第110話 恐れないで皆んなのために
侍ジャパンの2026年WBCが終わりました。結果は残念でしたが次回また頑張って欲しいです。
北門から地響きのような咆哮が聞こえてきた時、宿屋『守護の炎』の食堂は、すでに戦場と化していた。
「奏汰さん、もっと火を強めて! 牛脂(和牛の端材)をたっぷり溶かして、カロリーを底上げするわよ!」
玲奈の声が、蒸気と熱気に包まれた厨房に響く。彼女の手元には、悠真が日本から持ち込んだ業務用サ「和牛の細切れ」と、大きな根菜の山があった。
「はい、奏汰さん! 薪はゼノスの奥さんたちがどんどん運んできてくれるわ!」
奏汰が巨大な寸胴鍋をかき混ぜる。玲奈が 開発した濃縮出汁珠、そして味噌が、この世界の食材と混ざり合い、抗いようのないほど食欲をそそる芳醇な香りを放っていた。
表の通りでは、傷ついた冒険者や兵士たちが次々と運び込まれてくる。
「ひどい……魔素を吸われて、みんな顔が真っ青だわ」
運ばれてきた兵士の一人は、震える手で玲奈の袖を掴んだ。「……光が……光をくれ……」
「大丈夫ですよ、今すぐ温かいものを出しますから!」
奏多は、容器になみなみと特製スープを注いだ。
「さあ、飲んでみな。牛の旨味をたっぷり入れた特製の味噌スープだ。」
兵士がおずおずと口に運ぶ。
「……なんだ、これ。熱い……熱い力が、腹の底から湧いてくる。……旨い。こんなに旨いものがこの世にあるのか」
一口ごとに、兵士の頬に赤みが戻っていく。高カロリーな和牛の脂と、アミノ酸の宝庫である味噌。そして、隠し味に入れた日本のインスタントコーヒーの微量のカフェインが、魔素欠乏症で沈んでいた精神を強引に覚醒させていた。
「カナタさん、あちらの重傷者にはこれを!」
玲奈が差し出したのは、悠真が持ち込んだ「一口ようかん」を細かく砕き、温かいミルクに溶かした特製飲料だ。
「糖分補給よ! 脳を動かすにはこれしかないわ!」
厨房の外では、避難してきた街の人々が不安そうに身を寄せ合っていた。玲奈は日本のチョコのファミリーパックを開けて、子供たちに配り歩く。
「いい? これはね、遠い国の『おみやげ』なの。これを食べれば、どんな怖い魔物だって飛んでいっちゃう魔法がかかってるんだから」
孤児院「慈愛の灯」の子供たちはギルドの使いが来て、ミミリカとレオと一緒に「守護の炎」に避難させていた。
チョコを頬張った子供たちの顔に笑顔が戻るのを見て玲奈はそっと北の空を睨んだ。
悠真からの依頼でもう一つの「希望の家」を守るため兵士たちが向かってるという。
「……全く。こんな無茶な状況で。……自分が行くなんて…」
その夜、『守護の炎』から溢れ出した美味しい匂いは、絶望に沈みかけていたエデンベルクの人々の心を繋ぎ止めた。それは、剣や魔法と同じくらい、街を守るために不可欠な「力」だった。
孤児院『希望の家』の古びた建物も、かつてない緊張に包まれていた。
「みんな、作業台の下に隠れて。シスターの側を離れちゃダメよ!」
年長のアリアが、震える声を張り上げて子供たちを誘導する。窓の外は紫の霧に包まれ、時折、城壁を叩く魔物の地響きが伝わってくる。
「アリアお姉ちゃん……怖いよぉ……」
一番小さなリナが、泣きじゃくりながらアリアの服の裾を掴んだ。その腕には、悠真の店で見たあのヒーローに似せて作った、手作りのぬいぐるみが抱きしめられていた。
シスター・マーサは、子供たちを抱き寄せながら静かに祈りを捧げていた。だが、彼女も分かっていた。もし北門が破られれば、真っ先にこの外壁沿いの孤児院が被害に遭う。
「……そうだ。アリアお姉ちゃん、みんな」
リナが不意に顔を上げた。その瞳には、涙を溜めながらも、確かな意志の光が宿っていた。
「ユウマおじちゃんが言ってた。あのパンのヒーローは、お腹が空いた人や、悲しい人を助けるんだって。……私たちも、助けなきゃ」
「リナ? 何を……」
「これを作るの! 私たちの『抱きしめる声』!」
リナが指差したのは、内職用の魔導具製作台だった。そこにはマダム・レイナの『縫製の魔羊皮』と、まだ綿も詰められていないぬいぐるみの外皮が並んでいる。
「そうよ……! 私たちが今できるのは、これしかないわ!」
アリアも立ち上がった。子供たちは恐怖を忘れたかのように、それぞれの作業台に座った。
外では地獄のような戦いが続いている。だが、この小さな部屋の中だけは、日本のヒーローソングを口ずさむリナの拙い歌声が響いていた。
「……アンパチで、バイキンをやっつけるの。寂しい夜を、温かくするの……」
アリアは、悠真からもらった「キティちゃんのヘアピン」をぎゅっと握りしめてから、針を通した。
「レイナ様の設計図に、ユウマさんの『物語』を込めるんだ……!」
子供たちの指先から、不思議な魔力がぬいぐるみに流れ込んでいく。それは単なる内職の作業ではなかった。街を守るために戦っている冒険者たちへ、そして自分たちの未来を守ってくれる「ヒーロー」への、切実な祈りだった。
リナが仕上げたぬいぐるみが、不意に柔らかな光を放った。
それは、悠真が持ち込んだ日本の「物語」と、アルテミシアの「魔導技術」が、子供たちの純粋な心を通じて融合した瞬間だった。
その時、孤児院の窓の外で、紫の霧を切り裂く「白い光」が空へ立ち上った。
「あ! 光だ!」
子供たちが一斉に窓に駆け寄る。遠く北門の方角で、悠真が設置した投光器の光が、希望の灯台のように輝いていた。
翌朝、戦いが終わり、リナは一番に孤児院の門を叩いた。
そこには、疲れ果てて座り込む兵士たちがいた。リナは、昨日徹夜で作り上げた特別な「ハグ・ボイス」を、一人の傷ついた若い兵士に手渡した。
「これ、ヒーローなんです。抱きしめると、痛いのが飛んでいくの」
兵士がそのぬいぐるみを抱きしめた瞬間、彼の顔から苦痛が消え、穏やかな眠りが訪れた。
「希望の家」で作られたそのぬいぐるみは、後にエデンベルクで『救いの守護印』と呼ばれるようになり、孤児院の子供たちは、街を救ったもう一人の小さな英雄たちとして称えられることになる。




