第112話 高橋さんとの打ち合わせ
悠真は、印刷したばかりのパトロール日程表を助手席に放り込み、トラックのエンジンをかけた。
「高橋果樹園」は、商店街から車で15分ほど山側へ走った、緩やかな傾斜地にある。このあたりは陽光と朝夕の寒暖差が、甘みの強いリンゴや桃を育む名産地だ。
トラックの窓を開けると、初夏の少し熱気を帯びた草の匂いが流れ込んできた。
前日のアルテミシアの空気を満たしていた、あの不気味な「死の匂い」が嘘のようだ。しかし、ハンドルを握る悠真の手のひらには、魔人と戦ってる時の痺れるような感覚がまだ微かに残っている。
(あっちの世界で魔物と戦い、こっちの世界ではパトロールの調整……。どっちも『守る』仕事には変わりないか)
「高橋さーん!。いらっしゃいますかー」
果樹園の入り口にある作業小屋の前にトラックを停め、悠真は声を張り上げた。
すると、木々の間から麦わら帽子を被った、日に焼けた屈強な老人が姿を現した。高橋果樹園の主、高橋さんだ。
「おう、長森くんか! ちょうど良かった、上がれ上がれ」
高橋さんは、使い込まれた手拭いで首筋の汗を拭いながら、小屋の縁側を指差した。
「これ、さっき冷やしておいた去年の秋のリンゴジュースだ。飲んでみな」
「ありがとうございます。……ふぅ、染みるなぁ」
自家製の濃厚なジュースを一口飲み、悠真は本題に入った。
「高橋さん、矢田会長と相談して、パトロールの商店街のシフト表を組んできました。農家側の方と、うちの商店街のメンバーを混ぜた人員でパトロールしてもらえればと思います」
悠真が広げた書類を、高橋さんは老眼鏡をかけ直して熱心に眺めた。
「ほう、なるほど。」
高橋さんは豪快に笑い、満足げに頷いた。
「よし、農家側の連中には俺から伝えておくよ。最近、この辺りも物騒だからな。山から下りてくるのは熊だけじゃねえ。変な泥棒まがいの車がうろついてるって噂もある。長森くん、君がこうして音頭を取ってくれるのは助かるよ」
「いえ、僕もこの町が好きですから」
「……おや、長森くん」
高橋さんは、不意に真面目な顔で悠真の顔を覗き込んだ。
「君、なんだか雰囲気が変わったな。前はもっと……こう、商売の数字ばかり追っているような顔をしていたが。今は何というか、腹の据わった『士』のような目をしている」
悠真はドギマギして視線を逸らした。
「……そんな、大袈裟ですよ。ただ、最近いろんな人と関わることが増えて、責任感みたいなのが出てきたのかもしれません」
「そうか。まあ、若いうちにいろんな『修羅場』を経験するのは良いことだ」
高橋さんが悪戯っぽく笑う。
高橋さんとの打ち合わせを終え、悠真は再びトラックを走らせた。
帰り道、高台から見下ろす街並みは、静かで穏やかだった。
だが、悠真は知っている。この平和な景色の裏側には、誰かの「見えない努力」があることを。
エデンベルクでバルガスが斧を振るい、リリエッタが祈りを捧げ、奏多たちがスープを煮出したように、この街でも、高橋さんが木々を世話し、矢田会長がパトロールの段取りを組み、和央さんが機械を整備している。
「みんな、自分の場所で戦ってるんだよな……」
ふと、右手の甲を見た。魔人の放った不浄な泥を浴びた際、キティちゃんの結界が弾いた瞬間の火花のような熱が、まだ微かに残っているような気がした。




