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第115話 和食店でのデート

 商店街の街路灯が、アスファルトの上にぼんやりとしたオレンジ色の輪を描いている。

 悠真は店を閉め、一度自宅に戻って手早く着替えた。清潔感のあるネイビーのシャツに袖を通すと、鏡の前で軽く髪を整える。


 約束の時間は十九時。

 『おみやげのながもり』のシャッターの前で待っていると、軽やかな足音が近づいてくる。

「悠真!」

 聞き慣れた、心が弾むような声。

 駆け寄ってきたのは、佐倉美咲だった。初夏の夜風にふわりと揺れる白いブラウスと、淡いベージュのスカート姿がまぶしい。

「お待たせ! ごめんね、仕事がちょっと押しちゃって」

「いや、俺も今来たところだよ。……」

「本当?、悠真は最近お店の仕入れとか商店街のパトロールとかで、全然捕まらないんだもん」

 少しだけ頬を膨らませて見せる彼女に、悠真は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。


「ごめん。ちょっと、……『イレギュラーな注文』が立て込んでてさ。今日はそのお詫びも兼ねて、いい店を予約したから」

「いい店? どこどこ?」

「インターチェンジの近くにあるショッピングモールに出来た和食のお店『静月』。全席個室で、落ち着いて話せるんだ」

「わぁ、あそこ! 一度行ってみたかったんだ。嬉しい!」

 美咲がぱっと顔を輝かせ、悠真の腕にそっと手を添える。その体温が、不思議なほどリアルに悠真の意識を「日本」へと繋ぎ止める。


 『静月』の暖簾をくぐると、お香の微かな香りと、打ち水がされた石畳が二人を迎えた。案内されたのは、坪庭の緑がライトアップされた風情ある個室だ。

「お疲れ様」の乾杯。美咲は果実酒、車で来たので悠真は冷たいウーロン茶を頼んだ。


 今は、美咲との会話を一言一句漏らさず楽しみたいという気持ちが強かった。

「……ぷはぁ。美味しい! 仕事終わりの一杯は最高だね」

「本当だね。……美咲、最近はどう? 変わったことはなかった?」

 悠真が尋ねると、美咲は職場の観光課幼での出来事を楽しそうに話し始めた。

 それは、エデンベルクの危機とは対極にある、平和で、穏やかで、しかし確かな重みを持った「日常」の断片だった。


 運ばれてくる料理は、どれも料理人の逸品ばかりだ。

 前菜の盛り合わせ。お造り。そして、メインの「黒毛和牛の石焼き」。

 美咲が一切れを口に運び、幸せそうに目を細める。

「んんーっ、とろける! 悠真くんも食べてみて。これ、信じられないくらい柔らかいよ」

 悠真も肉を口に含む。

(……旨い)


 こうして静かな個室で、適切な温度と調理法で提供される日本の和食は、また格別の感慨があった。

 ただ純粋に「美味しい」という感情だけが、五感を満たしていく。

「ねえ、悠真。……さっきから気になってたんだけど、その腕、どうしたの?」

 美咲が心配そうに、悠真の右前腕を指差した。ヒノキ薬局の健一にも指摘された、あの赤黒い痣だ。

「あ、これ? ……いや、ちょっと店で重い荷物を運んでる時に、古い木箱の角にぶつけちゃって。見た目ほど痛くないから大丈夫だよ」

「もう、気をつけてよ。お土産屋さんって、意外と重労働なんだから」

 美咲が手を伸ばし、痣の周りをそっと撫でる。その優しさに、悠真は「嘘をついている」という小さな罪悪感を覚えたが、同時に「この平和を守らなければ」という決意を新たにした。


「悠真、最近なんだか……雰囲気が変わったね」

 食後のほうじ茶を啜りながら、美咲がふと呟いた。

「え? 僕が?」

「うん。なんて言うのかな……前よりも、どっしりしてる。前は『お店、これからどうしようかな』って少し不安そうな顔をしてることもあったけど。今は、何か大きなものを背負って戦ってる人みたいな、頼もしい顔をしてる」


 美咲の洞察力に、悠真は言葉を失った。

 彼女には、エデンベルクのことも、龍の鏡のことも、一切話していない。それでも、彼女は悠真の変化を敏感に感じ取っていた。

「……そうかもね。最近、自分の売っている『お土産』が、誰かの役に立ってるんだって実感することがあってさ。ただの物を売るんじゃなくて、誰かの困りごとを解決する。そういう実感が、自信に繋がってるのかも」

「素敵だね、それ。私、今の悠真の方が好きだな」

 さらりと言われた言葉に、悠真は耳まで熱くなるのを感じた。

 個室の外からは、時折他の客の笑い声や、食器が触れ合う音が聞こえてくる。

 そのすべてが、愛おしい。

 もし、エデンベルクで自分が足を止めていたら。

 もし、和央さんの釘打ち機や美紀ちゃんの仕入れが間に合わなかったら。

 この静かな夜は、別の形に歪んでいたかもしれない。

 二つの世界は、見えない糸で繋がっている。

「美咲。……これからも、忙しくなるかもしれない。でも、君との時間は絶対に作るから。だから、またこうして付き合ってくれるかな」

「……当たり前でしょ。変な気遣いしないで。私は、頑張ってる悠真を応援してるんだから」


 店を出ると、夜風は少しだけ冷たさを増していた。

 悠真は美咲を送り届けた。

「今日は本当にありがとう。楽しかった」

「私の方こそ。明日、定休日でしょ? ゆっくり休んでね」

「ああ。……おやすみ、美咲」

「おやすみなさい、悠真」

 ふと見上げた夜空。月は、やはり白く、一つだけ。

 しかし、その光の向こう側に、悠真は確かに「赤い三つの月」の輝きを感じていた。


 明日になれば、また「戦い」が始まる。

 和央さんに返す機材の清掃、奏多たちの元へ「新しいお土産」を届ける準備をする。

 リリエッタの髪に揺れるキティちゃんのピン。

 子供たちが抱きしめるアンパンのぬいぐるみ。

 それらを守るために、悠真はこれからも二つの日常を駆け抜けていく。

 商店街の入り口にある『おみやげのながもり』。

 暗い店内に戻ると、龍の額縁鏡が、明日への希望を映し出すように、静かに、そして力強く輝いていた。

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