第55話 二つの「日本」
一方、ギルド併設の食堂の厨房では、肉の焼ける香ばしい匂いが立ち込めていた。
「……なんだ、この芳醇な脂の香りは!」
悠真が味見用にと購入していた少量パックの豚肉。それをシンプルな塩コショウだけで焼いたものが実食されていた。
立ち会ったゼノスとガルド、そして厨房のコックたちが一口運ぶ。
「……美味すぎる。俺たちの知っている豚じゃねぇ、これは神の食い物だ」
ギルドの担当者は即座に決断した。この肉を独占させるわけにはいかない。
「ゼノス、ガルド。本来これは宿屋『守護の炎』へ納めるものだが、三分の一をギルドに譲ってくれ。交渉はこちらで行う。」
しかし、肝心のオークと魔石については、異世界の生態系を越えた高純度な魔力を秘めている可能性があり、正確な査定には解体後の精密な調査が必要だという結論に至った。
悠真が密かに期待していた「即金での高収入」の夢は、ひとまず「取らぬ狸の皮算用」として持ち越されることになった。
夕刻、フィアネスたちは一度『おみやげのながもり』へと戻った。自動ドアが開く音に、悠真が期待に満ちた顔で立ち上がる。
「おかえり! どうだった? 査定の方は……」
「ああ、ユウマ。驚くべき結果だが正確な金額が出るには少し時間がかかるそうだ。だが、お前が持たせてくれた肉や道具は、この街の常識をひっくり返してしまったぞ」
フィアネスは申し訳なさそうに言った。
リリエッタもパーカーの袖をいじりながら、少し寂しそうに悠真を見つめている。彼女はエルフ特有のテレパシーで、フィアネスと密かに会話を交わしていた。
(……ユウマは、このままだと人間族の権力争いに巻き込まれるわ。エルフ族としても彼を……守る必要があるかも知れないわね)
(それはお前の願望も混じっていないか、リリエッタ?)
そんなエルフたちの葛藤を知る由もなく、悠真は少し肩を落とした。
「そっか、即金じゃないのか……。まあ、とりあえず皆んな無事に帰ってこれただけでも良しとするか」
「ユウマ、今夜は宿屋で宴会をやるんだ。お前も来ないか? 最高の酒とお前の持ってきた肉で盛大にやろう」
ガルドが誘ったが、悠真は苦笑して首を振った。
「ごめん、行きたいのは山々なんだけど……商店街の会合があるから、そろそろ店を閉めて日本に戻らないといけないんだ。準備もあるからさ」
「そうか。残念だが、また近いうちに必ず行こう」
フィアネスたちは、悠真に心からの感謝を伝え、自分たちの日本土産を手に『守護の炎』へと向かった。
その頃、宿屋兼酒場『守護の炎』では、店主の奏多がフィアネスたちから届いた「パック詰めの日本の肉」を前に驚愕していた。届けに来たギルドの担当者が3分の1売ってくれと言うので銀貨30枚とふっかけたが値切りもせずに払ってくれた。
「……フィアネスたちは、「霧降の深森」に行ったはずなのに…、あいつら六日も行方知れずだったのは日本に行ってたのか。一体どうやって……」
と独り呟く。あいにく玲奈は今、新たな販路拡大のために離れた町まで商談に出ており、数日は戻らない予定だ。
『概念工房』の看板娘と呼ばれるようになってきたミミリアも、レオの玩具の新作チェックで孤児院に詰めていて不在だ。
もし、この場に玲奈がいたならば。
もし、彼女が城壁の隣に立つ『土産物屋』の看板を目にしていたならば。
あるいは、悠真が断らずに宴会に参加し、奏多の振る舞う「異世界和風煮込み」を一口食べていたならば。
日本から転移してきた二人の「開拓者」は、あと数百メートルの距離まで近づきながらも、運命の悪戯によってすれ違った。
一方は、日本の「概念」を魔道具に変え、異世界に新たな産業を興そうとする魔女。
一方は、日本の「現物」をそのまま持ち込み、意図せずして世界に奇跡を振りまく店主。
エデンベルクの月明かりの下、二つの異なる「日本」が交差する瞬間は、すぐそこまで迫っていた。




