想 ―
祝宴は大盛況だった。捜索に関わった冒険者たちも加わり、ガルドのもらった土産のビールや日本酒が、魔法の冷気で冷やされて回された。
夜が更け、皆が帰路につく。奏多は一人、静まり返った店内でカウンターを拭きながら、自らの半生を思い出していた。
奏多は、老舗料亭の次男として生まれた。
母は後妻で、5歳年上の長男とは異母兄弟だった。それでも幼い頃は仲が良く、父からは「二人でこの店を守れ」と言われて育った。
高校卒業と同時に、父の勧めで都内の人気和食店へ修行に出た。七年の厳しい修行。魚の捌き、出汁の引き方、客への心遣い。彼はいつか実家の板場に立つ日を夢見て、その腕を磨き続けた。
だが、父の急死がすべてを変えた。
しばらくして実家に戻った奏多を待っていたのは、経営を引き継いだ兄の変貌だった。
「材料費が高い。客はどうせ味なんて分かりゃしないんだ」
兄は、産地偽装に手を染めていた。ブランド牛と偽って安価な輸入肉を出し、高級魚と偽って代用魚を出す。料理長となった奏多は猛反対したが、兄は耳を貸さなかった。
「俺が全部の責任を持つ。店を守るためにはしょうがないんだ。」結局、押し切られ産地偽装の片棒を担いでしまった。
挙句、不正が露見しそうになると、兄はすべての責任を奏多に押し付けた。
「奏多が勝手にやったことだ」
親族も従業員も、現当主である兄に味方した。奏多は業界から追放され、裏切りの泥沼の中で荒んだ生活を送ることになった。
人間不信になり、罪の意識からも本名や経歴を知られたくなくて母親の旧姓「落合」と名乗っていた。そんな彼を拾ったのが、修行先の店に行った事があるという松中という男だった。見覚えはなかったが彼の差し出した名刺に書かれている会社は確かに常連のお客様でよく利用してくれていた。
「お前の腕は死なせるには惜しい。一緒にうちの店を立て直してくれないか」
松中に紹介されたのは、新宿の雑居ビルにある系列のガールズバーだった。和食の職人が水商売の店長となり厨房に入る。最初は抵抗があったが、ガールズバーで本格的な和食が食べられる、そんなアンバランス差が客には好評だった。そこで玲奈と出会った。
玲奈のひたむきさ、そして彼女もまた孤独を抱えていることを知り、玲奈のために頑張ろうと自分の心の弱さと向き合い、奏多の心は再生していった。
だからこそ、あの火災の夜、彼は迷わず玲奈を抱えて炎の中に飛び込んだのだ。
「何があっても、俺がこの手を離さない」
その誓いは、異世界に来てからも変わっていない。
「……悠真、か」
奏多は、自分の腕に巻かれた『会話の腕輪』を見つめる。
自分たちは「概念」として日本を再現しようとしてきた。だが、あいつは「現物」を持って現れた。それは、この異世界の秩序を壊しかねない劇薬だ。
もし玲奈が戻って、あの店を見たらどう思うだろうか。
懐かしさに涙するのか。それとも、自分たちの築き上げた「この世界での日常」が揺らぐことを恐れるのか。
「……ま、考えても仕方ねぇな」
奏多は厨房を片付け、最後に「肉のパック」を魔道冷蔵庫の奥に大切にしまった。
玲奈と奏音が戻ったら、真っ先に食べさせてやりたい。
明日、自分もあの店に行ってみよう。
『守護の炎』の主人として。そして、一人の日本人として。
日本から転移した「おみやげのながもり」――そこには、かつての自分たちが失った、けれど一番欲しかった何かが待っている気がした。
奏多は窓を閉め、寝室へ向かう。
エデンベルクの夜空には、三つの月が相変わらず冷たく輝いていた。だが、彼の胸の中には、日本のスーパーで見たような、温かくて眩しい蛍光灯の光が、消えることなく灯り続けていた。




